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絡みの写メ

 投稿者:M猫アンナ  投稿日:2010年 2月10日(水)02時04分58秒
  顔ありで、絡みの写メあるけど
見たい人いませんか?
maluct1987@ezweb.ne.jp
 

(*^-^*)

 投稿者:朝比奈憂魅  投稿日:2010年 2月10日(水)01時45分12秒
  ヒマヒマ〜
誰か顔写メこうかんしよ〜
heartlove.c0207@ezweb.ne.jp
 

(o^^o)年上限定で

 投稿者:(ω//ナオ  投稿日:2010年 2月10日(水)00時20分26秒
  年上限定で興味ある人だけ〜
自撮り送ります。
kira.kira-hoshi7@ezweb.ne.jp
メッセージメールよろしくデス待ってます。
 

見せっこ

 投稿者:ゆ(^ω^*)い  投稿日:2010年 2月 9日(火)18時12分20秒
  見せっこしましょう?メッセージ下さい。
happy_poor.89@ezweb.ne.jp

写メはこっちが先でもいいょ♪
 

リア友募集ぅ

 投稿者:★☆姫☆★  投稿日:2010年 2月 9日(火)17時55分43秒
  リア友募集だよ♪
写メ送るから見てみて!
pipiru-pirupiru@ezweb.ne.jp
 

映画「ぼくはうみがみたくなりました」

 投稿者:らんこ  投稿日:2009年11月28日(土)15時54分39秒
編集済
  自閉症の青年(伊藤祐貴)と看護学生(大塚ちひろ)のふれあいの旅を描いた映画「ぼくはうみがみたくなりました」の自主上映会が全国各地で多数行われ、多くの観客から「とても良かった」という感想が上がっています。

また、新潟・横浜などの映画館でのロードショーも決定しました。

とても明るく爽やかで、あたたかい映画です。
いわゆる「お涙ちょうだい」映画ではありません。説教じみた堅苦しい映画でもありません。

この映画の詳しい情報や上映スケジュールなどは、
以下URLの映画「ぼくはうみがみたくなりました」製作実行委員会のホームページ(公式のサイト)をご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/bokuumi

また、この映画のことがよくわかる、日本映画専門サイト「Hoga Holic」の
伊藤祐貴(主演)と福田是久監督の連載対談(全5回)もぜひご覧ください。
http://www.holic-mag.com/HH.php?itemid=1585


タレントの山田雅人さんもこの映画を個人的に観たそうで、山田さんの公式ブログに感想が書かれていました。

『ただ涙するだけの映画ではなく、忘れかけていた人間のやさしさが、全編、さわやかに描かれている映画でありました。見ていた私もさわやかな気分で、劇場をあとにすることができました。』

ブログの全文は以下のURLでご覧ください。
http://yamada-masato.laff.jp/blog/2009/09/post-863a.html
 

おくりびと その1

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年11月15日(日)02時28分16秒
  今作を

「フラガール」  や  「スウィングガール」 、
そして 「 ウォーターボーイズ 」 に 「 Shall We ダンス? 」 。
同じ モックン 作品では  「シコふんじゃった。」  のように
 「納棺師」 という未知なる種目にチャレンジしていく

     「パフォーマンス系映画」 の一種

                       のようなものだと早合点していました。


実際は、 「納棺師」 となったことによって父親という大きなトラウマを克服していく、

      「魂を救済する」 物語

                         であったのです。



でも、導入部は「パフォーマンス系映画」 の香りを強く漂わせていたのでした。
最初は軽いユーモアを挟み込みながら、しかし、モックン が初めて納棺を取り仕切る際には、

     儀式の厳かさがあり、

                  連綿と続いている伝統技能を
                  鑑賞している感覚となりました。

要所ではキリッとした表情を見せつつも、ユーモアを交えながら 「死」 というシビアなものを処理していくのかな? と気を許した瞬間に

      手厳しいシッペ返し

                  が用意されていたのです。


そのシッペ返しとは、 “老婆の腐乱遺体を納棺する” という、「キレイゴト」 では済まされないグロテスクな側面だったのです。
そして、この強烈な出来事の直後に挿入されたエピソードが、ボクの映画的好奇心を大いに刺激していったのです。

    “腐乱死体処理をしたその日の夕食は鍋料理で、今朝締めたばかりの
     「おかしら付き 鶏肉」 が食卓に並びました。

     その皺くちゃの顔とむき出しの肉 を見たモックンは
     老婆の遺体を思い出し 胸を悪くしてもどしてしまうのです。

     驚いて介抱をする 妻役の広末涼子女史ですが、その流れの中で、
     突然にモックン は奥さんに性的交渉にかかっていきました。”

というシークエンスとなっているのですが、今作に対する受賞のニュースが契機となって、家族連れ立っての鑑賞となった方々には、先の腐乱遺体のくだりと同様に、このシークエンスは居心地の悪い時間帯であったろうなと思いながらも、以下のようにボクはこの展開を大いに楽しんでいったのです。

  傷(いた)んだ遺体
       を処理させられたことによって、肉体と精神に大きなダメージを被り、

  新鮮な、でも死んだ肉体
       が食卓に上り、傷(いた)んだ遺体を思い出したことによって、
       「死」 の虚無感に襲われ、

  新鮮で、生きた肉体
       である、妻の広末涼子女史に、存在の 「確かさ」 を求め、
       肉体的な衝動の中に埋没していく

                 そんな モックン の赤裸々な心を感じたのです。


   傷(いた)んだ遺体     と
   新鮮な、でも死んだ肉体

           という 2つの肉体によって 精神的な不均衡に陥り、

   新鮮で、生きた肉体

           という確かな存在に、すがりついてしまう。

その究極的な境地として、本能的で官能的な側面に身を沈めていったモックン に、ボクは同調していったのです。

そして、ふと気付くと

       人間って切ないな.........。

                      と溜息をもらしていたのです。

死んでしまえば、どんな人であろうとその肉体は朽ちていくし、
生きていくためには、他の命を奪ってその肉体を食らわなければならないし、
「生」 が揺らいでしまったら、目の前にある確固たる 「生」 に救いを求め、
究極的には、「性」 というものにすがりついていくわけですから.....。

     「思惟」 と 「本能」 のせめぎ合いの中で
     生きていく 「人間」 っていうものは、

               本当に、切ないな.........。

                          と、 つくづく感じてしまった
                          瞬間だったのです。


こんな溜息をもらした直後に配置された おくりびと の社長たる 山崎務氏 の堅実な仕事ぶりには、ボクのような、かつての映画少年も、そして、今作の受賞歴がキッカで家族鑑賞をした鑑賞者の方々にも、心を打つ納得のシークエンスとなっていったのです。

そのシークエンスは
病気や事故による 「死」 の結果としての

     「遺体」 という 非日常的な物体     に対して、

おくりびとが、かつての故人の 「印象」 を加えていくことによって、
その取り扱いかねていた物体が、いつしか遺族の心の中で、
社会的役割を担っていた頃の

       一人の存在へと戻り、
       一つの人格を回復していく様が

                         感動的であったのです。

その場にいる女子中学生の母親であったことを、そして、とげとげしかった男の妻であったことを、まざまざと思い知らせてきたのです。

この行為は 故人の死に至るまでの苦痛の跡を消し去り、遺族の心の中に生き続けている姿へと戻していく儀式であったのです。それは遺族の気持ちにわだかまっている 「遺体」 という距離感があるものから、その垣根を取っ払って、

 生きていた証を持つ

       「母親」 にし、 「妻」 にもしていく


                そんな、崇高なる行いに他ならかったのです...。



中盤。


「銭湯のおばさんが亡くなった。」

このモックンの言葉だけで、この後の展開を予測することができて、
ボクの胸は熱くなっていきました。
そして、これからエンディングに向けて、一気に終結していくことを確信したのです


序盤は、老婆の遺体処理によるダメージで、モックンが 「納棺師」 を諦めてしまうところを、山崎務社長の崇高なる技に触れたことによって、その危機を回避していきました。
これは モックン の

       「内的世界」 における

            「納棺師」 という仕事の放棄と、その後の復活

                             を描いてきたわけですが、

中盤は 「銭湯のおばさん」 の息子で、モックン とは幼馴染となる 杉本哲太氏からの、職業差別を受け、そして、妻の広末涼子女史からも 「納棺師」 という職業を否定された挙句、実家に帰えられてしまうなどの

       「外部圧力」 を受けていく様と、

             その一方で仕事を覚え、その社会的貢献度の高さ故に
             意欲的に仕事に向き合っていく、言わば

       「内部拡充」 していく姿が

                     オーバーラップされていったのです。

「銭湯のおばさん」 の死 がもたらされたのは、まさに、こんな 「納棺師」 という職業に対する、ジレンマを打ち出したタイミングであったわけですから、大方の鑑賞者は以下のような展開を予測することができるのです。


 これから行われる 「銭湯のおばさん」 の葬儀は、息子の杉本哲太氏が喪主となって
 取りはかられ、 「銭湯のおばさん」 と顔見知りになっていた 妻の広末涼子女史も列
 席し、「納棺師」 について否定的であった二人が、我らがモックンによる、

     熟練した伝統芸能師のごとき
                      技の一部始終を
                                   目撃。

 そして、その真摯な態度と崇高なる成果を目の当たりにした二人が、モックンの仕事の
 貴さを認めて、それまでの自分の態度を悔い改めていくことになるはずだ、
                                                と。

このストーリーは、ストイックに 「納棺師」 という仕事に向き合っている モックン と、一方的に理不尽とも言える職業差別を受けている モックン の両方を見せつけられてきた者としては、ベタではありますが、心情的には納得のいく展開となっており、ボクは単純にその流れに乗っかっていったのです。


このように終盤への展開を予測し、その成り行きを楽しみにすることができた今作の中盤ではありましたが、2〜3の不手際が見受けられたのも事実ではありました。

モックン が社長の山崎務氏の部屋で食事を頂く際に、社長がふぐの白子を指して
  「これもご遺体だ」  と言ってうまそうに食べるシークエンスがあるのですが、よりによって

  「生き物は生き物を食って生きてる (中略) 死ぬ気になれなきゃ食うしかない。」

                   というセリフが、発っせられてしまったのです。

これは、序盤において

    傷(いた)んだ遺体
         ↓
    新鮮な、でも死んだ肉体
         ↓
    新鮮で、生きた肉体

で大きな映画的興奮を創出してきた一連の中の
「生きていくために他の命を奪い、その肉体を食らわなければならない宿命」 を
再び訴求してきたことを示します。

しかしながら、この白子による単発の表現は、
序盤の一連にあったイマジネーション豊かな世界観には、残念ながら遠く及ぶことはなく、
 「思惟」 と 「本能」 の狭間で生きていく人間の切なさ など微塵もなく、
ただ単純に 「捕食」 についてのありきたりな言葉があっただけなのです。
既に訴求してあることを、今さらストレートなセリフだけで表現をしてきても、二番煎じの感じはどうしても否めなく、序盤、

    傷(いた)んだ遺体
         ↓
    新鮮な、でも死んだ肉体
         ↓
    新鮮で、生きた肉体    の一連で



        「人間存在」 の 「哀しみ」 や 「可笑しみ」


までもを感じ取ることができる奥深い空間を提示しておきながら、
低いレベルの再訴求を、この瞬間にかけてくる制作者に困惑してしまったのです。


このようなマイナス要素を抱えながらも
終盤にかけての展開はボクが期待した通りのストーリーを語ってくれました。
「銭湯のおばさん」 の葬儀の際に、妻の広末涼子女史と、 「銭湯のおばさん」 の息子である杉本哲太氏は、モックン の仕事を目の当たりにして、モックン を認めていきました。

      ここまでは予想通り。

と思っていたら、「銭湯のおばさん」 の火葬場において、

      「小さな驚き」 が
                     用意されていたのです。

銭湯の常連客でいい味を出していた 詰め将棋好きのおじさん が火葬場の職員として再登場してきたのです。 「銭湯のおばさん」 の死の場面で、寂しそうな後ろ姿を打ち出してはいたのですが、このような展開となるとは全くの意外で、ちょっと、うれしくなってしまいました。

その 火葬場のおじさん は、

        「死」 を 「門」
                     のようなものであると言い、

        「死」 は 「終わり」 ではなく、

                     一つの過程であり、
                     自分はその「門番」 である。

という考えを披露していきます。
これは今作に貫ら抜かれている死生観そのものであり、 モックン がそもそも 「納棺師」 となるキッカケとなった求人広告のコピー 「旅(立ち)のお手伝い」 にみられるように、

        「死」=「終焉」  ではなく、

        「死」=「旅立ち」  であるのです。

そして火葬場のおじさんの  「銭湯のおばさん」 への一言 「また、会おうぞ」 のセリフで、妙な妄想がボクの右脳に発生していったのです。

それは 「肉体」 というものはこの世を歩く為の、

     「有機的モバイルスーツ」    のようだな..........。

                     という、こんなSF的な妄想だったのです。
 

おくりびと その2

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年11月15日(日)02時06分18秒
  続きです


「有機的モバイルスーツ」 が劣化破損したので、それを脱ぎ捨てた。
その結果、この世に存在できる手段が無くしなってしまったのが 「死」 なのである。

という、思いに囚われていったのです。
「有機的モバイルスーツ」 なんて言葉は今作のテイストとはかけ離れたものですが、
「死」 は一つの過程に過ぎない、次なる段階に向けての 「旅立ち」 である。
という今作の世界観に触ることによって、このような言葉が思い浮かんだのです。

「小さな驚き」 をキッカケとしてこのような妄想を広げることができた今作ですが、
またまた、うれしいことにこの後には

      「大きな驚き」
                   が用意されていたのです。

この 「大きな驚き」 とは
“ モックン の失踪していた父親が亡くなり、それによって、初めて居場所が判明。
 モックンは大きな葛藤の末、父親の納棺を取り仕切る。”

という、今作においては一番実現しないであろうと思った妄想が、現実のものになったことでした。

そもそもは、中盤、チェロ演奏を社長の前で披露した際に、 失踪した父親の安否に対して語られた モックン のセリフ

     「 さあ、 もう死んでいるんじゃないですか? 」

                               で予感し、

「銭湯のおばさん」 の葬儀が終わって、唐突に父親とのエピソードである 「石文 (いしぶみ)」 のくだりを話す モックン に、 もしかして、これは 「父親の死」 の

       前フリをしているのかな?
                               と感じたのです。

しかし、「銭湯のおばさん」 が、モックン のいわれ無き 職業差別を払拭するために
(不遜な言い方をすると) 亡くなってくれて、そして次には、 モックン の 「納棺師」 としてのステップアップの為に、否、今作のエンディングの為に、タイミング良く 「父親の死」 がもたらせれていくなんて............。

         できすぎでしょー!

                     と、誰もが思ってしまうところでしょう。

しかし、鑑賞を続けていくと、そんなことなど、もうどうでも良いことのように思えてきたのです.。

何故なら、ボクはいつしか今作を

「 フラガール 」  や  「 スウィングガール 」 、
そして 「 ウォーターボーイズ 」 に 「 Shall We ダンス? 」 。
同じ モックン 作品では  「 シコふんじゃった。 」  のように
 「 納棺師 」 という未知なる種目にチャレンジしていく

     「パフォーマンス系映画」 の一種

                        であると思えてきたからなのです。


“慣れない フラダンス や ジャズ音楽、そして 男のシンクロ や 社交ダンス、はた また学生相撲 という種目にチャレンジし、一旦は差し障り要件が発生してその上昇機運 が停滞するけれど、最後には会心のパフォーマンスによって映画は最良のカタルシスの  中でエンディングを迎える。”

そんな 「パフォーマンス系映画」 の王道を今作が突っ走ていたことに気づいてしまったのです。

今作は 「納棺」 という種目にチャレンジをし、一旦は職業差別という差しさわり要件が発生するけれど、父親の 「納棺」 という快心のパフォーマンスによって映画はカタルシスの中でエンディングを迎えるはずと、見切ってしまったからなのです。

「パフォーマンス系」 映画に

           自制を求めても、無駄!

                    なことは、経験上わかっていたことですし、

何よりも、 「納棺師」 というパフォーマンスを披露するためには、人に亡くなってもらわなければならないわけですし...。

                      と、半ば強引に割り切っていたのです。

そんな気分で鑑賞を続けていったら、またまた状勢が変わってきました。
幸いなことに、この 「パフォーマンス映画」 というキーワードを無理矢理に

       捻出するまでもなく、

死んだ父親との再会の

       必然性に遭遇
                     することができたのです。



納棺を粛々と進める モックン。
父親の遺体の手のひらを開いたらそこには小さな石が握り締められていたのです。

      これをやらせたかったのか!

                   と、この瞬間に
                   ボクの映画的興奮は振り切れていったのです。


この石は、父親の納棺を モックン が取り仕切るはずだと予感をさせたシークエンスである

       「 石文 (いしぶみ) 」  において、

                   少年時代の モックン が父親に渡していた
                  「石」 だったのです。


「 石文 (いしぶみ) 」  とは、

“大昔、自分の気持ちに似た石を探して相手に贈り、受け取った者は、その石の感触や大きさから贈り主の心を読み解く。”

         というコミュニケーション方法であると紹介されていました。

子供時代にたった一度、モックン は父親とこの 「 石文 (いしぶみ )」 の交換をしており、父親の手に握られていたのが、その時にモックンから父親に渡された  「石文 (いしぶみ)」 だったのです。

死の瞬間に、少年時代の モックン の 「石文」 を父親が握り締めていた事に、

 家族を裏切ってしまった

        父親の深い後悔と贖罪の念

                     を感じて、心を動かされていったのです。

しかし、ここでは、そんな万人が感じる思いを強調したいのではなく、こんな思いと共に、全く違う感情がボクの気持ちを直撃していたことを、述べておきたいと思いました。


父親が持っていたのは少年時代の モックン の 「石文」 であることには間違いないのですが、 ボクにはその 「石文」 が、わけあり失踪をし、独り死んでいった 「父親」 の、

     死の直前の彼自身の 「石文」 へと

                   「変容」 していった

                            と思えてしまったのです。

失踪前の父親の 「石」 はとても立派で大きなものでした。
しかし、家族を裏切り、一緒に失踪した女性とも別れ、流れ着いた漁村の片隅で細々と生活していく中で、あんなにも

         尊大であった
                      父親の 「石文」 が削り落とされて、

         謙虚さを取り戻し、
         少年と同じ純粋さを取り戻した瞬間に

                      父親は 死んでいった。

と思えてしまったのです。そしてその事実を

         「有機的モバイルスーツ」 たる自分の遺体に託して、

                 息子である モックン に伝わることを願いながら
                 逝った......。

                         という思いに
                         激しくこだわっていったのです。


「 石文 (いしぶみ) 」  を再度説明すると、

”大昔、自分の気持ちに似た石を探して相手に贈り、受け取った者は、その石の感触や
 大きさから贈り主の心を読み解くコミュニケーション”
                             とされておりましたが、

「おくりびと」 ならぬ、 「受け人 (うけびと)」 となった モックン は 父親の死の直前の 「石文 (いしぶみ)」 の感触や大きさから、

       父親の 「変容」 を悟り、
       父親の 「謝罪の気持ち」 を静かに受け取った

                               と思えたのです。



モックン は父親から送られたその 「石文」 を、しっかりと妻の手に握らせました。
そして次に、それを身重の妻のお腹に静かに重ねていったのです。

 「石文 (いしぶみ)」 の 「送り人 (おくりびと)」 となった モックン が、今度はこれから生まれて来る我が子に自分の気持ちを伝えていく............。

こんな象徴的なカットで今作は終わりを告げていきました。



 「有機的モバイルスーツ」 に託された 「石文 (いしぶみ) 」 によってもたされた


      父親の 「変容」 と
                    モックンの 「受容」。


この2つの変化によって、モックン の気持ちの中に形成されていた歪んだ 「父親」 という虚像が氷解し、それと同時に、次は自らがその 「父親」 というものへとなっていく ...........。

「個」 の命はこの世から 「旅立って」 いきました。
しかし、新たにその存在を受け継ぐ者の誕生を目の当たりにすることによって、そしてこれから誕生する 「命」 の存在を認識させられたことによって、
「個」 の世界観をはるかに超えた、生命の 「転生」 や 「輪廻」 という大きなうねりを感じ、ただ、その芳醇な揺らぎの中に身を委ねた鑑賞となったのです。



ボクは今作を

「 フラガール 」  や  「 スウィングガール 」 、
そして 「 ウォーターボーイズ 」 に 「 Shall We ダンス? 」 、
同じ モックン 作品では  「 シコふんじゃった 」  のように
 「 納棺師 」 という未知なる種目にチャレンジしていく

     「パフォーマンス系映画」 の一種

                      のようなものだと早合点していました。

しかし、実際は、

 「父親」 という大きなトラウマの前に 「頑なになっていた魂」  を
 「納棺師」 となったことで解き放ち、自らが 「父親」 となる決意をする

       「連綿と続いていく命」 の物語

                       であったと結論付けたいと思います。




次回は 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 のレビューに挑戦です。

http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-97.html

 

クリエイティブな刺激をあなたに・・・

 投稿者:脚本化・狼  投稿日:2009年 8月 1日(土)00時03分56秒
  たいへんご無沙汰しております、「狼」です。
周知かも知れませんが、インディーズでひっそりと活動している脚本家です。
この場を借りて、宣伝させて下さい。

***

私のサイト「SHOCKFREE」は現在、「私」をモチーフにした、気鋭のクリエイターの作品を月一で連載しています。
これは、私の「ユニークなPR」を目的としています。
作品のPRや、CM制作に気鋭のクリエイターを起用するのは企業の常套手段ですが、
それをインディーズで、ましてや個人が試みるのは珍しいのではないか? と、考えています。
クリエイターの人選にもこだわっています。
作品を手がけているのは、全員、プロです。ツワモノを一堂に揃えました。

最近、「i-phone」のCMに映画監督のデビッド・フィンチャーが起用され、素晴らしい作品に仕上がりましたが、
あの手法だと、映像に興味がある人以外、アピール出来ないという弱点があります。
その点、私の人選は幅広く、多ジャンルに及んでいる為、映像にしか興味ない人、活字にしか興味ない人、全てのターゲットをカバーしています。
若干、偉そうに聞こえるかも知れませんが、

「今、私のサイトは熱い」

そう、勝手に思い込んでいます。
是非、この熱さを堪能して頂きたいのです。
この企画は、2010年5月まで続きます。
その間、毎月、新鮮な作品をリアルタイムで見る事が出来ます。
これは、なかなか貴重な体験ではないかと思っています。
興味ある方は、是非、ご一読下さい。以下サイトにて、ご覧になれます。
(※ナビゲーションにある「お楽しみコンテンツ」というのが、そうです)

http://www.shockfree.org

なお、狼の最新情報をお届けする「流れ星、来る!」というメルマガが御座います。
こちらも併せて読んで頂ければ、一層、「お楽しみコンテンツ」を楽しむ事が出来ます。
ご希望の方は、以下ページにて購読手続きを行って下さい。

http://www.shockfree.org/mmagazine.html

長々と失礼しました・・・。
狼は今後も精力的に活動します。

何卒、宜しくお願いいたします!

http://www.shockfree.org

 

緋牡丹博徒

 投稿者:オイカワ  投稿日:2009年 7月14日(火)20時57分48秒
  マークさんの「緋牡丹博徒 花札勝負」の感想は興味深かったです。というか、加藤泰の魅力がすごくよく伝わってきました。以前一度観ているような気もするのですが、読んだら観たくなっちゃいました。  

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