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クリエイティブな刺激をあなたに・・・

 投稿者:脚本化・狼  投稿日:2009年 8月 1日(土)00時03分56秒
  たいへんご無沙汰しております、「狼」です。
周知かも知れませんが、インディーズでひっそりと活動している脚本家です。
この場を借りて、宣伝させて下さい。

***

私のサイト「SHOCKFREE」は現在、「私」をモチーフにした、気鋭のクリエイターの作品を月一で連載しています。
これは、私の「ユニークなPR」を目的としています。
作品のPRや、CM制作に気鋭のクリエイターを起用するのは企業の常套手段ですが、
それをインディーズで、ましてや個人が試みるのは珍しいのではないか? と、考えています。
クリエイターの人選にもこだわっています。
作品を手がけているのは、全員、プロです。ツワモノを一堂に揃えました。

最近、「i-phone」のCMに映画監督のデビッド・フィンチャーが起用され、素晴らしい作品に仕上がりましたが、
あの手法だと、映像に興味がある人以外、アピール出来ないという弱点があります。
その点、私の人選は幅広く、多ジャンルに及んでいる為、映像にしか興味ない人、活字にしか興味ない人、全てのターゲットをカバーしています。
若干、偉そうに聞こえるかも知れませんが、

「今、私のサイトは熱い」

そう、勝手に思い込んでいます。
是非、この熱さを堪能して頂きたいのです。
この企画は、2010年5月まで続きます。
その間、毎月、新鮮な作品をリアルタイムで見る事が出来ます。
これは、なかなか貴重な体験ではないかと思っています。
興味ある方は、是非、ご一読下さい。以下サイトにて、ご覧になれます。
(※ナビゲーションにある「お楽しみコンテンツ」というのが、そうです)

http://www.shockfree.org

なお、狼の最新情報をお届けする「流れ星、来る!」というメルマガが御座います。
こちらも併せて読んで頂ければ、一層、「お楽しみコンテンツ」を楽しむ事が出来ます。
ご希望の方は、以下ページにて購読手続きを行って下さい。

http://www.shockfree.org/mmagazine.html

長々と失礼しました・・・。
狼は今後も精力的に活動します。

何卒、宜しくお願いいたします!

http://www.shockfree.org

 

緋牡丹博徒

 投稿者:オイカワ  投稿日:2009年 7月14日(火)20時57分48秒
  マークさんの「緋牡丹博徒 花札勝負」の感想は興味深かったです。というか、加藤泰の魅力がすごくよく伝わってきました。以前一度観ているような気もするのですが、読んだら観たくなっちゃいました。  

緋牡丹博徒 花札勝負 1

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 7月 8日(水)22時47分46秒
  今作の鑑賞は

      冒頭から 【 ローアングルの深遠なる世界 】     に 狂喜し、

      やがて  【 奥床しさが漂う任侠映画であること 】  に 驚嘆し、

      後半は  【 加藤泰作品の共通項探し 】       に 興じた


                          充実の映画体験となりました。



今作はしょっぱなの1カット目から、容赦のない 「ローアングル」攻撃が炸裂し、
その2カット後の、映画開始早々の3カット目には

     【 ローアングルによる 「3D」 効果 】  そして、

     【 ローアングルによる 「斜め上」 の構図 】

                      とも言うべき表現訴求のエッセンスを
                          感じ取ることができたのです。



線路内、2本のレールの真ん中を 緋牡丹のお竜さん が白い着物姿でこちらに歩いて来ます。
そして、その手前の踏み切りを横切りながら 盲目の少女 がフレームインしてきました。
カメラは地面に埋めたような極端なローアングルであるために、遠くにいる お竜さん の全景を捉えても、カメラ近くを横切る 盲目の少女 の姿は腰から下の足の部分しかフォローしていないのです。

       全景の お竜さん  と、
       顔が隠された 盲目の少女。

この非日常的な構図が非常におもしろく、
また、お竜さん が奥から手前に向かって線路に沿ってやって来る

       縦の運動 と、

盲目の少女 が踏み切りを右から左へと横断する

       横の運動

との重なり具合がとっても興味深く、映画開始3カット目にして、ボクは早くも 映画的興奮 を得たのでした。


この映画的興奮を考察してみると

遠くに全景で捉えた お竜さん に対し、カメラ近くを歩く 盲目の少女 は画面上では大きな面積を占めてはいるものの、肝心の顔は写っていないのです。
どんな女の子なのかな? と疑問を生じさせる表現によって、 盲目の少女 の存在感を増幅させているこの演出に対して、ボクは

       「遠近法」 の誇張
                   を感じることができたのです。


「遠近法」 とは

近くにあるものを大きく描き、遠くのものを小さく描いて、
遠くのものと近くのものとの間にある 奥行きを表し、
立体感を表現する絵画の手法である。
                           と理解しておりますが、


普通のカメラ位置で撮影されたありきたりな 「縦の構図」 よりも、
今作のようにローアングルによって身体の一部を画面上に大胆に配置し、
非日常的な切り取り方をされた 「縦の構図」 の方が、

       近くにいる少女の存在感が より強調され、
       「遠近感」 がより一層    誇張された

                           と感じられたのです。


要するに、お竜さん と 盲目の少女 の客観的な実際の大きさの対比よりも、
ローアングル映像が作り出す

        精神的に与える存在感の違いの方が、大きい。

                           と感じられたのです。

その為、二人の距離感が、実際のものよりも強調され、

        より立体的な3D映像
                       としてボクの右脳に飛び込んできた
                              というわけなのです。

この表現手法をボクは

      【 ローアングルによる 「3D」 効果 】

                  と名付け、大いに評価をしたいと思ったのです。


こんなことを感じていたら、盲目の少女 は突然、横の運動を止め、くるっと左90度曲がって、お竜さん と同じ縦の運動を開始していったのです。

それは、盲目の少女が安全地帯である踏み切りから1段踏み降ろして、危険地帯である線路内に立ち入ってしまうことを意味します。

物語を進行させる上で重要となるこの動きに対して、今作はその極端なローアングルを活用することよって見事なまでにその動作をクローズアップさせてきたのです。
そして、この素晴らしい表現手法によって、ボクは続けざまに大きな映画的興奮を獲得することになったのです。

この再びの、映画的興奮を考察しますと、
今回のローアングルは、進行方向を変える 「作用点」 となる少女の足元を直接的に映し出せるカメラ位置となっており、しかも、今作の地面スレスレの極端なローアングルによって、足元にある 1段 の 「高さ」 と 「重み」 をしっかりと目撃させることができる

     稀有なカメラ位置   となっていたのです。

これによって 「安全地帯」 と 「危険地帯」 との境界線を彼女が越えてしまう切迫感を、

     直感的に       視聴者に植えつけることができたのです。

通常のカメラ位置では、このような地面に接した足元での出来事はフォローし切れない領域であり、それ故、この動作を強調しようとすると、足元のアップをカットで抜くか、さもなければティルト・ダウンを施すか、場合によっては移動撮影を仕掛けることになり、当然のことながらリズム感を損なうなどして、

     わざとらしい演出   になりかねないものですが、

驚くことに、今作は 「少女の登場」 から 「方向転換」、そして 「一段降り」 までを据えっ放しの1カットで表現をしてきたのです。
しかもカメラ位置が極端に低いローアングルであるために、少女の足元と、その少女の動きを気にしている お竜さん の存在さえも

     同一カットに表現   することに成功していたのです。


     近くのものは低い位置を捉え、
     遠くのものはそれより高い位置のものを捉えやすい

                        このローアングルの特長を十分に
                              活用していたのです。

この特長を言い換えると、
先ほど 「縦の構図」 という言葉を使って、奥行きの表現について話しましたが、
今作に活用されている構図は

      【 ローアングルによる 「斜め上」 の構図 】

                        と表現できるのではないでしょうか。

近景、中景、遠景 が織り成す位置関係を 奥行き という一つのベクトルで統制している

   「縦の構図」 に、
          「高さ」 という、もう一つの方向性が加わって、

   「斜め上の構図」 という
           空間を多重の指標によって制御している、興味深い映画世界が、
           今作においては展開されていったのです。


一概には言い切れませんが、

        「近景は下部、中景は中部、遠景は上部」

                            を重点エリアとする

斜め上に向かっていくラインを意識させる 「斜め上の構図」 の世界観に強く興味を引かれたのでした。

盲目の少女の登場、そして方向転換と一段降り。 この一連のたった9秒の出来事ではあったのですが、この映像は今作を鑑賞していく上で表現上のキーとなる

      【 ローアングルによる 「3D」 効果 】 と

      【 ローアングルによる 「斜め上」 の構図 】 の

            萌芽を感じ取ることのできた、開始早々3カット目で見つけた
            わかりやすいサンプル映像となっていたのです。


そしてこの2つのローアングル世界は様々な場面で活用され、このサンプル映像よりもその表現効果を増大させているカットに遭遇していくことになるのですが、その度ごとに語っていくと


   【 奥床しさが漂う任侠映画であること 】  と  【 加藤泰作品の共通項探し 】

                   について書くスペースが無くなってしまうので

うづうづする気持ちを抑えながら、先を急ぐことにします。
 

緋牡丹博徒 花札勝負 2

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 7月 8日(水)22時37分9秒
  先を急ごうと思いつつ、素晴らしいカットに遭遇してしまうと、どうしても思いを巡らさないわけにはいかなくてしまいました。

「珠玉の9秒」の 1分45秒後、善玉たる西乃丸一家 への お竜さん の「仁義」のシーンにおいて、素晴らしいシークエンスは再び展開されていきました。
実は、このシークエンスをキッカケとして、ボクは今作に漂っている、ある種の 奥床しさ を感じ始めたのです。

普通の監督なら、「仁義」という見せ場はドーンと正面から全身ショットを撮りたいところなのでしょうが、今作の監督である加藤泰監督は全く違っていました。
彼は仁義を切る お竜さん を ちょっと離れた隣の土間から横位置で、大きな暖簾ごしに見ていたのです。
暖簾がめくれると お竜さんの顔が現れて、閉じると顔だけ見えない。
この表現方法に触れて、不思議な言葉の組み合わせになりますが、何とも

     “ 奥床しい 仁義 ”   として受け留めていったのです。

次の2カット目は お竜さんの顔が映し出されるはず、と思いきや、今度は お竜さん の反対側にカメラが回り込んで相変わらずの、ちょっと距離感を保つ横位置カットとなっていきました。
3カット目こそは お竜さん のアップだろうと思ったこのカットは その仁義 を真摯に聞き入る 受け人 の姿を正面に据えてきたのです。

しっかりと前を向き、正座で両手こぶしを床についた誠意ある態度で お竜さん の口上を請けたまわっているのです。

お竜さん 「(略) 渡世修行中のしがなき女にござんす。行く末万端、
      お見知りおかれまして、よろしくお引き回しのほど、おねがい致します。」

受け人  「ご丁重なるご挨拶に遅れましての仁義、失礼さんにござんす。手前 (略)
      杉山貞次郎に従います、若造です。(略) 渡世の道はいまだ修行中のし
      がない者でございます。以後、お見知りおかれましてお引き立て下さい。」

このような文章にしてしまうと、ありきたりな仁義の口上でしかないのでしょうが、ゆっくりと、しっかりとした口調と、独自な抑揚の付け方によって、何故かしら、

       格調の高い伝統芸能
                       を鑑賞しているような、
                       あらたまった気持ちになったのです。

そして、このシークエンスの雰囲気を端的に表すものが仁義の終盤、上記のセリフつながりで姿勢を直す時の二人の間で交わされた会話にみることができました。


お竜さん  「ありがとうござんした。受け人さんよりお手をお上げなすって下さい」

受け人   「ありがとうござんす。ではご一緒に手をあげましょう」


この奥床しさが、他の任侠映画と今作を分かつ大きな要因なのかもしれないと感じ初めたのです。
そして、仁義という見せ場をまっ正面から見据えるようなことはせず、距離を置き、少しづつ近づいてくる、そんな奥床しい演出に加藤作品の品格を見た思いだったのです。

とこのようなことに感じ入っていたら 嵐寛寿郎氏 が善玉親分として登場をしていきました。
ここで 今作特有の任侠世界にある 奥床しさ とともにボクは

     【 加藤泰作品の共通項探し 】

                      に興じ始めていったのです。

今作は緋牡丹博徒シリーズの第3作目にあたるのですが、今作の続編的な作品で、同じ加藤泰監督によるシリーズ第6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 にもアラカンさん は お竜さん が客人として身を置く一家の昔気質の親分として登場していました。
そして、緋牡丹博徒シリーズではないのですが、今作の加藤泰監督による名作、 「明治侠客伝 三代目襲名」 にも善玉親分として登場していたのです。
その類似したキャラクター設定からボクの脳裏に、

      ある共通の展開
                  がどうして浮かび上がってしまったのです。

その、ある共通の展開とは、上記の 「緋牡丹博徒 お竜参上」 と「明治侠客伝 三代目襲名」 の2作品とも アラカン親分は、反目する悪玉一家の策略によって襲撃され、生死を彷徨う重傷を負わされてしまったのです。

     2度あることは3度あるのか?
     それとも、五体満足のままで今作のエンディングを迎えることができるのか?

今作を鑑賞する上で、こんなことに留意するのは邪道なのでしょうが、同じ加藤泰作品つながりで、見守っていきたいと思ったのでした。


やがて、緋牡丹シリーズの重要な相手役となる、旅人(たびにん)役の 高倉健さん が登場してきました。
初登場シーンは、 お竜さん と 西乃丸一家の人間に対して、反目する悪玉一家の住所を尋ねる場面となるのですが、ここでも今作で感じた特有の

      奥床しさ
              を感じることができたのです。

西乃丸一家の人間は 健さん を反目する悪玉一家の関係者として邪険にあしらうが、 お竜さん は誠意を持って道を教えてあげ、しかも、雨の中、傘を持たない 健さん に自分の傘までもを貸してあげようとします。
当然のように 健さんは 「 ご親切だけいただいてまいります。 」 と遠慮しますが、結局はお竜さんの親切を受けていきました。
その様子を見ていた西乃丸一家の人間は自分の言動を反省。
お竜さん も最初は良い気はしなかったが、

    「 折り目の正しい旅人(たびにん)さんには、なんも罪はなかですばい 」

                   の心意気で接していたというのですのです。

実際の任侠の世界を知る由もありませんが、このような娯楽としての任侠映画は、主人公は聖人のようにどこまでも善良で、悪玉はあくまでも悪どいという極端な構図を作ってくるものですが、このシーンはそんな傾向を割り引いて見ても、語ってきた世界観は実に 奥床しい ものとしてボクは受け留めたのです。

そしてこのシーンにいて、お竜さん から 健さん へと傘を受け渡す手元のアップをたっぷりと見せてきたところから、反目する一家の客人同士の ロミオとジュリエット 的な人間関係が生まれる予感を感じ取ることができたのです。

そして、この予感は先ほどの アラカン親分 にみる不幸な連鎖と同じように、一つの共通な展開を予感させていったのです。それは、加藤泰作品において

        任侠映画の中での 「男女の機微」   を描く時は、

        「川」 が舞台として選ばれている    偶然だったのです。

先ほども引き合いに出した加藤泰監督のシリーズ6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 に燦然と輝く名場面、
雪降る今戸橋での お竜さん と 旅人(たびにん) の菅原文太さん の間で交わされた一本筋が通った、しかし情感に溢れた素晴らしいシーンは 今戸橋という 「川」 の上でした。
そして前出の 「明治残侠伝 三代目襲名」 において 鶴田浩二さん 演じる主人公と情感を交わすのが、 お竜さん というキャラクターを得る前の 藤純子さん その人だったのですが、その舞台も夕焼けが美しい 「川沿い」 の道だったのです。 そんな

      偶然が重なる中で、

今作において、お竜さん と 健さん が出会う、この雨の場面は、背景に鉄道橋が配置された場所で、その下には鉄道橋と交差する小さな木橋が奥に見えるのです。
そして お竜さん が道を教えているときに、 「この堀川ば真っ直ぐ・・・・」 とのセリフがあることからこの舞台が水まわりの場所であることがわかります。
数少ない加藤泰監督による任侠映画の鑑賞歴をフル動員して推察いたしますと、きっとこの場所が、お竜さん と 今回のスペシャルゲストであるところの 健さん との、

      男女の情感を育てる場所
                         になるのだろうと、
                         直感的に理解をしたのです。

やがて、この直感は アラカン親分の受難 という予感と共に実現されていくことになりました。
それは、健さん が悪玉親分への渡世上の義理に縛られて、アラカン親分 への刺客にされる前に、この鉄道橋下で お竜さん を待っていた という展開をみせていくのです。
これによって今作の言わば 裏鑑賞テーマ としていた

    2つの予想が矢継ぎ早に的中
                  したことによって
                  ボクは大きな興奮を得ることができたのでした。

鉄道橋下のシーンでは、ファーストシーンで登場した盲目の少女の目の手術を巡る会話を通して二人は心を交わしていったのです。
出会いのシーンは雨でした。そして、別れを秘めたこのシーンでは はらはらと雪が降っています。
雨のシーンでは、傘を持たない 健さん に お竜さん が傘を貸してあげていましたが、
今回は、その逆で、傘を持たない お竜さん に 健さん が傘を差し出すという行動が用意され、

     同じ気遣いを互いにかけている、

                 そんな心の重なり様が見て取ることができました。

そしてこの後、健さん が アラカン親分 の刺客となることで、二人の関係性が変容してしまうことを考えると、何とも切ない気分になってくるのでした。

このように、二人の叶えられない感情を盛り上げる準備は万端整っていました。
しかし、今作の 男女の機微を訴求するシーンは、背景に鉄道橋が重くのしかかるビジュアル設定としてしまっているために、叙情的なヌケの良さがなく、他の2作品、
「明治侠客伝 三代目襲名」 にみる、夕焼けが美しい 「川沿い」の道や、
「緋牡丹博徒 お竜参上」  の珠玉のシーン、雪降る今戸橋が実現した、

      任侠世界の中での サンクチュアリ (聖域)

までには昇華していなかったように感じて、大いに残念に思いました。
恐らく、今回の未消化を踏まえたからこそ、加藤泰監督は今作の続編的作品であるシリーズ第6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 において 雪の今戸橋 という美しさを実現できたのではないかと思えたのです。


もう一つの共通項である、アラカン親分受難のシーンは、文句の付けようもない素晴らしい出来映えとなっておりました。

何と言っても アラカン親分 の刺客となるのがゲスト主演たる 健さん なのですから、他の2作品とは比べものにならない重みがあったのです。

「明治侠客伝 三代目襲名」 では 物語上重要でない者による背後からの不意討ち。
「緋牡丹博徒 お竜参上」  では、その他大勢によるヤミ討ち。であったのに対して、
今作は刺客となる 健さん の苦悩を映しつつ、正々堂々の1対1の真っ向勝負が行われていったのです。
その際の、刺客である 健さん と アラカン親分 の間で交わされた言葉が、お竜さん の仁義の場面で、そして、健さんに傘を貸してあげるシーンで、様々な場面において感じた、

    一本筋が通った、奥床しさ
                      に満たされていたのです。

健さん   「(中略) 親分さんに不本意なお願いがありまして、やってまいりまし
        た。渡世上、親分さんに恨み辛みは一切ございません。のっぴきりならね
        え義理で命をいただきに参りました。差しで勝負お願いします。どうか、
        ドスを取っておくんなさい。」

             (いきりたつ子分たち)

アラカン親分「 筋を通った挨拶をしてなさるお人の前で、不躾なまねはやめな。
        手出しするんじゃねえぞ。
        (略・健さんに向かって) どっちが倒れても、この場限りにしょう
        ぜ。」

と、アラカン親分は健さん の勝負に臨むことになるのです。
ここには、ヤミ討ちや騙し討ちなどというものが介在する余地などなく、折り目正しい、男の勝負を挑む 健さん と、その心意気に 死を覚悟して受けて立つ アラカン親分 の姿があるのです。

     奥床しい。
              場違いな言葉かもしれませんが、
              ボクにはしょうがなくも、そう思えてしまったのです。

渡世の義理のために刺客となり、そして、相手の心意気に対して死を覚悟して決闘を受ける。
尋常では理解できない世界ではありますが、二人の男の魂の対峙の前に、襟を正す気持ちになったのです。

重傷を負いながら 悪玉一家への報復を諌めるのは、他2作のアラカン親分と同じですが、そんな身でありながら、「勧進賭博」 という公の場を取り仕切り、出血を抑えながらの気丈な振る舞いを見せ、そして死を迎える展開は、

     荘厳な迫力に満ちて、

            他の2作とは比べ物にならないほどの充実ぶりだったのです。

「男女の機微」 という側面では残念な結果であった今作は、「アラカン親分の受難」 という側面で捉えると、非常に素晴らしい出来だと高く評価します。
 

緋牡丹博徒 花札勝負 3

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 7月 8日(水)22時30分5秒
  忍耐に忍耐を重ねた末に、今作はとうとう

     悪玉一家への殴り込み  という
     カタルシス
               へとなだれ込んでいきます。

この流れは任侠映画におけるお約束の展開となっており、まるで水戸黄門における 「葵の印籠」 的な

     クライマックス終結方法   とも言えます、

この一番の見せ場に至って、突如としてその存在感を飛躍的に大きくしていった人物がいたのです。
それはシリーズの脇役的人物であり、今回は終盤になってやっと登場した 不死身の藤松 という存在だったのです。
彼は お竜さん の兄貴分である 道後の熊虎 の子分という立場ですが、悪玉一家に一人で殴りこむ お竜さん の気持ちを察して同行を申し出るのです。

たったこの1シークエンスだけで 不死身の藤松は、今作のゲストスターである 健さん を、ボクの心の中で大きく超えていってしまったのです。

雪降る中を一人、悪玉一家に殴りこみをかけようとする お竜さん に傘を差し出す 不死身の藤松 。

藤松 「叔父貴(自分の親分の兄弟分だから お竜さん をこう呼ぶのでしょう)、
    お供しまっせ。  (中略)  行くな 言われても行きまっせ。叔父貴 一人行
    かせて四国にのこのこ帰ってみなはれ、 わい、親分に絞め殺されますがな。」

と朗らかに、笑みさえ浮かべて言うのです。お竜さん をはじめ 健さん、そして アラカン親分 の主人公級の方々は勿論ですが、今作においては、不死身の藤松 や冒頭の 仁義の受け人 など、脇を固める存在までもが、

     奥床しく
             振舞っていくのです。

そして 不死身の藤松 が 「わい、親分に絞め殺されてますがな」 と殴りこみ同行の意志を告げ終わった瞬間、流れるんですよ。
何がって? 緋牡丹のお竜 のテーマソングが流れるんです。 あまりにも絶妙のタイミングだったものだから、背筋がブルッと振るえる感覚に襲われました。

雪降る中、お竜さん に傘を差しかけながら、テーマソングを従えて、殴りこみの道中をいく 不死身の藤松 を

      カッコイイ
               と心底思ったのです。

しかも、今作において相手を気遣う象徴として捉えた 「傘」 という小道具を持ちながらの道中ですからなおさらズルイ。

これでは 不死身の藤松 に食われてしまうと心配した瞬間、定石通りに今作のゲストスターである 健さん は、悪玉一家への殴りこみに、お竜さん達の助っ人として大立ち回りを演じていったのです。
よしよし、と鑑賞していくと、 あれ! あれ? 不死身の藤松 にポイントを持って行かれそうだから

     焦ったのでしょうか?

ゲストの 健さんが、シリーズ主人公の お竜さん を差し置いて、何と、今作の悪の象徴である悪玉親分を成敗してしまったのです。

この瞬間にボクは非常に残念な思いに打ちのめされていきました。
なぜなら、この瞬間に今作は 「緋牡丹博徒」 という独自の美学を持った任侠映画ではなくなってしまい、健さん が主人公を務めている 「昭和残侠伝」 や 「日本侠客伝」 という他の任侠シリーズに変容してしまったと感じたからなのです。

冒頭の お竜さんの 仁義のシーンで、そして、雨の鉄道橋の下で、アラカン親分受難の場面で感じていた今作の美徳である

     奥床しさ
            をかなぐり捨てて、

「俺が東映のドル箱スター。 高倉健 だ!」 と 「緋牡丹博徒」 の映画世界を乗っ取らんばかりの出しゃばりようには、正直、失望をしてしまったのです。

そして、健さん が悪玉親分を討ってしまったことによって生じる

    構造上の不手際も
               露呈されていったのです。

それは、この選択をしたことによって、不本意ながら悪玉親分によって刺客をやらされた 健さん の恨みのみが強調されてしまい、アラカン親分 の不幸や、本文では触れていませんが、一人殴りこんで死んでいった 受け人さん や 盲目の少女の母親である “ニセお竜” の無念 がどこかに行ってしまったと感じるところにあります。
彼らの気持ちを代弁してくれる

     唯一の存在

である お竜さん によって悪玉親分がトドメをさされなかければ、全ての恨みが未消化のままで、宙ぶらりんなエンディングを描いてしまうと言うのに、このような構造的とも言える感情の面での不整合が発生してしまったのです。

この行為は 助さん や 格さんが

     黄門様をないがしろにして
     「葵の印籠」 を勝手に掲げて、悪代官を懲らしめてしまったようなもの

                              といえるでしょう。

     うーん、しっくりこない。


様々な映画的興奮をもたらしてくれた今作ではありましたが、終盤にして突如として今まで積み上げて来た稀有な世界観を投げ打って、釈然としないままに終わりを告げていきました。
「あーもったいない! あの出しゃばりさえなかったら完璧だったのに」、と嘆いても仕方がないことですので、ボクの脳内では、悪玉親分を殺ったのは、今作の主人公 お竜さん であった。ということに変換しておいて、強引に納得をさせたのでした。



              今作を総括すると、


映像演出的には   【 ローアングルの深遠なる世界 】    に 狂喜し、

人物描写的には   【 奥床しさが漂う任侠映画であること 】 に 驚嘆し、

個人的には     【 加藤泰監督作品の共通項探し 】    に 興じた


                        素晴らしい映画体験となりました。



加藤泰監督作品で未見である

       シリーズ7作目  「緋牡丹博徒 お命頂戴します」 にも

                 アラカン親分 が出演をされていることですので、
                 機会があれば、「アラカン親分の受難」 が

       4たびに渡って繰り返されるのか?

そして、7作目 「緋牡丹博徒 お命頂戴します」 の旅人(たびにん) さんである 鶴田浩二氏 との間で交わされる であろう 男女の機微が、 「川」 がらみの場所で進行し、

        無垢なる 聖域(サンクチュアリ) を形成していくのか?

               について観察をしてみるのも、一興かな? と思いつつ
               今作のレビューを終えるのでした。


次回は 「おくりびと」 をアップさせていただきます。

http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-93.html

 

バタフライ・エフェクト1

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 4月19日(日)11時33分23秒
  更新おめでとうございます!

で、今回は「バタフライ・エフェクト」 をアップさせていただきます。




惜しい、実に惜しい 。


これが今作を鑑賞し終えたボクの率直な感想でした。



■ 「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」
            このカオス理論にインスパイヤーされた今作のプロットは良い。

■ オープニング・タイトルもイマジネーション豊かで秀逸な出来だ。

■ エンディングも情感に訴える素晴らしいものであった。



が、しかしだ、この素晴らしい要素を結びつけるべきディティールの数々が、残念ながらボクの期待をことごとく裏切っていったのです。


今作の出だしは非常に素晴らしく、今後の展開を大いに期待させるものではあったのです。
主人公である エヴァン が追っ手から逃れる緊迫感あふれるシーンから始まり、オープニング・タイトルに至っては

   「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側では台風を起こすこともある 」

          というカオス理論から発想を得た秀逸な内容となっていたのです。



「蝶の羽ばたき」 が、やがて 「右脳と左脳」 の非対称のいびつな収縮運動にリンクしてきたことによって

   「脳の機能に大きな関係が生じてくる」

                  ことを予感させる秀逸なタイトルでありました。


そして矢継ぎ早に今作は、このオープニング・タイトルから一転して、カラッとしたアメリカの典型的な住宅街に場面が急展開をしていったのです。
追っ手から逃れる緊迫のオープニング・ショットから始まって、 「蝶」 と 「脳」 をフューチャーした秀逸のオープニング・タイトルにかけて、 「渋い色彩」 が続いたところに突然、ヌケの良い景色が登場したワケですから、ボクの心の中は

    ハッとするような開放感に
                     溢れていったのです。

向こうからスーッと伸びてきている坂道がこちら側に迫ってきて、その坂の上からMTBに乗った2人の少年が疾走してきました。
どちらかと言えば 「陰」 な映像が続いていたところに、一転しての晴れやかで心躍る映像が提示されてきたことに、 対比の妙 を感じ、今作に対する期待はますます高まっていったのです。
2台のMTBがドンドン近づいてきます。爽やかなスピード感に乗って、しばらくは 「夢の世界」 が提示されるんだ、
と確信した瞬間、MTBはあっと言う間にボクの視界を通り過ぎ、フレームの外へフッ飛んで行ってしまったのです。

    んっ !!   どうしたんだ ?


信じられないことに、カメラは勝手にMTBへのパンニングを止めてしまったのです。


残念ながら、今作の興味はパンニングの途中にいる今作の主人公、7歳時のエヴァン が庭先で愛犬と戯れているシーンに移っていってしまったようなのです.........。


惜しい。
実に、惜しい。

心の底からそう思いました。



緊迫のオープニング、抽象的なタイトル・バックと続き、それらを 軽やかなスピード が引き継いで本編が開始されていくはずと、期待が大きく膨らんだ矢先に、 MTBを放棄し、 スピード という高揚感をあっさりと捨ててしまった今作の制作陣の選択に疑念を持ってしまったのです。

庭で愛犬と停滞している主人公の映画なんかではなく、MTBで疾走していく二人の少年の映画を観てみたい衝動に駆られたのです。  「停滞」 と 「疾走」 どちらかをチョイスできるとしたら、ボクは迷わず

     晴れやかなスピード
                  を選んだことでしょう。


今作は、序盤においては非常に素晴らしい印象をボクに与えていきました。しかし、本題が始まると、 いや、このように本題が始まる一瞬前から、ボクの期待と大きなズレを生じていったのです。
そして、このズレを脳内で修正していくことが、今作を鑑賞する上での一番大きな作業となっていったのです。


気を取り直して鑑賞を続けていくと

       「記憶喪失」 というキーワード

                       が登場してきました。

 「バタフライ・エフェクト」 というカオス理論からの題名と 「蝶」 の羽ばたき、そして 「脳」 の収縮 というパーツが本格的に連携し始めてきたのです。

「記憶」 をめぐる映画 ですから、「記憶喪失」 というキーポイントを時間軸に沿ってしっかりと理解していかなければ、

      制作者のメッセージ

                 を受け止めることができない、と直感したのです。


そう思っているうちに、今作には

      20歳 という 現在 と、
       7歳 という 子供時代。 そして
      13歳 という 思春期。

                 この3つの異なる時間が関与し始めていきました。


混乱しないように、主人公が直面する 「記憶喪失ポイント」 を時間軸に沿って整理してみることにします。

7歳時に発生した 「記憶喪失ポイント」 は

   《 1番目 ・ 殺人の絵 》
            授業中に発生。
            「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた

   《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
            自宅で発生。
            キッチンで包丁を (殺意ありげに) 持っていた

   《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
            幼馴染の 妹ケイリー、兄トミー の家の中で、彼らの父親に
            いかがわしいビデオ撮影をされる際に発生

   《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》
            精神病院へ父親を面会した際に発生。
            気が付くと父に首を絞められていた

という以上の4点。
そして、それから6年後。13歳の思春期を迎えた時間には
7歳時にも登場した、幼馴染の 妹ケイリー 、兄トミーが重要な役割を演じていきます。

   《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
            粗雑な 兄トミー 主導で他人の家の郵便受けを
            ダイナマイトで吹き飛ばす甚大なるいたずらの最中に発生。

   《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》
            主人公エヴァン と 妹ケイリー のキスに激高した
            粗雑な 兄トミーが、エヴァン の愛犬を焼き殺す場面で発生。

このように、7歳時の4点と、13歳時の2点。 計6点の 「記憶喪失ポイント」 が提示されていったのです。 そして次には、この 「記憶喪失ポイント」 を核として 今作を推進していく

     「映画のルール」
                 が提示されていきました。


それは

 “自分の日記 ( 「記憶喪失」 発生時ににその状況を書き留めておいた )を
  読み返すと、 その 「記憶喪失ポイント」 に時空を超えてタイムリープを
  することができる。”

                                           というものでした。


今作の映画世界は、この 「映画のルール」 によって完全支配されることになるのですが、その側面から今作の展開を推察していくと、

20歳の心を持った エヴァン が

7歳時に起こった 「記憶喪失ポイント」

          《 1番目 ・ 殺人の絵 》
          《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
          《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
          《 4番目 ・ 精神障害の父からの殺意 》      に加え、

13歳時の
          《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
          《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》

という6個の 「記憶喪失ポイント」 にタイムリープをして、失われた記憶を埋めていく
というものになるようです。




↓ 制限文字数で語りきれず、あと2回に分けています
 

バタフライ・エフェクト 2

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 4月19日(日)11時12分47秒
  続きです


やがて、今作の映画世界を推進していくための 「映画のルール」 が提示された次には、この 「映画のルール」 を駆使して成し得るべき、映画の到達目標点とも言える、

      「主人公の目的」

                 が提示されていきました。


 エヴァン は、失われた記憶を確認すめるために、13歳時にサイドミラー越しの別れを演じた幼馴染の ケイリー と7年ぶりに再会をしました。 ケイリー の父親によってなされた

7歳時の
    《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
               幼馴染の 妹ケイリー、兄トミーの家の中で、彼らの父親に
               いかがわしいビデオ撮影をされる際に発生

の事実を確認したところ、彼女の封印していた悲しい記憶を呼び覚ましてしまったのでしょう。 結果的に彼女を自殺に追い込んでしまったのです。

ここで、 「記憶喪失ポイント」 の種まきに終始していた今作に、成し得るべき到達点である「主人公の目的」 が提示されていったのです。

それは、タイムリープという 「映画のルール」 を活用して過去に戻り、その過去を変えていくことで、命を落としてしまった

     ケイリー を救うこと
                    だったのです。


当然のことながら エヴァン は ケイリー を自殺に追い詰めるほどの大きなトラウマを焼き付けた、7歳時の

     《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》

という 「記憶喪失ポイント」 に 戻って行くのです。そして、いかがわしい撮影をしようとする ケイリー の父親を一喝し、その行為を封印させたのです。
過去を変えた瞬間に、7歳時のその時点から エヴァン と ケイリー の今までとは違った人生が走馬灯のように提示され、夢から覚めたように、全く異なった20歳の エヴァン が始まっていたのです。

過去に戻ってトラウマを払拭させたことによって、幼馴染の ケイリー は、前回の人生での冴えないウエィトレスなんかではなく、華やかな女子大生としての人生を謳歌していたのです。  ここでオープニングに提示された

   「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」

                      の意味を実感することができるのです。

7歳の時に ケイリー の父親を一蹴し、いかがわしい撮影をさせなかった という
「小さな蝶のはばたき」 で、 ケイリー はキャピキャピの女子大生となり、エヴァン とナイスカップルというバラ色の人生へと、プラス方向の 「台風」 が吹き荒れてたのです。
しかし、今作はここで 「めでたし、めでたし」 の大団円を迎えるわけもなく、ここで マイナス要件としての

    もう一つの 「映画のルール」
                       を突きつけてきたのです。

それは、「何度も過去を変えて不幸を取り除こうとしても、結局は誰かしら不幸に陥ってしまう」 という、興味深いストーリー展開だったのです。
先に紹介した、ストーリーをグイグイと前に進めていく 「タイムリープ」 を

     【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】
                           とするならば、

今回新たに提示された、誰かしら不幸に陥ってしまうという 「映画のルール」 は

     【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】
                           と言うことができるでしょう


タイムリープをして、過去を変えていく
     【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 と

積み上げた物語をリセットする方向に持っていく
     【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が絡み合い、

そこに、7歳時と13歳時の 「記憶喪失ポイント」 が関与をしだして、 なんとも典雅な3重奏の調べを奏でるのです。


とボクはこの時点ではそんな映画体験ができることを真剣に期待をしていたのです......。


前述のように、ところどころに素晴らしい要素が散りばめられた今作ではありますが、それらを結びつけるディティールの数々が、ボクの期待をバッサリと裏切っていったのです。
この思いは、7歳時の

    《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》

を阻止しただけで、エヴァン と ケイリー のバラ色の 「第2の人生」 が始まっていくくだりから既に感じ始めていたのです。
何故なら、 《 いかがわしい撮影 》 という マイナスポイントを是正しても、時制的にその後にくる

   《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》

               を始め、何よりも13歳時に遭遇した 重大な出来事、

   《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
           粗雑な 兄トミー 主導で、他人の家の郵便受けを
           ダイナマイトで吹き飛ばす甚大なるいたずらの最中に発生。

   《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》
           主人公 エヴァン と 妹ケイリー のキスに激高した
           粗雑な 兄トミー が、エヴァン の愛犬を焼き殺す場面で発生。

という、2つの大きな傷跡を残した 「記憶喪失ポイント」 までもが、軽くスルーされていったことに、大きな違和感を感じてしまったからなのです。

ボクは 「時」 というものを

        一瞬一瞬が絶え間なく積み上げられて、
        緻密な関係性を築いた結果が

             「今」 へと結実している、

                      連続的なもの


と思っているのですが、今作においては

      7歳時の 《 3番目 》 とい1点 と20歳時の 「今」 。

                 この2点しか制作者の配慮がなされていない、
                 非常に薄っぺらい印象を持ってしまったのです。

7歳時のエヴァンの 「小さな蝶のはばたき」 が、13歳時のとてつもなく大きな2つの不幸までもをカバーする 「台風」 になったとでも言うのでしょうか?
少なくともボクには、そんな大きな効果が実感できる是正とは思えませんでした。



そしてボクの今作に対する期待が、残念ながら空振りに終わってしまうことを確信したのが、 「第2の人生」 において

   【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】
                によって、エヴァン が犯罪人として投獄されてしまい、
                その窮地から逃れるための

   【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】
                を行使する方法にあったのです。


【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】  を司る 日記帳 を奪われた、スリリングな奪還劇の中で、迫り来る攻撃者を瞬時でかわしながらの タイムリープ は大いにスリリングで、その展開を楽しみはしました。

 でも、

   「時間」 という概念を、
    一つ一つの 「瞬間」 が、時間軸に沿って積み上げられた膨大な


           「積み木構造」    である



と思い込み、 「記憶喪失ポイント」 の順列を意識してきた者としては、今回の移行がドサクサ紛れの無計画なタイムリープであったことに苛立ちを覚え、しかも、行き着いた先が、よりによって最後の 「記憶喪失ポイント」 となる

   13歳時 《 6番目 ・  愛犬の焼き殺し 》 であったことに、

                         大いに失望してしまったのです。


 《 6番目 》 へと一気に移行してしまったということは、スルーされていった

     《 4番目 ・  精神障害の父親からの殺意 》       と
     《 5番目 ・  ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》  の

「記憶喪失ポイント」 に、 エヴァン は必ずこの後タイムリープをし、何らかの是正処置を行うことが容易に予測がついてきます。
そして 「時制的に新しい」  《 6番目 》 は、 「積み木構造」 の土台となるこの 《 4番目 》 や 《 5番目 》 で行われる是正によって、その様相を大きく変えてしまうことが予見できてしまっているのです。
ですから、そんな脆弱な 《 6番目 》 を、こんな早い順番に提示しても、

    誰が真剣に観るというのだろうか !?

                     という疑問に苛まされてしまったのです。


やっぱり今作の制作陣は、  当該 「記憶喪失ポイント」 と 「現在」 という2つの 「時制」 にしか注意を払っていないようなのです。   少なくとも、

  「時間」 という概念を、
   一つ一つの 「瞬間」 が、時間軸に沿って積み上げられた膨大な

         「積み木構造」


               だなんて思ってないことだけは、確かなようです。



ボクは今作に対してもう少し

      「時制」 を考慮した理論的な展開

                     を期待していたのです。


 例えば、

 《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》 という 「記憶喪失ポイント」 から
 【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】  を開始して 「ケイリー の自殺」
 を回避したのなら、そのアドバンテージを保持したまま、 新たに発生した
 「エヴァン の投獄」 を回避するために、次の 「記憶喪失ポイント」 となる

 《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》 に移行。何らかの是正処置に
 よって、「エヴァン の投獄」 を削除し、少しづつ 「主人公の目的」
 (ケイリーや身近な者を救う) に近づけていくという展開を期待していたのです。

  そして当然のことながら、ここでも、どうしても生じてしまう
 【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 によって、時制的に次なる
 《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》   に移行して
 「ケイリー の自殺」 や 「エヴァン の投獄」 のリスクを制御しながら、
 新たな元凶を削除する。 しかしそれでもまた、「主人公の目的」 は遂行できずに
 やっと最後である次の

 《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》  でほぼ「主人公の目的」 は達成する

                        という構造を期待をしたのです。


ついでに言うと、タイムリープは 《 3番目 》 という順番から始めていきましたので、まだタイムリープをしていない、そして 《 3番目 》 より 「古い時制」 となる、 「積み木構造」 の土台である

    《 1番目 ・ 殺人の絵 》
             授業中に発生。
            「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた

    《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
             自宅で発生。
             キッチンで包丁を (殺意ありげに) 持っていた

  への是正によって、今まで築き上げてきた 「新しい時制」 となる
  《 3番目 》 〜  《 6番目 》 で得られた成果が揺らぎながら、思いも    よらないラストが待ち受けているはず。

と 「是正の集積」 と 「突然の転調」 による珠玉の結末までを、密かに夢見ていたのです。


 完結編は次に
 

バタフライ・エフェクト

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2009年 4月19日(日)10時48分35秒
  妄想を告白したついでに、最後までボクの満たされるはずも無かった 「妄想」 に付き合って頂きましょう。
わかりやすく極端な言い方をすると、こんな構成を夢見ていたのです。


          20歳現在 「ケイリー の自殺」 に対して

                    ↓

【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用して 元凶となっていた
   7歳時  《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》   にタイムリープ。

           「ケイリー の自殺」 の元凶を排除

                    ↓

              「第2の人生」 が始まる。
「主人公の目的」 (ケイリー や身近な者を救う) が達成できたと思いきや、
       【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。

              エヴァン が投獄されてしまう。

          (ここからボクの勝手な妄想が始まります)

                    ↓

【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用して 次の4番目の時制である
  7歳時  《 4番目 ・ 精神障害の父からの殺意 》  にタイムリープ。

   「ケイリーの自殺」 を回避したまま、「エヴァン の投獄」 の元凶を削除

                    ↓

              「第3の人生」 が始まる。
 「主人公の目的」 (ケイリーや身近な者を救う)が 達成できたと思いきや 、
        【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。

               何らかの不幸が発生する。

                    ↓

【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用して 次の5番目の時制である
  13歳時 《 5番目 ・ ダイナマイトによるいたずら 》 にタイムリープ。

  「ケイリーの自殺」 と 「エヴァンの投獄」 を回避したままその元凶を削除

                    ↓

              「第4の人生」 が始まる。
            主人公の目的が達成できたと思いきや
       【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。

               何らかの不幸が発生する。

                    ↓

【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用して 次の時制で最後となる
    13歳時 《 6晩目 ・ 愛犬の焼き殺し 》  にタイムリープ。

       今までのリスクを全て押え込みながら、その元凶を削除

                    ↓

              「第5の人生」 が始まる。
        やっと 主人公の目的を達成し理想の形になる。


     しかし、だ。 まだ活用されていなく、「古い時制」 である、
     「積み木構造」 の土台となっている 「記憶喪失ポイント」 、

  7歳時 《 1番目 ・ 殺人の絵 》
            授業中に発生。
           「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた

                    と

 7歳時 《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
               自宅で発生。
               キッチンで包丁を (殺意ありそうに)持っていた

                    の存在によって

                   ↓



             急転直下な終盤が展開される !!



                             といいな.......。


と 極論を言うと、このような 「積み上げ修正型」 の理論整然とした謎解きを夢見てしまったのです。


でも、今作は、緊密で有機的な時間の絡み合いを放棄をし、タイムリープの先々でやらかした失敗のフォーローに終始。ちっとも前に進んでいかないのです。
無計画な行き当たりばったりのタイムリープを繰り返していくうち、映画自体も無配慮で薄っぺらなものになっていってしまいました。

この非常に残念な思いを持ちながらの鑑賞となったのですが、その後に続く杜撰な構成にはほとほと呆れ返ってしまいました。 ちゃぶ台返し的な特権を与えることができる、

   7歳時の  《 1番目 ・ 殺人の絵 》  と
         《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》 が

オープニング早々に視聴者の興味を持続させるだけのツールでしかなく、ストーリーを語る上で全く活用されていない愚行に亞然としてしまったのです。

この行為は誠実に鑑賞をしてきた者に対しての

        裏切りとしボクは受け取りました。

タイムリープを扱うのであれば、その推進役となった 「記憶喪失ポイント」 を無駄に消費するのではなく、もっと真摯に向き合うべきだと強く主張をしたいと思います。

でも、今作にこのような姿勢を求めても全く無駄のようでした。
何故なら、前述のようにうまく機能していない 「記憶喪失ポイント」 が放置されてあったり、逆に、 《 第3番目 ・ いかがわしい撮影 》 に対しては 違う目的で2回に渡って戻り、いじり過ぎて安っぽく、安直な印象を焼き付けられてしまったのです。しかも、2回目の是正措置は オマヌケな失敗 (苦) で終わってしまうし.....。
最後の  《 初めての出会い 》 に至っては 今まで秩序としてきた 日記 とか 「記憶喪失ポイント」 はどこかに忘れ去られて、言わば、ご都合主義的な タイム・リープ によって、絶対絶命の境遇からまんまと脱出をして行ったのです

     ガッカリだな.......。

構造的な落ち度の数々の次には、感情的な面についての不足分を指摘していきます。
今作の 「目的」 は不幸な人生を送り、自ら命を絶ってしまった 幼馴染のケイリー を救うことでした。
しかし、7歳時と13歳時に濃密なエピソードを共有し、サイドミラー越しの 悲しい別れを提示しておきながら、その ケイリー と20歳時になるまで音信不通であったという設定には、ボクは強い拒否反応を起こしてしまいました。
7歳時と13歳時の種まきが、20歳時の今に有機的に反映されていないことに、またもや強い違和感を感じてしまったのです。
そもそもはその程度の思い入れしか ケイリー に対して持っていなかったくせに、自殺という局面に一転して、急に ケイリー を救わなければいけないと思い立ち  【 推進型 「映画のルール」 】 を駆使しだす。
そんな行き当たりばったりの薄っぺらい動機が見えてしまったのです。

せめて、ケイリー を大切に思っていたが、何らかの理由によって会えなかった、もしくは会うのを差し控えていた。という、配慮が欲しかったと思います。そうすればラストの エヴァン の哀しみがもっと増幅して心を打ったことでしょうに.......。

また、極私的な印象としては 「幼児ポルノ」 や 「刑務所での暴力・男色」 というダークな側面は避けて欲しかったと思います。また、暴力的な描写や性描写を意図的に持ってきた点についても同様の思いです。
結局は、今作の終結方法は、「初恋の人を守るために自分の存在を消す」 という純粋なペシミズムの世界に昇華していくわけですから、暗黒面の提示はメリハリを作りはしたが、ストレートな感情発露の大きな邪魔になったとしか思えてなりませんでした。



残念ながらボクは今作に対して


     構成的な面でもっと知的で緻密なパズルにして欲しかった

     感情の面で エヴァン と ケイリー の絆を丹念に描いて欲しかった

     純粋な世界観を照れずにストレートに打ち出して欲しかった。


                 と率直に思わずにはいられなかったのでした。


もしボクが今作の序盤にタイムリープすることができるとしたら、今作のカメラ
オペレーターの腕を引っぱって、坂道を疾走してくるMTBの少年に強引に
パンニングをさせたことでしょう。
ボクのこの 「小さな羽ばたき」 が

     構成面での緻密なパズルを描き、

     感情の醸成を実現し、

     爽やかな印象のまま、あの心に響くエンディングに行き着く

                という 「大きな台風」 となってくれるなら、
                喜んでトライしたことでしょう。


もう一度言おう。


■ 「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」
     このカオス理論の言葉にインスパイヤーされた今作のプロットは良い。

■ オープニングのタイトルもイマジネーション豊かで秀逸な出来だと思う。

■ エンディングも非常に情感に訴えるものがあった。


しかしだ、この素晴らしい要素を結びつけるディティールの数々が、ボクの期待を
ことごとく
裏切っていってしまったのです。




実に、実に惜しい映画でした。


次は「緋牡丹博徒 花札勝負」 をアップさせたいと思っております。

http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-84.html

 

あなたの訪問を待つ!☆ヽ(▽⌒)

 投稿者:shopping2009  投稿日:2009年 3月18日(水)15時58分23秒
  あなたの訪問を待つ!☆ヽ(▽⌒)

http://www.shopping2009.net

 

更新しました

 投稿者:オイカワ  投稿日:2009年 2月 2日(月)21時28分19秒
  ごぶさたです。さぼってすみません。
ようやくマークさんの投稿2本をアップしました。

俺も映画の感想書きます。今度。
映画自体はポロポロ見てはいて、そいで、かなり猛烈に感動したり面白かったりってのがあったので、あとは書くだけ、と。
それがなかなかできないんだけど。
 

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