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アラビアのロレンス 続き
しかし、序盤以降は残念ながら
【 開始30分における、空前絶後のパワー 】
はその威力を穏やかにしていきました。
とは言っても、アカバまでの砂漠横断を決断する神秘的な砂漠の空間や、
砂漠に取り残されたベドウインをたった一人で救出し、召使の少年と再会
するロング横位置の幾何学的なカット。
そして救出に成功したロレンスを讃えた直後に、彼の英国軍服を火にくべて
しまうカットの次の真っ白なアラブの民族服に身を包んだロレンスへの移行。
はたまた、アカバ攻略を1カットで語りきった素晴らしいパンニングショット。
シナイ半島を越えてカイロを目指す一行を待ち構える宗教的寓話にも
なぞらえる砂嵐。
その後の突如として砂漠に現れる大型客船。
と、このように随所に素晴らしいシークエンスが多々ありました。
特に大型客船登場にみるスエズ運河到達のシークエンスは、開始30分の神通力
にも匹敵する素晴らしいものであったのです。
何故なら、【 開始30分における、空前絶後のパワー 】 を構成していた
「大胆にして繊細なるジャンプカット」 と同じように
英国支配 ⇔ アラブ世界 の移動を
一瞬にして表してきたからなのです。
砂漠の地に突然現れた大型客船が表すのは、文明社会の成果物である
スエズ運河に行き着いたということであり、それは自然の摂理に支配された
アラブ世界から離れ、産業革命を成した英国の支配領域に到達したことを
表現していたのです。
それを対比的に表したのが、スエズ運河の対岸から ロレンス達に声をかける
男の存在でした。この人物が跨っている移動手段が
工業製品のバイク
であり、片やアラビアから渡って来たロレンス達は当然のごとく
ラクダに乗ってきた
わけです。バイクとラクダ、この象徴的な乗り物の対比が 支配領域の変化
を際立たせていたのです。
両者の間を満々と水を湛えるスエズ運河が境界線として横たわっている、
そんなシチュエーションで対岸の男は名前を聞くような気軽さで
「君たちは誰だ」 との質問をします。
しかし、指令もなく独断でアカバを攻略し、英国軍服ではなくアラビアの
民族服に身を包んだロレンスに対して
「お前は一体、どちらの属性についているのだ?」
という、ロレンスの内面世界にまで鋭く問いてくるもののように感じました。
また、対岸の人物がバイクに乗っていたという必然も、当然のことながら、
ロレンスの最期がバイク事故であったことに関連づけた演出であったと
断言いたします。
今作の主人公はこの時点ではラクダに跨がってはいるが、紆余曲折あり、
結局は運河のあちら側 (カイロ → 英国) の人間となって死んで
いったことを想起させていたのです。
このシークエンスは
「アラブ」 と 「英国」、
「現在」 と 「未来」、そして
「ロレンスのレゾンディーテル (存在意義)」
についての考察をめぐらせることができる
上質な瞬間だったのです。
しかし、心地よい鑑賞はこの後に提示された 鉄道爆破のカタルシス
を最後に終わりを告げていきました。
今作は英雄的な働きをしながらも、最後は国家間の思惑によって夢破れ、
失意の内に人生を終える男の物語であろうことは予測をしていました。
しかし、ロレンスという人格がこうも
エキセントリックに豹変
してくるとは思いもしていなかったので、突然の展開に狼狽してしまったのです。
鉄道爆破のカタルシスの後、自信過剰で傲慢な態度に耽っていたかと思うと、
トルコ軍に拷問されたことで一転の鬱状態へ、しかし多額の軍資金と
ダマスカス覇権の誘い水に乗ってより冷徹でより傲慢な態度を見せ、
ついには拷問による反作用なのか、殺戮を指揮する
異常な戦争犯罪人
へと変貌していったのです。
エキゾチックな舞台で、挫折をしていったヒーロー像しか思い描いていなかった
ボクは、このロレンスの精神異常的で血生臭い暗黒面の提示に対して、
正直、驚きを隠せませんでした。
このようなショッキングな変貌があったからこそ、冒頭のロレンスの
葬儀には賛否両論の極端な評価がなされていたのでしょう。
「英国」 なのか 「アラブ」 なのかの
表層的な 「属性の混濁」 の他に、
彼の精神世界の奥底 には、
このような人格崩壊とも言える大激変が勃発していたのです。
そしてこの様相は当然のことながら、1970年代後半 「ディアハンター」
そして 「地獄の黙示録」 が描いてきた、
「戦争の狂気によって引き起こされた 人格崩壊の悲劇」
を思い出さずにはいられませんでした。
幸いにも今作のロレンスは砂漠の奥底から帰還をすることができましたが、
ベトナムの密林奥深くに残り 「恐怖の王国」 を創ったカーツ大佐
という存在もありました。
「ベトナム戦争」 と 「第一次大戦」、 「密林」 と 「砂漠」。
二つの映画の間には大きな時空の隔たりがあるように思えますが、
その根底にある激しい感情は全く同じものだったのです。
戦争が持つ 巨大な負のパワーを前にして、人格が崩壊していく悲惨な姿に、
心を掻きむしられる思いでいたのです。
これが終盤、ボクの高揚した気持ちをどん底までに突き落とした
【 ヒーローが狂い腐っていく、負のパワー 】 だったのです。
開始30分に展開された悠久の時の流れと宇宙的な広がりを
【 開始30分における、空前絶後のパワー 】
と名付け、その圧倒的な美学に驚愕と狂喜の念を抱きながら、主人公に
カリスマ性を付加していく過程を思う存分に楽しんだのです。
しかし、終盤は一転して
【 ヒーローが狂い腐っていく、負のパワー 】
という激痛のムチ打ちを、むき出しの心は思う存分に受けてしまったのです。
そう、この耐えがたき拷問によってボクは今作の主人公のように廃人同然と
なっていったのです....。
今作が終わりを告げてしばらく経って、ボクは悟りました。
序盤の葬儀で噴出していた、 「賛」 と 「否」 、この 「二面性」
を背負わされていたのは何も、ロレンスだけではなかったのです。
こんなにも複雑な精神を抱えたロレンスが棲みついている今作の映画世界自体
にこそ、
【 開始30分における、空前絶後のパワー 】 という、
華々しい 「陽」 の部分と
【 ヒーローが狂い腐っていく、負のパワー 】 という、
壮絶なる 「陰」 の部分によって
他を圧倒する、絶対的な 「二面性」 が構築されていたのです。
そしてこの強固な 「二面性」 こそが、制作後40年を経た現在においても、
名作として鑑賞され続ける今作の 「レゾンディーテル (存在理由)」
であったと結びます。
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