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先を急ごうと思いつつ、素晴らしいカットに遭遇してしまうと、どうしても思いを巡らさないわけにはいかなくてしまいました。
「珠玉の9秒」の 1分45秒後、善玉たる西乃丸一家 への お竜さん の「仁義」のシーンにおいて、素晴らしいシークエンスは再び展開されていきました。
実は、このシークエンスをキッカケとして、ボクは今作に漂っている、ある種の 奥床しさ を感じ始めたのです。
普通の監督なら、「仁義」という見せ場はドーンと正面から全身ショットを撮りたいところなのでしょうが、今作の監督である加藤泰監督は全く違っていました。
彼は仁義を切る お竜さん を ちょっと離れた隣の土間から横位置で、大きな暖簾ごしに見ていたのです。
暖簾がめくれると お竜さんの顔が現れて、閉じると顔だけ見えない。
この表現方法に触れて、不思議な言葉の組み合わせになりますが、何とも
“ 奥床しい 仁義 ” として受け留めていったのです。
次の2カット目は お竜さんの顔が映し出されるはず、と思いきや、今度は お竜さん の反対側にカメラが回り込んで相変わらずの、ちょっと距離感を保つ横位置カットとなっていきました。
3カット目こそは お竜さん のアップだろうと思ったこのカットは その仁義 を真摯に聞き入る 受け人 の姿を正面に据えてきたのです。
しっかりと前を向き、正座で両手こぶしを床についた誠意ある態度で お竜さん の口上を請けたまわっているのです。
お竜さん 「(略) 渡世修行中のしがなき女にござんす。行く末万端、
お見知りおかれまして、よろしくお引き回しのほど、おねがい致します。」
受け人 「ご丁重なるご挨拶に遅れましての仁義、失礼さんにござんす。手前 (略)
杉山貞次郎に従います、若造です。(略) 渡世の道はいまだ修行中のし
がない者でございます。以後、お見知りおかれましてお引き立て下さい。」
このような文章にしてしまうと、ありきたりな仁義の口上でしかないのでしょうが、ゆっくりと、しっかりとした口調と、独自な抑揚の付け方によって、何故かしら、
格調の高い伝統芸能
を鑑賞しているような、
あらたまった気持ちになったのです。
そして、このシークエンスの雰囲気を端的に表すものが仁義の終盤、上記のセリフつながりで姿勢を直す時の二人の間で交わされた会話にみることができました。
お竜さん 「ありがとうござんした。受け人さんよりお手をお上げなすって下さい」
受け人 「ありがとうござんす。ではご一緒に手をあげましょう」
この奥床しさが、他の任侠映画と今作を分かつ大きな要因なのかもしれないと感じ初めたのです。
そして、仁義という見せ場をまっ正面から見据えるようなことはせず、距離を置き、少しづつ近づいてくる、そんな奥床しい演出に加藤作品の品格を見た思いだったのです。
とこのようなことに感じ入っていたら 嵐寛寿郎氏 が善玉親分として登場をしていきました。
ここで 今作特有の任侠世界にある 奥床しさ とともにボクは
【 加藤泰作品の共通項探し 】
に興じ始めていったのです。
今作は緋牡丹博徒シリーズの第3作目にあたるのですが、今作の続編的な作品で、同じ加藤泰監督によるシリーズ第6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 にもアラカンさん は お竜さん が客人として身を置く一家の昔気質の親分として登場していました。
そして、緋牡丹博徒シリーズではないのですが、今作の加藤泰監督による名作、 「明治侠客伝 三代目襲名」 にも善玉親分として登場していたのです。
その類似したキャラクター設定からボクの脳裏に、
ある共通の展開
がどうして浮かび上がってしまったのです。
その、ある共通の展開とは、上記の 「緋牡丹博徒 お竜参上」 と「明治侠客伝 三代目襲名」 の2作品とも アラカン親分は、反目する悪玉一家の策略によって襲撃され、生死を彷徨う重傷を負わされてしまったのです。
2度あることは3度あるのか?
それとも、五体満足のままで今作のエンディングを迎えることができるのか?
今作を鑑賞する上で、こんなことに留意するのは邪道なのでしょうが、同じ加藤泰作品つながりで、見守っていきたいと思ったのでした。
やがて、緋牡丹シリーズの重要な相手役となる、旅人(たびにん)役の 高倉健さん が登場してきました。
初登場シーンは、 お竜さん と 西乃丸一家の人間に対して、反目する悪玉一家の住所を尋ねる場面となるのですが、ここでも今作で感じた特有の
奥床しさ
を感じることができたのです。
西乃丸一家の人間は 健さん を反目する悪玉一家の関係者として邪険にあしらうが、 お竜さん は誠意を持って道を教えてあげ、しかも、雨の中、傘を持たない 健さん に自分の傘までもを貸してあげようとします。
当然のように 健さんは 「 ご親切だけいただいてまいります。 」 と遠慮しますが、結局はお竜さんの親切を受けていきました。
その様子を見ていた西乃丸一家の人間は自分の言動を反省。
お竜さん も最初は良い気はしなかったが、
「 折り目の正しい旅人(たびにん)さんには、なんも罪はなかですばい 」
の心意気で接していたというのですのです。
実際の任侠の世界を知る由もありませんが、このような娯楽としての任侠映画は、主人公は聖人のようにどこまでも善良で、悪玉はあくまでも悪どいという極端な構図を作ってくるものですが、このシーンはそんな傾向を割り引いて見ても、語ってきた世界観は実に 奥床しい ものとしてボクは受け留めたのです。
そしてこのシーンにいて、お竜さん から 健さん へと傘を受け渡す手元のアップをたっぷりと見せてきたところから、反目する一家の客人同士の ロミオとジュリエット 的な人間関係が生まれる予感を感じ取ることができたのです。
そして、この予感は先ほどの アラカン親分 にみる不幸な連鎖と同じように、一つの共通な展開を予感させていったのです。それは、加藤泰作品において
任侠映画の中での 「男女の機微」 を描く時は、
「川」 が舞台として選ばれている 偶然だったのです。
先ほども引き合いに出した加藤泰監督のシリーズ6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 に燦然と輝く名場面、
雪降る今戸橋での お竜さん と 旅人(たびにん) の菅原文太さん の間で交わされた一本筋が通った、しかし情感に溢れた素晴らしいシーンは 今戸橋という 「川」 の上でした。
そして前出の 「明治残侠伝 三代目襲名」 において 鶴田浩二さん 演じる主人公と情感を交わすのが、 お竜さん というキャラクターを得る前の 藤純子さん その人だったのですが、その舞台も夕焼けが美しい 「川沿い」 の道だったのです。 そんな
偶然が重なる中で、
今作において、お竜さん と 健さん が出会う、この雨の場面は、背景に鉄道橋が配置された場所で、その下には鉄道橋と交差する小さな木橋が奥に見えるのです。
そして お竜さん が道を教えているときに、 「この堀川ば真っ直ぐ・・・・」 とのセリフがあることからこの舞台が水まわりの場所であることがわかります。
数少ない加藤泰監督による任侠映画の鑑賞歴をフル動員して推察いたしますと、きっとこの場所が、お竜さん と 今回のスペシャルゲストであるところの 健さん との、
男女の情感を育てる場所
になるのだろうと、
直感的に理解をしたのです。
やがて、この直感は アラカン親分の受難 という予感と共に実現されていくことになりました。
それは、健さん が悪玉親分への渡世上の義理に縛られて、アラカン親分 への刺客にされる前に、この鉄道橋下で お竜さん を待っていた という展開をみせていくのです。
これによって今作の言わば 裏鑑賞テーマ としていた
2つの予想が矢継ぎ早に的中
したことによって
ボクは大きな興奮を得ることができたのでした。
鉄道橋下のシーンでは、ファーストシーンで登場した盲目の少女の目の手術を巡る会話を通して二人は心を交わしていったのです。
出会いのシーンは雨でした。そして、別れを秘めたこのシーンでは はらはらと雪が降っています。
雨のシーンでは、傘を持たない 健さん に お竜さん が傘を貸してあげていましたが、
今回は、その逆で、傘を持たない お竜さん に 健さん が傘を差し出すという行動が用意され、
同じ気遣いを互いにかけている、
そんな心の重なり様が見て取ることができました。
そしてこの後、健さん が アラカン親分 の刺客となることで、二人の関係性が変容してしまうことを考えると、何とも切ない気分になってくるのでした。
このように、二人の叶えられない感情を盛り上げる準備は万端整っていました。
しかし、今作の 男女の機微を訴求するシーンは、背景に鉄道橋が重くのしかかるビジュアル設定としてしまっているために、叙情的なヌケの良さがなく、他の2作品、
「明治侠客伝 三代目襲名」 にみる、夕焼けが美しい 「川沿い」の道や、
「緋牡丹博徒 お竜参上」 の珠玉のシーン、雪降る今戸橋が実現した、
任侠世界の中での サンクチュアリ (聖域)
までには昇華していなかったように感じて、大いに残念に思いました。
恐らく、今回の未消化を踏まえたからこそ、加藤泰監督は今作の続編的作品であるシリーズ第6作目 「緋牡丹博徒 お竜参上」 において 雪の今戸橋 という美しさを実現できたのではないかと思えたのです。
もう一つの共通項である、アラカン親分受難のシーンは、文句の付けようもない素晴らしい出来映えとなっておりました。
何と言っても アラカン親分 の刺客となるのがゲスト主演たる 健さん なのですから、他の2作品とは比べものにならない重みがあったのです。
「明治侠客伝 三代目襲名」 では 物語上重要でない者による背後からの不意討ち。
「緋牡丹博徒 お竜参上」 では、その他大勢によるヤミ討ち。であったのに対して、
今作は刺客となる 健さん の苦悩を映しつつ、正々堂々の1対1の真っ向勝負が行われていったのです。
その際の、刺客である 健さん と アラカン親分 の間で交わされた言葉が、お竜さん の仁義の場面で、そして、健さんに傘を貸してあげるシーンで、様々な場面において感じた、
一本筋が通った、奥床しさ
に満たされていたのです。
健さん 「(中略) 親分さんに不本意なお願いがありまして、やってまいりまし
た。渡世上、親分さんに恨み辛みは一切ございません。のっぴきりならね
え義理で命をいただきに参りました。差しで勝負お願いします。どうか、
ドスを取っておくんなさい。」
(いきりたつ子分たち)
アラカン親分「 筋を通った挨拶をしてなさるお人の前で、不躾なまねはやめな。
手出しするんじゃねえぞ。
(略・健さんに向かって) どっちが倒れても、この場限りにしょう
ぜ。」
と、アラカン親分は健さん の勝負に臨むことになるのです。
ここには、ヤミ討ちや騙し討ちなどというものが介在する余地などなく、折り目正しい、男の勝負を挑む 健さん と、その心意気に 死を覚悟して受けて立つ アラカン親分 の姿があるのです。
奥床しい。
場違いな言葉かもしれませんが、
ボクにはしょうがなくも、そう思えてしまったのです。
渡世の義理のために刺客となり、そして、相手の心意気に対して死を覚悟して決闘を受ける。
尋常では理解できない世界ではありますが、二人の男の魂の対峙の前に、襟を正す気持ちになったのです。
重傷を負いながら 悪玉一家への報復を諌めるのは、他2作のアラカン親分と同じですが、そんな身でありながら、「勧進賭博」 という公の場を取り仕切り、出血を抑えながらの気丈な振る舞いを見せ、そして死を迎える展開は、
荘厳な迫力に満ちて、
他の2作とは比べ物にならないほどの充実ぶりだったのです。
「男女の機微」 という側面では残念な結果であった今作は、「アラカン親分の受難」 という側面で捉えると、非常に素晴らしい出来だと高く評価します。
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