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夢十夜 海賊版

 投稿者:つじ  投稿日:2007年 2月19日(月)13時24分48秒
  昨日、試写を見てきました。
主演の潮見諭さんもいらしてましたが、やっぱ目立つわ、カッコイーわ、役者さんは。

10本とオープニング、エピローグをつなげて一本にする際の微調整時に
手違いで削除された第三夜のエンディング部分を元に戻すべきと監督と
結論したり色々ありました。

全く違う10本の短編、映画って本当に千差万別の撮り方があるなあ。
10分って長さも体感すると本当に感じ方が違う。
監督もスタッフも種々色々でビックリしました。

レイトでもう一度見てから感想なども書きます。

レイトショー 吉祥寺バウスシアター・3/3〜3/16(予定)
 

夢十夜・海賊版 第三夜

 投稿者:つじ  投稿日:2007年 2月 9日(金)19時13分49秒
  相変わらずオイカワさんのレビューって、作品を見たくさせますねー。

今日は、宣伝に来ました。


『夢十夜・海賊版』

第三夜
監督・脚本 白土潔

一昨日まで、白土監督の映画の仕上げをやってました。
上映はバウスです。3/3に公開。レイトショーです。
http://www.yume-juya.jp/report2.html
http://www.nikkatsu.com/times/event/20061124_yumeju_cinesity/index.html
http://www.baustheater.com/yume.htm
http://blog.livedoor.jp/yumejyuya_bootleg/archives/52034054.html
http://blog.livedoor.jp/yumejyuya_bootleg/

ぼくは、この「第三夜」の再構成、仕上げ、映像効果、音響効果、選曲、
編集、監督補、録音、怖い声出し(^ ^;) etc...を、やりました。
 

さっそく

 投稿者:オイカワ  投稿日:2007年 2月 7日(水)23時42分40秒
  レビュー書いてみました。いやぁホント久々。  

更新お疲れさまです

 投稿者:つじ  投稿日:2007年 2月 6日(火)12時10分20秒
  オイカワさんのレビューもお待ちしていますょ。  

更新

 投稿者:オイカワ  投稿日:2007年 2月 5日(月)19時51分11秒
  随分長い間放置してしまいましたが、ようやく更新しました。  

復活

 投稿者:kusukusu  投稿日:2007年 1月 7日(日)23時51分23秒
  キム・ギドク、引退宣言なんてやっぱり嘘でした。「息/Breath」という新作の製作に入るようです。

その前に、3月にユーロスペースでキム・ギドクの「絶対の愛」(原題「time」)が公開。
http://zettai-love.com/
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=73
 

「シン・シティ」 車内鑑賞レビュー

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2007年 1月 5日(金)20時36分33秒
  今作はコントラストの強いモノクロ画像を基調とした全6話から成るオムニバス映画であるのですが、冒頭の1話目と2話目を観ただけで、この映画をスタイリッシュで都会的なハードボイルド映画であると早合点、不覚にも狂喜乱舞をしてしまいました。しかし3話目、4話目と映画が進行していくうちに、この映画は本来持っている邪悪? な姿を見せ始め、ダーティーでバイオレンスに満ちたグロテスクなシーンの連続攻撃が炸裂!したのです。それでも1・2話目で見せた都会的なセンスを信じてこの映画はきっと


       「グロかっこいい」


映画となってくれるものと、一縷の希望を託してしまったのです。 ( 「エロかっこいい」でも「キモかわいい」でもありません。「グロかっこいい」です。 ) しかし、その後の「グロ」さ加減と “パート・カラー” というスパイスの不調和のせいで期待していた「グロかっこいい」などという絶妙なバランスの美味にあり付くことはなかったのです。

モノクロにこだわりの色を加えて強調する “パート・カラー” という技法は、1963年の黒澤明監督作品「天国と地獄」において、捜査陣の仕掛けた罠に犯人が堕ちたことを知らせる“赤い煙”に代表されます。 この手書き着色によってもたらされた視覚的・構造的な興奮を経験してしまった身としては、今作の、色を廃したモノクロームの世界に “血” の赤だけを入れて、ことさら流血を強調する “パート・カラーー”技法は、非常に刺激的ではありますが、中盤以降の口当たりの悪さを助長するだけの、その場しのぎの薄っぺらい行為であったと感じざるを得ませんでした。「天国と地獄」におけるこのスパイスは大きな映画的興奮を導き出す1級品の「演出」 であったのに対し、今作のそれは “生理的嫌悪” を引き起こす本能的な 「刺激」 でしかなっかのです。それは勿論、


      大脳皮質によってもたらされる 「演出」

                というクリエイティビティであるはずもなく、

      脳幹や脊髄レベルでの生理学的で単純な 「反応」

                でしかなかったのです。


ただ、生理的な “赤” に対しての生体反応を起こさせられただけであり、決して創意工夫によって心を動かされたわけでは無いのです。

少々、横道にそれますが、“血” に対する表現方法が今作には2通り存在し、そのうちの1つが今、批判の的にしている赤だけをカラーで着色する配慮に欠けた方法であるのですが、残りのもう1つの表現方法には賞賛に値する創意工夫があったと評価をしているのです。それは “血” というものを、


       “眩いくらいに白く輝く液体”


としている表現で、“血” というものは今作のようなモノクロ映像においては、黒か濃いグレーとして映るわけですが、そこを敢えて蛍光塗料のようにギトギトと輝く液体として扱っているのです。これによってショッキングなシーンに多用される


        “ネガ反転画像”


の効果が “血” というピンポイントに集約され、その結果、流血という異常事態を印象深くすることに成功していたのでした。この表現の奥深さに心惹かれ、このハイセンスな映像世界のまま、この映画を貫いて欲しいなと熱望したものでした。

(本題に戻ります) しかしベタでこれ見よがしな “パート・カラー” の活用にも上記の “ネガ反転画像” のように1つだけ賞賛に値する創意工夫を見つけることができたのです。それは、切迫しながら車を走らせる主人公の姿を、


        RGB原色の外光が


めまぐるしく照らし、彼を様々な色で照らす場面。照明によって対象物に色を加えることで、立体的な陰影を濃くし、主人公の抑えがたい焦りや動揺した心情をしっかりと伝えてきたのです。ベタな色使いでは無く、照明によって加色していく表現の可能性に心惹かれ、このハイセンスな映像世界のままこの映画を貫いて欲しいなと思いましたが、やっぱりそれも叶うことはなかったのです。
後でわかったことですが(本当ですよ)この賞賛を与えた “パート・カラー” を含む一連の映像はスペシャルゲスト監督なるタランティーノによるものだったそうです。偶然にしても、演出の違いに気づくことができたのは、うれしく思いました。

「グロかっこいい」という稀有な称号を得られるチャンスをみすみす逃してきた今作は、結局は「グロ」の奈落に落ちたと結論付けようとしたのですが、ブルース・ウィルス演じる老刑事ハーティガンの自らの命を絶つシーンの刹那に、自分はその評価をいともさっぱり一変させてしまったのでした。
正直、狼狽しました。ビジュアル的なそして表面的なハッタリに全ての神経が曇らされてしまい、非常に低レベレでの見落としにその瞬間まで気づくことがなかったのです。邪悪でアブノーマルな映画世界の中に登場する主人公達の行動起因が(全てでは無いですが)よりによって


        “愛” によるものだったとは.......。


確かに言葉ではそのようなことは語られていたようだが、このような世界観の映画にはそんなものは不釣合いであると勝手に思い込み、そのようなものは物語を進行させるための “ツール” や “方便” であろうと一笑に付し、主人公達の本気さを見ないようにしていたようなのです。そんなところに、獄中の8年間を支えてくれたナンシーの為に、彼女の安全を守ることを目的とした、老刑事ハーティガンの自決が突きつけられたのです。今作は “愛” というものを単なる “ツール” として傍観してきた身勝手な観客に、毅然とした態度で反省を求てきたのです。心を入れ替えた僕の脳裏には、当然のごとく、前々章で観てきたミッキー・ローク演じるマーヴのラストシーンが瞬時にフラッシュバックしてきました。思い起こすまでもなく、復讐の代償として電気イスに散った彼の瞳の奥には、献身の愛を捧げた“女神”ゴールディと黄泉の国にいる彼の姿が焼きついていたではないですか!


        この段階で気づくべきでした。


主人公達の “無償の愛” “献身の愛” がこの映画を推進していたという驚愕を、今、素直に受け入れました。この映画は、邪悪な世界観に気恥ずかしいほどの “純な愛” や、バイオレンスの世界に不釣合いなほどの “哀しい愛” が根本に存在し、その上っ面を様々な軽はずみな差し障り要因が纏わり付いた非常に不自由な形状をしていたのです。
この “愛” の存在に気づいても尚、「グロかっこいい」という称号をこの映画に与える気にはなりませんが、一言で「グロ」と断罪するわけにはいかなくなりました。さて、どんな称号がふさわしいのでしょうか?


    「グロ・ラブリィ」? (笑)

                 敢えて言うならば


    「グロ・センシティブ」



とでも言っておきましょうか。無神経なグロと繊細な感受性が同居していた、実に稀有な映画であったと結んでおきます。
 

佐々木昭一郎作品

 投稿者:ちづる  投稿日:2006年12月 7日(木)16時47分51秒
  はじめまして、こんにちは。

是枝裕和監督や塚本晋也監督が影響を受けたといわれる、佐々木昭一郎作品が、
スカパー!やケーブルで視聴できる「日本映画専門チャンネル」で放送されます!
12月に全16作品放送して、来年1月からも毎週放送するらしいです。
6月に放送した特別番組には前述の監督や川瀬直美監督が、
佐々木作品との出会いをコメントしていて、これも放送されるみたいです。

是非、一度見てみて下さい。
お奨めですよ!

http://www.nihon-eiga.com/0612/0612_05.html

 

帰って来たヨッパライ  車内鑑賞レビュー

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2006年11月29日(水)23時11分8秒
  ロバート・アルトマン監督のご冥福をお祈りします。

「帰って来たヨッパライ」の車内鑑賞レビューです。
1968年 大島渚による 出来損ないの仮面を被った、非常に先鋭な映画でした。




今作を鑑賞して驚愕したことは、

     “1968年当時の「日本」と「韓国」の間にある凄まじいまでの落差”

                                         でした。

「ニッポン」は1950年代の朝鮮戦争による戦争特需を踏み台にして「無責任男」のノリに象徴される

      “罪無き高度経済成長”

を無邪気に謳歌している真っ最中。団塊世代の“ヤング達”はグループサウンズの軽快で軽薄な風潮の元、“ミリタリー・ルック”に身を包み、「自由」と「個性」を声高に叫んでおりました。

一方の「韓国」は日本帝国主義の支配と南北分断の朝鮮戦争によって疲弊の一途を辿り、“北”の脅威に備えながら、徴兵制のもと軍備を増強。アメリカのベトナム戦争に狩り出される形で、約31万人もの若者が無理やりに“軍服”を着せられ、

       地獄のベトナム

に移送されていたのです。自国の戦争ではなく、アメリカとの“お付き合い”の中でたった一つの命を落とす。しかも、たまたま巡りきた徴兵期間で死んでいった若者が相当数いたであろうことを偲び、心が痛みました。 1968年現在、私達の隣国は「自分らしさ」の追求どころではない、己の命の維持さえもままならない、そんな過酷な状況にあったのです。
 「ニッポン」と「韓国」を分かつ玄界灘には、このように絶対的な「社会的乖離」という深く長い海溝が、確かに存在していたのです。

今作はフォーククルセダーズという3人組を1968年「ニッポン」の若者の象徴的サンプルとして抽出し、玄界灘を目前とする北九州の海岸をスタートの地として、ベトナム戦争から逃れるために密航して来た「韓国」脱走軍人との

       生死をめぐる“鬼ゴッコ”

を演じさせることによって、二つの国に横たわるこの大きな乖離を浮き彫りにしてくるのです。しかも「ミリタリー・ルック」と「軍服」に対比される “服” という記号を奪い合うことによって、時として「日本人」の称号を得て自由を獲得し、時として脱走「韓国人」として追われる身となる、こんな

       記号論的な属性の混濁

を創出して、両国民を外見だけで識別することの困難さを今さらながらに再確認させています。そのことによって、「ニッポン」ノンポリ学生と「韓国」脱走軍人の間には、生物学的に識別・区分けするものは一切無く、両者のこの極端な人生の相違は、人為的に作られた“国家”という概念に支配されていることを訴えてくるのです。


二つの国家におけるこの大きな人生の相違は、“命の格差”の問題へ直結して語られていきます。韓国脱走軍人の自虐的な発言、「べトナムで即死したら343,200ウォンが支給される。しかし3回即死しても日本の乗用車1台さえ買うことができない」 に加えて、“即死” や “傷がもとでじわじわ死ぬ” 場合などの料金ランクがあることも暴露。どうせ死ぬのなら遺族のために “即死” を選んで、少しでも金額を残してあげたいという気持ちだったのでしょうか、ベトナムでの極限状態における韓国軍人の “武勇伝” はこんな哀しい構造によって成されていたのかもしれません。
そんな時代背景に触れて、

  “日本人であることとは? そして韓国人であることとは?”

                     という大きな問題提起を前に途方に暮れ、

  “人為的に作られた「国家」という概念によって差別・翻弄されてしまう人生"

                      や、

 “生物学的には同一でありながら、命の尊さに違いが生じることのやるせなさ”

                      について考え込んでしまった。



終盤、この映画は現実の世界を離脱し、イメージの世界に突入していきます。

ベトコンを銃殺する場面がコラージュされた大壁画の前で、「韓国」脱走軍人達が銃殺刑に処されるイメージが映画的空間上で展開されていきます。「ニッポン」のノンポリ学生は、まるで遊覧カートのごとくゆっくりと近づいて来る列車の窓ごしにこのイメージを目撃します。「韓国」軍人が頭を打ち抜かれようとするまさにその時、学生達は

       己の属性という枠

を超えて、初めて一人の人間としての良心に突き動かされるのです。抹殺されようとする彼らの不条理と悲劇を理解し、その不平等な痛みを引き受けるがごとく死刑執行人に向かって叫びます。

       「僕達こそが、韓国軍人だ!」

と しかし「ニッポン」の警察官の制服に身を包んだ執行人たちは耳を貸そうともせずに、鉛の玉を脳にブチ込みます。人生の負なるもの、醜いもの、貧しいものを彼らに一身に背負わせて、「ニッポン」のノー天気な繁栄を維持させるための

       “生贄”として........ 。


これが大島渚のフィルターを通して語られた 1968年の「韓国」と「ニッポン」。

「漢江の奇跡」や'88年オリンピックを経て40年。「韓流ブーム」という社会風潮の中、玄海灘は急激にその距離を縮めたわけですが、1968年当時、「韓国」は近くて遠い しかも、日本海沿岸では 密航という危ない響きを持った国 と認識されていたのです。
そして2006年 北の隣国が“超”危険国家として脚光浴びる現在があるのですが、これからの40年、この映画のように想像すらできない変化が起こるのでしょうか.....。


先日「シン・シティ」の車内鑑賞を終了。今感想文を書いております。
今、「誰も知らない」の終盤を車内鑑賞中。
次回は「駅馬車」を車内鑑賞予定でおります。
 

アルトマン

 投稿者:kusukusu  投稿日:2006年11月23日(木)01時50分56秒
  亡くなりました。

<訃報>アルトマンさん81歳=米国の反体制派映画監督
 【ロサンゼルス國枝すみれ】朝鮮戦争を舞台にベトナム戦争を風刺した映画「M★A★S★H(マッシュ)」(1970年)で知られる米国の反体制派映画監督、ロバート・アルトマンさんが20日、ロサンゼルスの病院でがんのため死去した。81歳だった。
 25年、ミズーリ州生まれ。第二次世界大戦の爆撃機パイロットとして従軍し、テレビをへて映画界入り。「マッシュ」でカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞して、世界的評価を確立した。「ロング・グッドバイ」(73年)、「プレタポルテ」(94年)など、独特のスタイルと鋭い人間洞察で、もっともハリウッドらしからぬ監督と呼ばれ、個性の強い多くの作品を撮り続けた。
 俳優たちに即興で演じさせることでも知られた。「ナッシュビル」(75年)、「ザ・プレイヤー」(92年)などで5回、アカデミー賞候補となった。来春日本公開予定の「ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン」(06年)が最後の監督作品となった。06年、長年の活躍に対するアカデミー名誉賞を受賞した際、10年前に心臓移植を受けていたことを公表していた。
(毎日新聞) - 11月22日12時54分更新
 

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