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「見知らぬ乗客」 DVD車内鑑賞レビュー

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2006年 7月30日(日)22時18分52秒
  見知らぬ乗客

7月18日(月)

「裏切られるかも?」 という心持ちです。

「交換殺人」という言葉が出て来た序盤は、どのようにしてブルーノはこの「交換殺人」をガイに承服させるのか?
どんな知的駆け引きで、ブルーノの思惑に屈服させるのか?
と、この悪役の弁舌さわやかな能力に、映画の行く先を託したのですが、
あれ!? 「交換殺人」の契約調印も成されない内にガイの奥さんをブルーノは殺してしまいました。

           なぜだ?

と思いました。が、きっとこの殺人を交渉ネタにブルーノは緻密な知能戦や、実力行使をも含めて、「交換殺人」を拒めない状況に追い込んでいくはず、息を呑む攻防が繰り広げられるはず、と思い込んでいたら、
「早く親父を殺してくれっ!」と言わんばかりに、家の見取り図と拳銃を送りつけ、ストーカーのようにつきまとうだけなのです。
昨今の2時間サスペンスドラマに慣れている身としては、「何の精神的圧迫にもなって無いじゃん!」と

          不満が噴出。

心理的駆け引きが希薄であることが露呈するにつれ、1番最初の言葉
「裏切られるかも?」という不安に苛まされているのです。

一縷の望みとしては、ブルーノが殺したガイの奥さんはメガネを掛けていたのですが、同じようにメガネを掛けている女の子に対し、フェチ的傾向? が見受けられるので、異常者としての知的な展開が難しいのなら、「殺人を犯した」ことによるフェチ的嗜好性を思う存分、発揮してほしいなと思うだけです。
(せいぜい)がんばれブルーノ!!


7月19日(火)


見事に「裏切られました!」


ブルーノの知的方向への停滞は予測通りでしたが、クライマックスのメリーゴーランドでのシークエンスは実に素晴らしく、この映画に対する「無理かな?」と思われていた大方の世論を見事に「裏切って」くれたのでした。

そもそも、オープニングの車内シーンが非常に素晴らしく、これから始まる「交換殺人」というトリッキーなサスペンスに相応しい高貴さを持ち、ブルーノがあたかも上級犯罪人であるかのような幻想を見せてしまったのです。まーこれがそもそもの誤解の元凶ではあるのですが.....。
結局ブルーノは「小悪党」の領域を超えることはなく、心地よい迷宮など、望むべくも無かったわけです。そんな諦めムードにあの

       メリーゴーランド攻撃。

一度、侮った相手からの、いきなりのカウンターパンチであったわけです。
冷静になって考察すると、ブルーノが犯した早すぎる殺人が、「遊園地」において行われたところから、このうれしい「裏切り」が 始まっていたのですね。

       「楽しい・うれしい」

という気持ちを共鳴させる象徴的な場所での、殺人という極北の行為から始まり、その現場にあるメリーゴーランドという、「楽しい・うれしい」
を共鳴させる装置が、一発の銃弾で、

       恐怖の拷問器具

へと豹変する様は、日常や常識の中に、表裏一体となって潜んでいる、「恐怖・危険」を端的に表していたのです。
えっ! 「日常に潜む恐怖」ですって?

ということは.............

ブルーノはほどほどの小悪党でちょうど良かったのでは?、と唐突に思い返してしまいました。
ブルーノというどこにでもいるような、ほどほどの小悪党が、ガイとの偶然の出会いを契機に、ストーカー的な、執拗で常識を超えた関わり合いを、憑り付かれるようにエスカレートさせてしまった、という映画だと思えばよいのでしょうか?
これって.........、

かもね...........。
 

ありがとうございます

 投稿者:オイカワ  投稿日:2006年 7月28日(金)21時00分36秒
  マークさん、つじさん、ありがとうございます。
「ムーランルージュ」から「キングス&クイーン」まで、時間を見つけて本サイトにまとめます。ちょっと忙しいもんで、もう少々お待ちを。

ところで「ドッペルゲンガー」のつじさんの指摘

> 超ネタバレですけど、いい博士が悪い博士を殺したかに一瞬見える演出で、
> ああ、悪い博士が勝ったんだって、少し経ってから判るんじゃなかったでしたっけ?
> あの間も、ご長男は、悪い博士が勝ったって判ってたんでしょうか???

ですが、チビに聞いてみました。聞いてみたのですが、質問が理解できないようでした。
一応、物語には物理的な時間の進行とともに動きがあるということは、脳内織り込み済みのようで、ところどころで物語を反芻してるみたいです。なので、あのシーンで理解したのではなく、もっと後の方になって「悪い博士が勝ったんだ」と思いあたったのではないかと。推測ですが。
ちなみに、「悪い博士好き」のきっかけは完全にバイキンマンです。
悪キャラがメカやらロボやら変なものやらを発明するシチュエーションが好きみたいです(作ったものがマヌケでトンマなものなら、さらに嬉しいらしい)。いわゆるマッドサイエンティストものですね。それのバリエーションであれば何でも好きで、それで「ドッペルゲンガー」も見れちゃったんでしょう。
今は、母親の影響でタツノコプロのタイムボカンシリーズ(ヤッターマン、ゼンダマン、オタスケマンなどの悪キャラたち)に夢中になってますよ。
確かに、タイトルに引っかかって意味を深く考えさえしなければ、「ドッペルゲンガー」も(マヌケでトンマな)マッドサイエンティストものに見えますよね。黒沢さんにはそういう志向もあるんだろうな。「ドレミファ娘」の伊丹十三もそうだし。さすがにあれはまだチビには見せられないけど。
 

キングス&クイーン その3

 投稿者:つじ  投稿日:2006年 7月28日(金)01時50分18秒
  その2の文章を推敲して長くしました。

『エル・スール』『恋の秋』『冬物語』にも触れています。

======================================================

『キングス&クイーン』(Rois et reine)
2004年/フランス/カラー/150分/35mm/シネマスコープ/

監督:アルノー・デプレシャン
脚本:アルノー・デプレシャン&ロジェ・ボボー
撮影:エリック・ゴーティエ

出演:
エマニュエル・ドゥヴォス
マチュー・アマルリック
カトリーヌ・ドヌーヴ
モーリス・ガレル
ジョアサン・サランジェ
ナタリー・ブトゥフ

東京では、渋谷・シアターイメージフォーラムのレイトで
20時50分〜23時30分の上映。

なんかすっごく行きにくい時間の映画ですが、
〜8/4で終わり。

(この前見た時は、昼の三回上映だったんですけれど、今は、レイト。)

順次、名古屋、広島、浜松、大分などでやるけんね。

======================================================

『キングス&クイーン』の二度目を見た。
涙で顔がぐしゃぐしゃになった。

===

先日、見直した『エル・スール』もかなり泣いた。
あのシーンが、お父さんとの最後になるなんて。

最後というのはすっかり忘れていたのに、何故泣けたの?

ゆったり流れるあの時間、あの会話、お父さんと踊った曲が隣から流れて
きた、奇蹟の時間。

祖父とお父さんは、政治的に全く逆の支持者だったが故に反目した。
そして、政権交代でお父さんは投獄。
それさえなければ、、、。それさえ、、、。一生抱えた、お父さんの
過去への思い。

けれど、「それがなかったら」主人公の女の子は、この世に生を受けて
いなかった。そんな思いがずっとくすぶっているけれど、そんなことは、
ただのひとことも言わず、けれど。

けれど質問した。

あそこまでの人生をかけて、ずっと気になってたこと。大事に胸に抱えて
誰にも言わなかった、お父さんへの思いと秘密。でも、あんな奇蹟の時間
だから、つい、そんな秘密(タブー)も、ふと口にできてしまえたのかも
知れない。何故、あんな質問を言えたのか。説明はつかないけれど、
でも、痛いほど、実は良く判る。判ってしまう。

そういう時間が、全部、映っていたシーン。

質問を告げた時のお父さんの顔。明らかにしてはいけないことが
明らかになった瞬間。うろたえるには、思いが大きすぎる。そして、
識られていたには、秘密が大きすぎる。

こんなシーンは、映画を何本見ていても、滅多に見られるもんじゃない。

作品全体で、あんなに映ってしゃべっているお母さんの印象がすごく
薄いのもとても不思議だった。どのような作用によって、あんなに
印象が薄く存在させられるんだろう。役者の顔なのか、演技なのか、
撮り方なのか。

他にない感動、他にない映画の不思議がある『エル・スール』。

===

先日見直した『恋の秋』も、泣いた。
「もうだめなのよー」と、マガリがイザベルに泣きついた瞬間、
わけもなく涙がこぼれた。

それまでのあり得ようのない、複雜な究めて映画的・恣意的な
プロットを、一つ一つ叮嚀に叮嚀にじっくりと積み重ねたが故に、
「役者ベアトリスロマンの演技の涙」は、「映画としての真実の、
登場人物マガリの涙」になった、あの瞬間。

映画が、何か言い知れぬエモーションを喚起させた瞬間。

===

それは、先日、実は始めて見た『冬物語』では、もっと判りやすい形で
結実する。

知らないで見たラストは、もう、途中からミエミエ。

ゼッタイに「そう終わらないワケがない」というラストに向かって
進んでいく物語が、果たして、そうなった。しかし、あの感動は、
予定調和とは違う、やはり、積み重ねた登場人物の思い、行動、
台詞があって、初めて「とってつけた」のではない、真実の瞬間に
なりえている、あのラストでは、判っているのに、涙が止まらなくなった。

===

しかし、そうした言い知れぬ、エリセやロメールなどの映画の倖福せな
体験とは更に一線を画す、体験したことがない不思議な気持ちの渦に、
唐突に突き落とされるのが、『キングス&クイーン』だった。

この物語の主人公は、多分、二人。

二人の物語ではあるが、しかし、『キングス&クイーン』は、
徹頭徹尾、どこまでもずっと群像劇なのだった。

イスマエルのお父さんが、惚けてしまったその養母を見つめるまなざし
一つだけで、この作品が、いかに思いを重ね、プランを重ね、
ディティールを重ね、慎重に練られ、計画されて
作り上げられたのかが判る。

登場人物の一切が、奇妙にも的確なディティールによって支えられている。
ニュアンスに富んだあの登場人物たちの顔は、「何となくこの人はこう」
というだけでなく、恐らく、徹底的に編まれた「描かれなかったサイド・
ストーリー」に支えられているに違いない。(映画を見ただけの印象で、
資料やチラシなど一切読んでいないので間違っているかも知れませんが。)

けれど、それだけの作品なら、既に知っている。いくらでも、そういう
良質な映画はこれまでもあった。

けれど、『キングス&クイーン』は、何よりも、どこまでもどこまでも
新しい。

かつて、『恋の秋』があれば、他に映画は要らないとまで思った
『恋の秋』が、古典的な作品に色褪せて見えてしまうほど、
不思議な不思議な特別な感情で胸がいっぱいになった、残酷なまでに
そして、何かが決定的に新しい映画だった。

いわく言い難い気持ち。自分的には、今後10年は、こんな風に胸が
いっぱいになる作品には出会わないと思います。

『ママと娼婦』なんかも衝撃的だったけど、それは、あり得ないものが、
今、現在、目の前にあり得てしまっている奇蹟を目の当たりにして、
泣くしかなかったから。

けれど、『ママと娼婦』の深刻さと違い、『キングス&クイーン』には
笑いもたっぷりです。『生活の設計』と同じくらい笑えるんじゃないか。

あんなに笑えるのに、養子、ママ父、リストカットしてしまう女の子
なんていう、深刻で現代的な社会問題まで、さりげなくフォローして
いる。つまり、現代という時間の中で、人がどのように生きているの
かを見つめようとしている意志を強く感じました。

大好き。何年ぶりに心から映画を楽しんだ感じ。

イーストウッドなどのハリウッド的な撮り方では決して撮れない映画。
(※註・イーストウッドは、私的には、神にも等しい監督です)

映画の可能性をまた大きく切り開いてくれたという意味では、
他のあらゆる作品を古典にしてしまう力があるかも、と感じました。

アルノー・デプレシャン。誰も見たことのない映画をよくぞこんな風に
撮りあげたものです。


でも、こんなに面白いのに、「モシカシタラ映画マニ男くんのための
映画なのかな」と、一瞬萎えた。けれど、前の方に座ってた20代前半(?)
くらいの女の子二人組が、「めっちゃ面白かったよねー」と、
けっこう軽いノリでウキウキと話していたのに、力を得た。そう。
めっちゃ面白い映画だったー。



どんなジャンルでも、最後は愛だよね。
 

キングス&クイーン その2

 投稿者:つじ  投稿日:2006年 7月27日(木)14時56分50秒
  キングス&クイーンの二回目を昨日、見て来ました。
東京では、レイトに落ちて、20時50分〜23時30分までという、
なんかすっごく行きにくい時間の映画ですが、〜8/4で終わりだそうです。
あと三回は見たいなあ。

自分的には、今後10年は、こんな風に胸がいっぱいになる作品には
出会わないと思います。

「ママと娼婦」なんかも衝撃だったけど、笑いが殆どないのが
仕方ないのかな……という感じも実はあったのですが、
「キングス&クイーン」には笑いもたっぷりです。

養子、ママ父、リストカット。現代的な社会問題までフォローされているのにも驚き。

「ブギー・ナイツ」では、ゲイの人の片思いに切なくなりましたが、
ゲイこそ出て来ないが、見ると「ブギー・ナイツ」よりも、更に
いわく言い難い気持ちになるから、「キングス&クイーン」は
大好きです。何年ぶりに心から映画を楽しんだ感じ。

イーストウッドなどのハリウッド的な撮り方では決して撮れない映画。
映画の可能性をまた大きく切り開いてくれたという意味では、
エリック・ロメールの作品すら古典にしてしまう力があるかもと感じました。

誰も見たことのない映画をよくぞこんな風に撮りあげたものです。

DVDは、まだ海外版しかでてないのかな。日本版でたら買います。

どんなジャンルでも、最後は愛だよね。
 

すいません

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2006年 7月16日(日)13時07分1秒
  先ほど書き込ませて頂きましたが、同じ文章を、重複して書き込んでしまいました。
一方を削除して下さい。
 

「ウォーターボーイズ」 車内感情レビュー

 投稿者:マーク・レスター  投稿日:2006年 7月16日(日)12時59分4秒
  うむうむ、活発になりましたね。やっぱりここは、こうじゃなきゃ。
「ドッペルゲンガー」見て無いなー  黒沢清さんは、「キュア」で乗り切れなかったので
敬遠しているかも.....。「ドレミファ娘・・・」はイケル口なんですけどね。
黒沢さんの作品は何がオススメですかね?

で、また、長文をだらだら書いてしまいましたが、さらなる意見交換の活発化を願って投稿しちゃいます。



ポータブルDVDプレイヤーによる
車内鑑賞レビュー


7月11日(火)


「行動」 を起こす時には、その起因となる “キッカケ” というものが、必ず存在すると思うのです。

この映画の訴求点は、宣伝コピーの「男のシンクロ!?」 そのもので、シンクロに没頭する男子高校生の物語なのですが、そもそも、あの5人の男の子がシンクロを始めることになった “キッカケ” の突き詰めが甘いので、冒頭から「ぬるい!」 と思ってしまいました。
この映画が動き出す “キッカケ” となる、真鍋かおりとの人間関係をもっと丹念に描くべきであったと、声を大にして主張したい。
また、文化祭での公演を辞退したのにもかかわらず、再び引き受けることになる “キッカケ” の表現も、非常に「ぬるい」ため、彼らの活動の薄っぺらさばかりが気になってしまいました。

人が動くこと、人が集うことの土台には、しっかりとした理由がないと、リアリティに欠けてしまうと思うのです。それが、理屈まみれなものでもいいし、感情的なものであってもいいし、本能的なものでも、勿論いいのです。
兎に角、行動を支える“理由”というものがあって欲しいのです。
残念ながらこの映画は、行動に至るための、しっかりとした “理由” や “キッカケ” に対する配慮が成されていないため、この映画の存在理由である「男のシンクロ!?」 の必然性が欠如した状態で走り始めてしまったのです。
明日以降、足元を確認しなが動いて欲しいな。



7月12日(水)


ヤッター!
やっとこの映画に“キッカケ”や“理由”という、行動の元となるものが出現いたしました。

ニュース画像にシンクロ5人組が放映され、彼らの人気が急上昇した途端、入部希望者が殺到するのです。テレビで紹介されたことで、「その祭りの渦に入り込みたい」という欲求が膨れ上がった末の行動なのです。「行動」の“キッカケ”がかなり不確かなこの映画において、何て素直にその「行動」を受け入れられたことか!

こんな普通な理由があったからこそ、追加入部組を含めたみんなが、本番に向けて練習する姿についつい引き込まれてしまうのです。
こんな普通なことが、やっと2日目に成されたこと、大変、もったいないなと感じております。

本番を明日に控えて、さあー、佳境へと映画は進みます。この勢いで終盤を纏め上げて欲しいものです。



7月15日(土)


今、彼らのパフォーマンスが終了致しました。


うーむ、もったいない.......。

高校時代、僕も持っていただろう、ハツラツとした眩しい時間が、そこにはありました。しかも学園祭という、特権的時間の中でも、よりによって最高潮に達した瞬間に、彼らのピークが到来したことに、嫉妬さえも感じてしまいました。
僕の高校時代は映画研究部員として8mm映画を作ってきたのだけれど、”作り上げる””人に見てもらう”という観点では全く同じ行為になるわけで、高校3年生の時に作った映画を、色々な人に見てもらい、後夜祭の時に「最優秀クラブ賞」の発表を受けた時の高揚感が、まざまざと思い起こされました。


もったいない.......。と嘆いたのは、そんな終盤の見せ方が高度に結実したにもかかわらず、そもそもの映画の出発点である、シンクロ開始の必然性の脆弱さを、やっぱり思い出してしまったからなのです。しかも、しょうがないな、とは思いつつ、その脆弱性を作ってしまった 真鍋かおり が当然のごとく顔を現す予定調和的な作りに、反発を感じたのも確かです。

でも良かったですよ。前半まるっきりダメだった、“キッカケ” の敷設ですが、「シンクロの大成功」という大団円を導き出す “キッカケ” に関しては、立派に仕掛ることができたのですから。
夜のデートでの火事発見→消化活動によるプールの水不足→桜木女子高校のプールを借りてのシンクロ パフォーマンス。
めっちゃベタな展開ではありますが、心地よく結末への必然を作ってくれました。
ハツラツとした眩しい時間が、映画の中で、そして自分の回顧の中で、しっかりと輝いたのでした



ポータブルDVDプレイヤーによる
車内鑑賞レビュー


7月11日(火)


「行動」 を起こす時には、その起因となる “キッカケ” というものが、必ず存在すると思うのです。

この映画の訴求点は、宣伝コピーの「男のシンクロ!?」 そのもので、シンクロに没頭する男子高校生の物語なのですが、そもそも、あの5人の男の子がシンクロを始めることになった “キッカケ” の突き詰めが甘いので、冒頭から「ぬるい!」 と思ってしまいました。
この映画が動き出す “キッカケ” となる、真鍋かおりとの人間関係をもっと丹念に描くべきであったと、声を大にして主張したい。
また、文化祭での公演を辞退したのにもかかわらず、再び引き受けることになる “キッカケ” の表現も、非常に「ぬるい」ため、彼らの活動の薄っぺらさばかりが気になってしまいました。

人が動くこと、人が集うことの土台には、しっかりとした理由がないと、リアリティに欠けてしまうと思うのです。それが、理屈まみれなものでもいいし、感情的なものであってもいいし、本能的なものでも、勿論いいのです。
兎に角、行動を支える“理由”というものがあって欲しいのです。
残念ながらこの映画は、行動に至るための、しっかりとした “理由” や “キッカケ” に対する配慮が成されていないため、この映画の存在理由である「男のシンクロ!?」 の必然性が欠如した状態で走り始めてしまったのです。
明日以降、足元を確認しなが動いて欲しいな。



7月12日(水)


ヤッター!
やっとこの映画に“キッカケ”や“理由”という、行動の元となるものが出現いたしました。

ニュース画像にシンクロ5人組が放映され、彼らの人気が急上昇した途端、入部希望者が殺到するのです。テレビで紹介されたことで、「その祭りの渦に入り込みたい」という欲求が膨れ上がった末の行動なのです。「行動」の“キッカケ”がかなり不確かなこの映画において、何て素直にその「行動」を受け入れられたことか!

こんな普通な理由があったからこそ、追加入部組を含めたみんなが、本番に向けて練習する姿についつい引き込まれてしまうのです。
こんな普通なことが、やっと2日目に成されたこと、大変、もったいないなと感じております。

本番を明日に控えて、さあー、佳境へと映画は進みます。この勢いで終盤を纏め上げて欲しいものです。



7月15日(土)


今、彼らのパフォーマンスが終了致しました。


うーむ、もったいない.......。

高校時代、僕も持っていただろう、ハツラツとした眩しい時間が、そこにはありました。しかも学園祭という、特権的時間の中でも、よりによって最高潮に達した瞬間に、彼らのピークが到来したことに、嫉妬さえも感じてしまいました。
僕の高校時代は映画研究部員として8mm映画を作ってきたのだけれど、”作り上げる””人に見てもらう”という観点では全く同じ行為になるわけで、高校3年生の時に作った映画を、色々な人に見てもらい、後夜祭の時に「最優秀クラブ賞」の発表を受けた時の高揚感が、まざまざと思い起こされました。


もったいない.......。と嘆いたのは、そんな終盤の見せ方が高度に結実したにもかかわらず、そもそもの映画の出発点である、シンクロ開始の必然性の脆弱さを、やっぱり思い出してしまったからなのです。しかも、しょうがないな、とは思いつつ、その脆弱性を作ってしまった 真鍋かおり が当然のごとく顔を現す予定調和的な作りに、反発を感じたのも確かです。

でも良かったですよ。前半まるっきりダメだった、“キッカケ” の敷設ですが、「シンクロの大成功」という大団円を導き出す “キッカケ” に関しては、立派に仕掛ることができたのですから。
夜のデートでの火事発見→消化活動によるプールの水不足→桜木女子高校のプールを借りてのシンクロ パフォーマンス。
めっちゃベタな展開ではありますが、心地よく結末への必然を作ってくれました。
ハツラツとした眩しい時間が、映画の中で、そして自分の回顧の中で、しっかりと輝いたのでした
 

笑った

 投稿者:つじ  投稿日:2006年 7月15日(土)06時19分27秒
  ●いい博士が勝ったように見える部分

面白い切り口ですねー。
これは、感想じゃなくて、もはや「批評」ですね、ある種の。

>どうやら彼はいい博士と悪い博士が同じ顔ということがわからなかったらしい。

なにがすごいって、↑なのに、

>悪い博士はいい博士を殺して、クルマにロボットを乗せて女の人と逃げる

超ネタバレですけど、いい博士が悪い博士を殺したかに一瞬見える演出で、
ああ、悪い博士が勝ったんだって、少し経ってから判るんじゃなかったでしたっけ?

あの間も、ご長男は、悪い博士が勝ったって判ってたんでしょうか???
だとしたら、物語にはオチがあるってことが既に判ってる?!笑

カッコいい悪い博士の方になりたいっていうのは、
さすがオイカワさんの子供ってことなのか、、、。



●いい=悪いの反転

ロボットといえば、「A.I.」の後半なんかは、息子さんは、どんな風に
見るんだろうなあ。

ああそうだ。「ドッペルゲンガー」は、いい博士はいい博士のまま、
悪い博士は悪い博士のままの作品ですよね。

でも、、例えば、「太陽に恋して」は、「えっ、この人、こんなに悪い
ヤツだったの?!」とか、「あれ、コイツ、こんなにいい人だったの?!」とか、
いい=悪いが反転するんですよね。

五歳では面白く最後まで見れないと思うけど、「キングス&クイーン」は、
「有能で心の温かい才女」に見えていた人物が、後半、まるで違うように見えたり、
「無能な問題児」に見えていた人物が、後半、すごく心が豊かで、
問題は抱えているけれど、まっすぐに生きようと努力している気持ちの良い人物だと、
見た人が感じるように作られています。

そういう、印象が変わるように操作(?)されている物語って、時々ありますよね。

今、「太陽に恋して」と、「キングス&クイーン」しか思いつかなかったけど、
もっと適切な作品ないかな。「ミッションインポッシブル」とか、
「マイノリティー・リポート」とかでもいいのかな。「あ、この人が真犯人なんだ」
って、登場人物のいい=悪いの反転がある物語を、息子さんがどう見るのか、
興味あります。



●「ジョーズ」を見たらどう思うか

スピルバーグつながりで言えば、「ジョーズ」を見たのは、ぼくは八歳の時
なんですね。七歳の時に見た「大地震」は、退屈だったんですけれど、
「ジョーズ」は面白かったし、ほぼカンペキに物語を理解していて、
ジョーズに勝つプロットの上手さに、「こうやれば無敵のジョーズに
勝てるんだ!」と、すごく興奮したのを憶えています。ウルトラマンや
仮面ライダーで育ったので、スペシウム光線もなしで、二人(三人)がどうやって
ジョーズに勝つのか、全く判らなかったんですよね。

大人から見えている以上に、すごく深く大きく、子供って影響されるし、
きちんと理解しているし、その辺り、興味が尽きないです。

「ジョーズ」、映画館でやらないかなあ。やらないよなあ。
素敵な息子さんには、映画館で「ジョーズ」をぜひ見て欲しいなあ。
夜、船の中で過ごす三人の時間、くじらの声とかが聞えるんでしたっけ、
過去の話なんかを話し合う、あんなシーンの魅力は、外の音や外の時間が
遮断された映画館で集中して見ないと、なかなか判らないと思うから。

あと、ジョーズの圧倒的な大きさね。これをやっつけるんだという
絶望感と興奮のようなあの感覚!

「トレマーズ」も面白いけど、やっぱり「ジョーズ」だなあ。
って、なにを書いてるんでしょうね、オレは?!笑
 

いいですねぇ

 投稿者:オイカワ  投稿日:2006年 7月12日(水)21時03分3秒
  久しぶりににぎやかになってきてうれしいっす。
やっぱ、こうでなくっちゃね。みなさんこれからもよろしくお願いします!

せっかくなんで私も最近見て面白かったやつの殴り書き感想をひとつ。
黒沢清の「ドッペルゲンガー」。
これは見るの2度目だったんですが、やっぱ最高でした。
こんなに開放感を感じた映画は久しくなかったな。
今回は5歳のチビ(男子)と一緒に見たのですが、ヤツも盛り上がってましたね。
見終わった後に、「どんな話だったかわかるか?」と聞いたら、チビ曰く
「いい博士と悪い博士がイスロボットを作って、悪い博士がイスロボットを盗む」
「女の人はいい博士よりも悪い博士が好きだから悪い博士と一緒に行動する。悪い博士ってカッコいいよね」
「悪い博士はいい博士を殺して、クルマにロボットを乗せて女の人と逃げる」
「イスロボットに座ると頭の中で考えたとおりに動くから凄い」
「博士の助手が悪い助手に変身したからやっつけるけど悪い助手は強くてすぐに生き返る」
「がけのところでイスロボットを外に出したらイスロボットはめちゃくちゃに動いてがけから落っこちたから、悪い博士と女の人は歩いてずーっと行く」
だいたい合ってるような気もするけど、どうやら彼はいい博士と悪い博士が同じ顔ということがわからなかったらしい。
ヤツにとっては「ドッペルゲンガー」じゃなくて「博士とイスロボット」だったんですね。お約束ですが「いい博士と悪い博士、どっちになりたい?」と聞いたら「悪い博士」とのことでした。
あ、感想じゃなかったですね。
 

『キングス&クイーン』雑感、つづき

 投稿者:kusukusu  投稿日:2006年 7月11日(火)18時05分31秒
  『キングス&クイーン』はとにかく「人生そのもの」。
もはや恋愛映画とも言えないぐらいの「人生そのもの」?
なぜならこの映画の登場人物たちは再会しても恋愛が再熱したりするような話ではないから。
このヒロインが今度、結婚する相手とは恋愛もしてないのではないか? 「恋愛する相手」と「結婚する相手」は別なのだろうか? そんなことはたぶん実際に生きている女性の人には普遍的な、当たり前の話で、実際に「恋愛する相手」と「結婚する相手」は別という風に生きている人がいっぱいいるに違いないんだけれども(そして、そのこと自体はいささかも悪いことではないと思うし、そのような形でその人がよりよく生きれるならばそれでいいと思うわけだけれども。しかし、まあ、これは自分のことを棚にあげて言うわけであって、それでは僕みたいな人間はますます恋愛をできる可能性がなくなってしまうような気がするから自分的には困ることではあるんですけれども・笑)、そんなことを映画にしても面白くないんじゃないか?とつい思ってしまう。
しかし、『キングス&クイーン』は面白い。まったく困ったことなのである・・。(自分的には。)
 

『キングス&クイーン』雑感

 投稿者:kusukusu(  投稿日:2006年 7月11日(火)17時39分50秒
  『キングス&クイーン』は、僕は全然、自分がやりたいと感じるものとは違うし、そもそもこうした群集劇は僕は苦手という意識を持っていて、自分としては苦手な部類の映画(ちなみにアルトマンも苦手意識がつきまとい、どうしても好きになれない監督なのです。)なのかもしれないと感じたのですが、にもかかわらず嫌いな映画なのかというと全然、そういうわけではなくて、むしろ大好きな映画で結局はあったりするのが自分としても不思議な作品でした。
僕が好きなのは、この映画の軽さなんだろうか?(自分としても整理がついていない。)
まるで映画を見たというより、親しい友人にえんえんその人の人生について話を聞いたような感じ。ふーん、そういう風にあなたは生きているんだねえと話を聞いて感慨を持つような感触を見終えて持ちました。
別にドキュメンタリーというわけでもないのに、そういう感慨を持ち得る作品というのがまた不思議なのです。
 

以上は、新着順81番目から90番目までの記事です。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 
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