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2016年11月26日の写真です。

 投稿者:工藤英治  投稿日:2016年11月28日(月)08時57分49秒
  皆さま、お待たせいたしました。
同期会の写真がネットにアップされた旨、宮川さんから連絡がありました。
下記をクリックしてリンク先へ飛んだあと、当日にお伝えしたパスワードを入れてください。

https://opa.cig2.imagegateway.net/s/cp/E4i5nukZcr8

最初に2年前の写真が50枚ほどあり、その後に今回の50枚がはいっています。
前回の写真からゆっくりとながめるのもよし、飛ばして今回の同期会のみを見るもよし、お好きにどーぞ。
いつもながら、撮影ならびにwebサイトアップの労をおとりくださった7組の宮川晃さんに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
次回の幹事クラスは、3組と6組です。健康に留意しながら楽しみにお待ちくださいね。

https://opa.cig2.imagegateway.net/s/cp/E4i5nukZcr8

 
 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2016年11月27日(日)21時00分2秒
  ?枯れ葉散る夕暮れは来る日の寒さを物語り?的な季節になった。
勤務地が変わり、八重洲口にある本店勤務になったため、東京メトロ有楽町線飯田橋駅で東西線乗換するが地下道を通らずに出来るだけ牛込橋を渡るルートにしている。枯れ葉の舞うこの橋を渡る時に、コートの襟をたてながら、いつも五輪真弓さんの歌声を思い出す。
牛込御門の石垣が残るおそらく江戸時代のままのこの通りを、かって島崎藤村が麹町の日テレ前にあった明治女学校の教師時代に神楽坂上から徒歩通勤していたという。外堀土手を通り帯坂を登ったとあるので同じ外堀の景色を見ていたと思うとタイムスリップ感を覚える。高校時代に「まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えし時…」で始まる「初恋」を暗記していた記憶がある。その頃は知らなかったが、この方は明治女学校での女性トラブルや姪っ子との関係など別の素の面があった。
妻テレジアが、あるアーティストの熱心なファンで、そのオッカケのオッカケをして、いろんなとこへ行く。下関にも数回行った。その観光案内パンフに土地ゆかりの有名人がのっており、松本清張もその1人とあった。清張ファンとしては九州小倉が既知で意外感あり、よく読んで調べて見たところ、小学生ごろに壇ノ浦のあたりに住んでいたという。「半生の記」によると、表は街道に面して裏は海に半分せり出した家で父親が餅やを営んでいたとある。その後鉄道敷設に伴い内陸に転居した。それらしき場所は空港往復バスで通る壇ノ浦古戦場跡・幕末下関戦争跡附近と思われる。通り過ぎるたびに、ここにあの大作家が幼少期に住んでいたと目を凝らす。
中央公論社から出された「日本の詩歌」というシリーズ物の石川啄木編を購入したのは確か高校一年の時だった。また読みたくなり探したところ、本屋には全くなかったが、最近図書館本館にあるとわかり取り寄せた。積ん読型読者だった割には、何十年振りかにページをめくると次々に懐かしい内容が蘇った。
夏にやはりオッカケで釧路に行った。幣舞橋を啄木が明治何年かに渡ったという記憶がありその足跡を辿った。釧路新聞社(復元された場所の近くの現ガソリンスタンド地)や下宿跡や愛人小奴のいた料亭街、散歩した海辺など周った。建物を除けば道筋は往時のままと思われ、およそ110年位前の極寒の時期、ここ釧路のこの場所で70日程を過ごした天才歌人の心境に思いを馳せた。
 

2組クラス会参加できず…残念

 投稿者:杉村千佐子  投稿日:2016年10月 5日(水)11時44分12秒
編集済
  2組のクラス会報告、まっちゃんありがとう。幹事の中村くん、荒井くんお疲れ様でした。写真を撮ってくれた比留間くんお世話になりました。
それにしても参加できずに残念です。
古村さん、本多さん、石引さん会いたかった!男性陣もお久しぶりです。クラス会の写真はまだかまだかとまっちゃんに催促するほどでした。卒業後45年たつので、皆んなそれぞれの年輪を重ねてきているけど、面影は残っていて懐かしく拝見しました。
次は11月26日(土)に同期会があります。その時には是非お会いしましょうね。私のようにクラス会参加できなかった方も他のクラスの方々も是非同期会には出てきてくださいね。
そろそろ案内状が届く頃かと思いますのでよろしくお願いします。
 

2組クラス会

 投稿者:海老原麻知子  投稿日:2016年10月 5日(水)03時04分26秒
  えーと…いつだったかな?
9月4日だ!
2組のクラス会。14人が参加(男性10人、石塚、小田、佐伯、篠田、比留間、桧山、山尾、山田、荒井、中村。女性4人、石引、本多、古村、海老原)しました。
みんな長い長い近況報告!それだけいろんな事があったんだね…。
今回ご都合が悪かった方も、次の機会にお会いしたいです。

 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2016年 5月21日(土)08時41分17秒
     我が家のウッドデッキにからしだねが黄色の花を咲かせた。テレジア(妻のクリスチャンネーム)がからしだねは聖書に出てくるんだと語る。小さな種が巨木になるみたいな含蓄のある話らしい。そのからしだねが去年の爆弾低気圧のときに折れてしまった。朝方カーテンを開けて無残な姿を目にしたときは少なからずショックを受けた。それが半年程で青々と葉を繁らせて花を実らせたのを見ていると何となしに生きとし生ける者はこうあるべしなんて素朴に嬉しく元気にさせてもらえる。
   玄関横に南天の木が植わっている。南天は難を転じるに通じるとかでこれもテレジアの受売りですが冬場に赤い小さな実をつけると風水っぽくたわいもなしに安心感に満たされて出勤できる。雪の日にはその重さ寒さに耐えてしのいでいたものの暖かくなって来た頃に何時の間にかカラスか野鳥に赤い実すべて食われてしまった。何かあるんじゃねえかなんて疑心暗鬼になるもリアルに弱肉強食、優勝劣敗、自然輪廻なんて切替早く納得する。
   健康酒メーカーのCMに男性8の倍数女性7の倍数が東洋医学でアブナイ年令なんですというのがある。これによれば同級生の女性は昨年男性は今年になる。同級生諸兄諸姉におかれましてはいかがお過ごしでございましょうか?平均寿命は確か男性80歳女性86歳なので男性は残り16年女性は残り22年となるのは猿でもわかる。
   そう言えば7歳違いのテレジアは昨年7の倍数で年甲斐もなくライザップぽいジムの加圧トレーニングを受けて腕にバンド巻きベンチプレスした途端頸動脈解離になった。一歩間違うと クモ膜下というアブナイ状況でひと月入院治療を経験した。元々イノシシ年っぽく猪突猛進瀬
戸際スレスレ大好き人間はそれ程重大事と思うこともなく病院食がうまいんだと喜んでた。
   自分は前々からピロリ菌の除菌をせねばと思いつつもう10年も放置しておいた。定期健診で経過観察でいいと言われ安心していたものの今年になりどうも胃のあたりに違和感あり胃カメラを初めて経験した。バリウムの精度も高いというものの自覚症状なく胃ガンは進行するというので実写が心配だった。胃ガン発見とわかれば当然ピロリ菌除菌に進めないが今回は何事もなく7日間の除菌に入れた。一度自分の内臓を自分の目で見るとこの粘膜を飲食物が通るかと思うと暴飲暴食はできないなと強く思った。
 

観劇

 投稿者:satani  投稿日:2016年 1月26日(火)19時15分27秒
  久しぶりに、自分の都合で開けたら、あまり、書かなくなっているのね。でも、読んでくれる方がいたらと、書きます。
板橋演劇鑑賞会の(年6回観劇)2/8日18:30からは、文学座「女の一生」。自分では、選ばない芝居ですが、昨年、三越劇場で見たら、良かった。何が良いって、初稽古の前夜に、東京大空襲で稽古場が焼ける。それでも、練習して、戦後すぐに、初演。「リアルタイムで見たら、希望が掘り起こされたに違いない」と思う。日本近代史を一部学べる。
と、言うわけで、入会者を募っています。入会金千円。観劇料4400円。ちなみに、三越劇場では、8千円だったかな。一戸さんも、入会されています。
 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2015年 2月14日(土)19時22分45秒
   通勤で新宿駅西口を毎日利用している。ここを通るたびに、かってこの新宿駅西口広場で反戦フォーク集会があったことを知る人は何人いるだろうかと思う。BS放送の「音楽のある風景」でたまに古い映像を見ることができる。そこでは、大勢の人が肩を組み、高石ともやさんの「友よ」が歌われている。
♪「友よ、夜明け前の闇の中で、友よ、戦いの炎を燃やせ、夜明けは近い、夜明けは近い。」♪
 娘と孫の住むマンションが西池袋にあり、その行き帰りに山手通りを要町駅まで歩くことがある。あるビルの前に来ると、ここが昔「千早砦」と呼ばれていたんだと家人に説明する。某セクトのアジト(この単語も古い)となっていて、ビルの前には白ヘル・鉄パイプの見張りがいた。今はきれいなビルとなっていて楽器の会社が入っている。
 学生時代、学内でセクトの集会を見ていると決まって、集会の最後に革命歌「インターナショナル」を合唱していた。♪「立て飢えたるものよ、今ぞ日は近し。」♪この歌も今となると全く聞かれない。合唱の後、デモ行進に移る時にシュプレヒコールを叫ぶ。「なんとか派は戦うぞ戦うぞ戦うぞ」とリピートした後に、いつもわっしょいと言ってから、デモをスタートするのが、傍観者のノンポリ学生(これも懐かしい単語)にはミスマッチ感があったが、なんとも和風で面白かった。
 孫を連れてたまに東板橋公園に行くことがある。子供動物園があって、無料で山羊とか羊に触れあえる。ここの地形が由緒ありげだったのでネットで調べると、加賀藩下屋敷の一部らしかった。北園も跡地とは知ってはいたが、20万坪以上の広大な広さとは知らなかった。そう言えば、北園の校門入ってすぐに遺物らしきいわくありげな石灯籠があったような。
 その公園にはクルマで行ってるので、帰りは一方通行の関係から、北園高校グランド下から国道17号へ出ることになる。グランド下から上がって行く途中に塀の隙間から見ると、卒業アルバムのクラス写真の撮影場所が見えた。そこには間違いなく40数年前に記念写真に収まった自分がいた。モノクロの中の黒ぶちメガネは何を考えていたんだろうか?
 ♪「悲しいことがあると開く革の表紙、卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。」♪
 一瞬、「あの日に帰りたい」と思って、後ろを振り返っても、♪「そこにはただ風が吹いているだけ。」♪ でした。
 ANAの機内番組のオールナイトニッポンフォーエバーで「ホームにて」を聞いた。
ジムに週3回通い尿漏れ防止にとヨガとピラティスのプログラムで骨盤低筋を意識してストレッチし気をつけているものの、涙腺だけは締りが悪くなってしまったようで、聞きながら涙が止まらなくなってしまった。
 独身時代に富山に住んでいたことがあった。入社して最初の転勤で、人生で初めての一人暮らし、地方暮らしを経験することになった。当初は独り立ち心満載で意気がっていてはみたものの、次第に帰る場所喪失的な、昔の流行り言葉でいうデラシネ感で、帰京に逡巡することがあった。そんな自分の心情を見透かすように伯母の帰京を促す電話メモが、何度も何度も下宿のドアにはさまれていた。その頃は富山・上野間は夜行寝台急行の利用が一般的だった。昔の富山駅は改札を抜けて地下道をくぐりプラットホームにでる。乗客のまばらな夜間のホームで乗車券を握りしめ、ひとり列車待ちをしていた光景がよみがえった。
 中島みゆきさんのビブラートの効いた澄んだ歌声とその歌詞が心にしみて、当時の様々な出来事がフィルタリングされ浄化されていくのを感じた。
 

11月15日の同期会記念写真

 投稿者:工藤英治  投稿日:2014年11月17日(月)13時25分19秒
   皆さまお疲れ様でした。
 山上幹事長、池ノ谷幹事、留美子さん、岡さん、河北さんに感謝いたします。また、当日参加くださった同期生の方々にも御礼申し上げます。盛会裡に終了いたしましたことを、ご参加がかなわなかった同期生の皆さまにもご報告申し上げます。
 今回はバイキングスタイルではなく会席料理で、横の動きがとれないのではないかと心配しておりましたが杞憂に終わりました。お店側の対応がしっかりしていたのも、その理由のひとつでしょう。靴を脱ぎ、和室で椅子席という形もかなり寛げたと思います。ただ、最後に下駄箱のカギを紛失して玄関で揉める小さなトラブルもありました。ま、酔っぱらっていてポケットに入れたカギを忘れていただけなんですがね。(ほら、7組のあなたのことですよ 笑)

 スナップならびに記念写真は下記をクリックして、当日下げていた名札の裏面に書いてある「パスワード」をいれるとご覧になれます。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/E4i5nukZcr8

 また、ご希望のあった前回(2年前、7組・8組幹事)の同期会写真は下記でご覧ください。「パスワード」は我々の卒業年度、数字で4桁をいれてください。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/FTJjZBxnDMD

 いつもながら、写真撮影とアップロードをボランティアでやっていただいている宮川さん(7組)にこの場を借りて深謝申し上げます。ありがとうございます。(できれば、またお願いいたします 笑)

 尚、「パスワード」が解らない方は、知っていそうな友人に電話をするか、最初にお送りした「案内状」に記載されている山上宛メールをくださいね。
 それでは次回また皆さまにお会いできるのを楽しみに…

http://opa.cig2.imagegateway.net/s/E4i5nukZcr8

 

WHEN I’M SIXTY-FOUR

 投稿者:高橋 次雄  投稿日:2014年 5月 6日(火)16時53分32秒
  居酒屋でビートルズ・・・現代風に言えば・・・いいねえ・・・とても粋だと思う・・・。
居酒屋のBGMと言えば通例はやはり、一郎(鳥羽)、二郎(渥美)、三郎(北島)の123トリオがもっとも抵抗のないところか?
私はコムサ・デ・モードという洋品店で常にビートルズナンバーが流れている事を思い出す。と言うもののもう20年位前の事だけれどもね・・・この店ではアルバムごと流れていて、妻が子供服をああでもないこうでもないそうでもないと選んでいる時に私は暇つぶしに耳を澄ませていたもんだ。しかもそのビートルズが一番良く聞こえるように天井に埋め込まれたスピーカーの真下に行ったものだ・・・。
このメーカー全店舗の実施か、はたまたこの店舗だけの店長独断の実施かは判らないけれども・・・そして今はどうかもわからない。ひょっとするとBGMはクィーンあたりに変わっているかもしれない・・・。
ビートルズのBGMが意外に流れているのがスーパーとかディスカウントストアーだ。ポールモーリアとかフランシスレイとかビリーヴォーンとかのまるで空気のような音楽の合間を縫って「SHE LOVES YOU」とか お決まりの「HEY JUDE」がポツンポツンと流れてくるのである。
絶妙なアレンジのビートルズサウンドはインストゥルメンタルであってもまったく抵抗がないのである。
ある時「SHE`S LEAVING HOME」が流れており、思わずその場に立ち止まってしまい聞き入ってしまった。そしてI’M LEAVING SHOPとばかり私は何も買わずにその店を出て行ったのである。
またある時は「WHEN I’M SIXTY-FOUR」とこれまたお決まりの「LET IT BE」が流れていた。
ポール・マッカートニーが確か60歳の誕生日の時、各プレスの記者達がこぞって放った質問が「ヘイ!ポール!64歳になったらこの歌をまた歌うか?」とか「ハイ!ポール!お孫さんをこの歌のように設ける事が出来るかしら?」という類いの質問を浴びせたそうである。当の本人はいろいろな場所で何十回も同じような質問に全く辟易イライラしたそうであった・・・。
この類で括ってみるとディープパープルの「HIGHWAY STAR」や「BURN」などともしばしば遭遇する。
 スーパー側としては軽快なノリで販売促進と目論んでいるんだろうが、買物カートにつかまりながら、ゆっくりと店内を行きつ戻りつ、そして牛乳パックの日付や豚こまの量や色、バナナのシミと自分の手の甲の染みを見比べるように・・・ためつすがめつ穴があくほどそれらを見つめる数人のお爺ちゃんお婆ちゃんの買い物姿を見てしまうと・・・販売促進どころか・・・何だか切なくなってしまう。
 多分…間違いなく来る何年後かの自分の姿を投影してしまうからだろうか?
もしも・・・3年で人生が激的に変わったと言い切るイギリスの5人の若者達や、5分で世界は変わるとうそぶく日本代表のサッカー選手がこの店にやってきたら・・・このうら寂しいスーパーマーケットも活況を呈するかもしれない・・・。
 そして私もその話題の64歳まであと3年となった訳で、残りの3年間で果たして激的な変化を遂げられるかどうか・・・?
 長いようで短い3年間・・・高校時代があっという間に過ぎ去ったようにこれからの3年間もマッハのような速度で過ぎ去っていく事だろう。
 還暦の時には「還暦・・・それがどうした!」と強がり何とも思わなかったが、過去に私が味わった切歯扼腕の感情がまるでチリで起きた地震に因る津波のように今頃になってジワジワと心を締め付けてくるのである。
 今年61歳・・・還暦2年目である。この心に起きるやっかいな津波を何とか抑え付ければ・・・確かに英国の若者達が言うように3年で激的に変わるかも知れないと思ったりするのである。
 しかしそれはロト6が当たるとか、所沢でシニアモデルとしてスカウトされメディアの寵児(いや寵爺か?)となるとか・・・前向きに考えるとこれはもう雲を掴むような他力本願型となってしまうのであり、悪い方に考えを巡らすとこれはもう不安だらけでキリがないのである。
 日本人の平均寿命的に考えれば・・・まさか3年後にこの世から消えてなくなるとは思わないけれど、もしそうなればこれはもう最大の激的な変化と言う事になるのである。
 戦争や宗教的な紛争もなく不慮の事故や災害に遭遇する事さえなければ、命の危険を感じる事なく平和に暮らして来た61年間は確かにそれだけでも充分に幸福な人生だったのかもしれない。その幸福の中で小さな不運だの些細な幸運だのと嘆き喜び悲しみ怒りを順不同で絶えず繰り返してきた訳である。あと3年くらいは戦争や天変地異はないだろう。
 そんな取るに足りないこの私であるけれども、哀しいかな・・・もう人生のカウントダウンを考えなくてはいけない時期に来てしまった事は間違いのない事なのである。
 車のステアリングがやたら滑るようになったり、木の椅子に長く座れなくなったり、早起きがまったく苦にならなくなったり、小便の回数が増え大便の回数が減ったり細くなったり・・・また毀誉褒貶の境目が見事なくらいに曖昧になったり(元々希薄ではあったけれども)自分の矜持がことごとく打ち砕かれたり、過去の憎しみの対象を全て赦してみたくなったり(今はまだ赦せない人々は心の中に数人いる・・・後悔大我が身高校はもう卒業しなければ・・・!!)・・・すべてカウントダウンをし易くする為の準備なのかもしれない。
 新聞を開けば死亡欄がやけに気に掛かる今日この頃、長寿の方を羨み、短命の方を哀れみ・・・しかし彼にしても彼女にしても新聞に載る位の何かを成し遂げた人物だから素晴らしい人生だった筈である・・・。
 はたまたページを捲れば・・・人生相談の欄に市井の悩みに笑ったり驚いたり同情したりするのである。
 老若男女の真剣な悩みの中に60代、70代以上の相談が意外と多いのにはビックリするのである。
 女性からは・・・「息子夫婦との関係悪化」(60代主婦)「介護巡り子供達に亀裂」(80代主婦)「娘の夫、借金まみれ」(70代女性)など・・・人間関係やカネでの悩みは死ぬまで尽きないようである。
 はたまた夫が原因となる妻の悩みも結構あるのである。
「夫が小便を撒き散らす」(60代主婦)。そんな事で・・・叱らないで叱らないでマリア様。これはちょっと可哀相である。男の体の形状上、自身のトマホークは年齢を重ねると狙いが狂うようである。この状況は怪優ジャック・ニコルソン演じる「アバウト シュミット」という映画で如実に判る。(是非一見)。
 更にびっくりしたのは・・・「夫の浮気癖が治らない」(70代女性)夫ももちろん70代だ!参った参った・・・!!
 「老人ホームで三角関係」(80代男性)よくよく読めば河合奈保子「ケンカはやめて」状況ではなくてこの男が二人の女性に二股掛けてそれがバレて困っているらしい・・・勝手にしろっ!このスケベ野郎!うっ羨ましい!
 肉食系老人は灰になるまで肉食系という訳か?困ったものだ!老人の慎みは一体何処に行ったのだ。滅びてしまったのか!?
 しかし・・・しかし・・・ひょっとするとスケベこそが長寿の秘訣かもしれない・・・。
苦笑いしながら・・・この新聞の一面に戻れば、大見出しで群馬県富岡市の富岡製糸場が世界遺産になるニュースを報じている。
 う~む・・・私も今晩あたり・・・久し振りに・・・我が体内の富多き精子場の操業状態を点検してみたくなった・・・せめてもの長寿の為、夫婦円満の為・・・そして3年後の激的変化の下準備の為にも・・・。


 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2014年 5月 3日(土)16時58分42秒
   この頃、一週間たつのがつくづく早いと感じる。日曜朝のサンデーモーニングの移動カメラのコーナーになるともう一週間たったのかと思う。あれよあれよという間に一カ月たち、春が来て夏が来て秋が来て冬になる。よく言う棺桶に足を突っ込んでいる心境になっている。
 今年は62歳になるわけですが、還暦でゼロクリアーされたので、2歳の孫に「りーちゃんいくちゅ?」と問いかけて、「2ちゃい」と返って来る返事と同時に、「ジィージィも2ちゃい」と言ってからかう。
 たまに行く居酒屋(〇〇屋文蔵)では、BGMにビートルズナンバーのオリジナル曲が流れてる。会計の時に店長に聞いてみると、社長の指示で全店でやってますとのこと。スタンダードな曲の合間に、「今日の誓い」、「アクトナチュラリー」といった、ハッとする曲が流れる。この曲たちは、いわゆるSP盤のB面曲である。確かに自分も持っていた。
 「今日の誓い」は「ビートルズがやって来るヤアヤアヤア」(A hard days night)のB面。このレコードを志村銀座の「五番街」という、漫才師のリーガル天才か秀才かの新規開店した店で買った。本人を店頭で見かけたこともあった。プレーヤーは都電小豆沢電停前にあった志村2小同級生の実家の川羽田商店で中古を買った。次から次と50年も前の光景がよみがえってくる。
 「アクトナチュラリー」は確か「イエスタディ」のB面だった思うが、これはリンゴのボーカルだなどと7つ違いの本妻にウンチクをのたまう。安いSP盤しか買わず、何回も表裏聞いていたので覚えていた。
続いて、「We can work it out」(日本題「恋をだきしめよう」)になった。「Life is very short.There's no time.」のリフレインを、ほろ酔いの中、思わず目を閉じて聞き入ってしまった。
「人生は短い、時間がない、でもなんとかなるよ」的な求愛応援ソングだった。連想で志村喬が黒沢映画の「生きる」のラストシーンで、雪の中、自分の執念で作った公園のブランコで「命短し恋せよ乙女」を歌いながら死ぬ場面も思い出した。
 当時は、当然ですが「Life is very short.」といってもピンとくるわけもなく、前途洋々とまでいかずとも、将来不安はノー天気に全くなかったように思うが、今はこの「Life is very short.」のフレーズが、心に重く響いた。
 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2014年 2月 2日(日)10時48分45秒
   早稲田の穴八幡に一陽来福のお札をもらいに行くのが毎年の習慣になっている。冬至と節分の間にそのお札をもらい、節分の日の午前零時に決まった方角にお飾りするのを励行している。カネガネーゼ(このギャクも古い)としてはドカンと金運望むところですが、今のところ金に困るほどでもないので、ご利益をいただいているのかもしれない。穴八幡といえば、五木寛之の「風に吹かれて」に、社殿の下に寝泊まりしていたという神社で出てくる。
 いつも副都心線の西早稲田でおりて、「えぞ菊」という札幌ラーメン店に寄って行くのが習慣であったが、今年は別の看板になっていたので行かなかった。行くたびに、いかにも仲の悪そうなオヤジ二人でやっていたのでやっぱりねと得心した。明治通りから早稲田通りに下って行きお参りをしての帰り道、ふと早大文学部校門を見ると、およそ40年前の自分がそこにいた。スロープ脇に腰かけ女子学生の通学をながめたり法学部のくせに文学部読書室に出入りして公安に間違えられ革マルに追い回されたりと地味ながらも思い出がある。
 当時は門の横に公衆電話ボックスがあった。4年の時そこからある会社の人事部の人事課長へ電話していた。12月1日の入社試験日に行くつもりで入社見込を問合せをしていた。その時は芳しい返事はもらえなかったものの試験日に行き、結局その会社に採用された。以来定年まで勤め上げ、その間縁あり結婚し家庭を持ち現在に至っている。3人の子供を4大卒業(しかも二人は小学校・中学校から私立)させて、住宅借入を完済し、墓場まで持っていくような人に言えない事もなく(性格的に逆にアグレッシブになれなかったのかもしれないが)大過なくすごせた。往時茫々という言葉が思い浮かんだ。
 北園クラス会の連絡を以前はいただいていたものの、いつも不参加の返事を出していたら、あたりまえですが、そのうちCCからはずされて来なくなった。敷居が高くなってしまったのは理由があった。数年前のこと、ある飲み会の時、コの字型の宴席で中央に座った幹事さんの一人づつ近況を述べよ状況になり自分の番になった。当時転職の狭間で口ごもってしまい、その雰囲気が会社の取締役会の業績検討会議か異業種交流会みたいな展開について行けなかった自分がいた。いろんな人生の交錯するクラス会だからなどと思いつつ、自分の行く末来し方を帰路に考えさせられた。
 

天切り松の闇語り

 投稿者:鈴木輝男  投稿日:2013年12月31日(火)12時14分55秒
   「ジージィ、ジージィ」と私を遠くから見つけると走り寄って腕の中に飛び込んでくる孫娘。両手でかかえて抱き上げると小さな自分の両手で私の顔をたたいたりつまんだりあごをなでたりする。どうやらひげのざらざらが面白いらしい。自分にメロメロで何でも言うことをきいてくれるジージィはパパママやバァーバよりなつき方が違う。いつのまにかちゃっかり私の胡坐の中に座り込む、みかんをむいてくれと持って来る、絵本を読めと差し出す、そのたび何を差し置いても飽きるまでつきあう。一緒にいるときは、出来る限り目をかけ手をかけ世話をする時間を長く持ちたいと思っている。
 今年9月に娘の育児休暇終了予定だったので、その前から園活(保育園探し)していたものの、待機児童状態で空きがなく、やむなく事業所内保育園に入ることになった。1才6カ月でどうなることか思っていたら、難なく周囲ととけこみ、一人で食事が出来て自分で靴が履けるだけでなく、逆に乳児組のお世話やお散歩の時カートの先導をしたりと保育士さんのお手伝い(かなり危なっかしいが)をしていると聞くとその成長に驚いてしまう。
 ANAの機内番組の「斉藤安弘のオールナイトニッポン」に矢沢永吉の「時間よ止まれ」(太田博之も思い出します)や丸山圭子の「どうぞこのまま」があった。この題名の心境だなあと思ったが、進化の早さからいつまでジージィと言ってくれるのやら。
 ある時、自宅ソファで「ジージィ、ドオジョ」と言われ座って並んだら一瞬本当に嬉しそうに私の顔を見上げて笑った。その自然で純粋無垢な笑顔がなんとも言えず嬉しく大げさにいえば感動的だった。あとで思うと私が2~3才の頃相次いで病に倒れ、子供4人残し亡くなった父親・母親の笑顔とオーバーラップしたのかもしれない。「おまえよく生きたね、頑張ったね。」とお褒め言葉をいただいた時の笑顔に私には思えた。
 
 

あまおう

 投稿者:荒井 浄  投稿日:2013年 9月15日(日)08時18分22秒
  あまちゃんブレークでNHKおおよろこびです。俺は一回も見てねえなんて言う奴もいますが、たかがTVそれでもTV。車の免許取得が当たり前になったようにTVもお茶の間に入り込んで、はやうちらとおなじ年令です。オートバイは大工さんかクリーニングの御用聞き、郵便局に、ちょっと儲かっている蕎麦屋の出前なんかはかなり後だった。オートバイと言えば少年ジェットに七色仮面にナショナルキッドは乗っていなかったか?しかしナショナルキッドなんて商標名を冠番組にしてまうなんて今では考えられない。鎌倉ハムの筋肉マン、今川焼きのドラえもん―関西では大判焼のドラえもんですか?カネボウ女に資生堂キッズ スパイキッズ。大村昆の鞍馬天狗はテーマソングに姓は大塚、名はオロナインなんて平賀源内の土用の鰻もマッツオです。あまちゃんブームの御蔭でプロデューサーも週刊誌に取り上げられNHKも痛し痒しです。いや痛いだけか。TV界も芸能界も責任を感じてもとらないことにかけては昔の893も高倉健です。海底人8823なんていうのもあったな、もうすっかりTVの奴隷奴婢トンイ馬医赤ひげ先生が懐かしい。
あまおう  あまい おおきい うまい は本当なのか?
 

gyahahaha

 投稿者:アルデヨ  投稿日:2013年 9月10日(火)22時59分3秒
  いっぱつ芸を一つ
二人の春樹さん
柔道界のドンじゃった。上村さん
書いたら売れる作家でした。村上さん
わたしが、国語の教師だったら、村上の、エロスを生徒に教えたかった。
 

映画

 投稿者:satani  投稿日:2013年 9月10日(火)19時15分37秒
  「灼熱の恋」は、昨年の「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」で上映された作品です。今年も、10月の上旬に全国各地で「ヒューマン・シネマ・フェスティバル2013」が開催されます。http://humancinemafestival.org/supporter/press/
をご覧下さいね。大事なサイコドラマの会と、かち合いましたが、今回は涙をのんで映画を見ます。
 

ありません

 投稿者:林豊徳  投稿日:2013年 9月10日(火)05時29分13秒
  寝ていたら、突然グランパという声で目が覚めた。季節も白露というのに、夜の虫と、昼の虫が、せめぎあってる。昼の虫が勝手、セミの声が聞こえた。おりしも、7年後のオリンピックがおととい東京に決まった後だった。グランパは毎日何をしてるの、グランマは、どこにいるの、わたしはこたえない。これからどのような日本を創りりあげてかなければいかないのか、大変な国民の課題である。煙草を一本くゆらせる、孫なんているはずもない。現実に変えれば、夢のまた夢、早くグランパになりたっかたのか、これからの日本を返すがたく?も返す私である。浮かれてばかりいられない。孫はどこに行ったらや。  

オリンピック

 投稿者:吉田光明  投稿日:2013年 9月 7日(土)22時34分41秒
  北園高校(旧府立九中)の皆さん お待たせしました。いよいよ五輪です。1964年のオリンピックの唄が聞こえてくるではありませんか。三波春夫や桂小金冶が当時の電子映像で歌っていました。あれから40年近く東京オリンピックを知ってるなんて言うと半可通は「ああ、戦争で中止になったやつですよね」なんて知ったかぶりしやがって、「私生まれてません」なんていうやつもいる。 もうそろそろ結果的に将来の日本を担う子供たちのためにも大人が責任を持って夢のあるイベントを真剣に考えてあげてもいいのではないでしょうか。全共闘のお兄さん世代に惑わされた辰巳世代としてはもういい加減にして、前を向いて生きてくれと言いたい。 期末試験で地震が起きたり電車が大きな災害で止まったりして試験中止になればいいな!など考えながら通学途上、正門向かって右側2階の窓から茶色の旗があがり、何やら障害物があって教室に入れない。何これ珍道中。ほんとにが学校閉鎖されたんだと思うと同時に非日常の出来事はこうやってやって来るんだと初めて知った衝撃の時でした。これからが大変延々2ヵ月近く学内ホームルームと称して今思えばお遊びの始まりでした。これはなんだったんでしょう。 閑話休題、どうなろうと決定までは黙っているTV新聞も、結果が売れる記事を掲載するんでしょうが明日のバラエテイーというTV番組の内容が想像できます。NHK・日本TV・TBS・フジ・朝日・東京MXなどなど新聞社を定年でTV局に出されたおじさんがしたり顔で言うのはもう勘弁して欲しい。報道のフジ・ドラマのTBS・娯楽の日テレ・教育のNET(朝日の買い取り前の教育専門試験放送局)など当時はそうだった。あの矜持はどうなってしまったんでしょう。もう古いことは言いなさんな鶴田浩二ですか、もう知らないやつが、さも知った風に言われるのは侵害を通り越して誹謗中傷だ。 とまれ素直にオリンピック東京でやりたいなあーと思うおじさんでした。  

バス通り裏 1

 投稿者:高橋 次雄  投稿日:2013年 8月11日(日)06時51分55秒
   私が人差し指の腱の治療で通院し始めて今回で5回目である。
 治療帰りはいつもは病院から少し離れたバス停からバスに乗り最寄の西武線駅まで行くのである。バスの時刻表は往々にしてその運行状況いかんであまり当てにはならず、結構待たされる事がしばしば。例に漏れずこの路線のバスも時間どおりには来たためしがない。
 降りる客はご老人が多く天使はバスを降りない。もちろん乗客のほとんどもご老人ばかりなのだが、最後部座席には花嫁衣裳のエレーンもパーカー姿のベンジャミンも座って居たためしがない。
 これまでの4回は左手をシーネで固定して包帯でグルグル巻きであったが今回からそれがなく身軽になってバスに乗れるのだった。
 いつものようにバス停に着いたもののまだバスの到着までにかなりの時間がある。
 しかも・・・バスはまた遅れるだろうから今回からは歩いてみようか・・・シーネも取れたし軽く判創膏だけなので・・・余ったバス代で途中の缶コーヒー代に振り替えよう。
 怪我人よ!シーネを捨て街に出よう・・・怪我人は好爺をめざす・・・。
 ああ季節は間違いなく夏なのである。真夏なのである。夏の定番は・・・BEACH BOYS 一切合財USA・・・BACK IN THE U.S.S.R頭の中で真夏がたぎりファルセットがこだまする。
 しかし歩き出して少しすると正午を少し過ぎた太陽の日差しは容赦なく私を捕らえ、今まで病院内で蓄えた体内冷房の貯金は一気に底を尽き見る見るうちに汗が噴き出してきた。
 やっぱここはバスじゃない?やっぱそこはSUICAじゃない?
一瞬の妄想に浸った瞬間、私の右側を私が乗るはずだったバスが熱気と排気ガスを撒き散らしながら通り過ぎていったのである。
 どうやら今回のバスは珍しく時間通りに停留所に着き、おそらく天使を降ろしエレーンとベンを乗せ出発したようであった。。
 (チクショウ!なんてこった。パンナコッタ!)と思いながら駅まで歩く決心を再確認したのだった。
 バスの最後部から排気ガスと共に遠ざかる情けない私を見下ろせば、きっといつか誰かと見たフランス映画かイタリア映画のラストシーンのような感じではないだろうか?
 私は思わず「ジェルソミーナ!マッタリーノ!モッコリーネ!ダーバンセレレゴ~ン!」などと叫びながらバスに向って手を差し出しバスに追いすがる・・・。
 銀幕下方からエンドロールがゆっくりと流れ出し、客席は少しずつざわめき出す。ここかしこからすすり泣きがかすかに聞こえる。
 過去と現在を入念に塗り重ねた塾女は鏡の中に未来を探す。周りを憚らず嗚咽と共に化粧衣装が崩れ、目にも止まらぬ早業でその化粧の復元作業。早くしなければ照明が灯いてしまう。早くしなければ私は私でなくなる。複合的な化粧の匂いがさざなみとなってあたり一面に拡散する。隣の席のワケ有り旦那は思わずむせる。
 先天的な不感症と慢性的な冷え症それに遺伝的な不眠症はメイキングと次回予告が残っているかもしれないのにアルファベッドだらけになった映像を後に、そそくさと足早に列をなして出口へと向う・・・まるでフーゾクで事が済んだらすぐにほくさんバスオールのようなカプセルシャーワーに踊るように向う誰かさんのように・・・。

 あまりの日差しの強さに思わず日陰を探しながら歩き続ける。バス通りはその期待にはあまり応えてはくれない。
 そこでそこそこ樹木のあるバス通り裏へと逃げ込む事にした。
 それまですっかり忘れていたのだったが、この通りをもう少し歩けば懐かしい場所がある事に気が付いた。
 今はこうして「懐かしい」という形容詞で表現出きるその場所は当時そんな感傷的情緒的な表現ではなく憎たらしくも忌々しくも苦々しくもある場所なのであった。
やがてその場所に着いた。その場所は一応は店舗なのである。
 しかしもはや私が知っている店でなく私が知っている業種でなかった。心の中でその店のその業種の喪失に納得し喝采を挙げる。ザマアミロ!!
 私の心の奥底に静かにひっそりと隠しておいた記憶が、錘の外れた死体のようにふわふわと浮き上がってきたのである。




 

バス通り裏 2

 投稿者:高橋 次雄  投稿日:2013年 8月11日(日)06時39分49秒
   私は10年前・・・保険会社をクビになり何とか見つけた日払いの人足活動で糊口で喰うや喰わずの生活に喘いでいたのだった。生活費光熱費公共料金は言うに及ばず、住宅ローン、食費、サラ金への支払いなどなど収入はほとんどが手にした瞬間に瞬時で右から左・・・というような状況だった。
 最大のメリットはこの人足稼業は日払い制だったという事。しかも担当者が心遣いの優れたとてもイイ人だったのである。地獄で仏とはこの事なのであろう。
 ある日何気なく電柱に括りつけてある看板が目に付いたのである。その看板は黄色地に黒文字で大きく電話番号が描いてあった。電話番号の横には満面の笑みを湛えた大きな腹のえびす様のイラストが描かれてあった。そしてその下には10万まで即日融資の赤い文字・・・。この看板のえびす様の腹の中はドス黒いに決まっていると直感した。
 看板はかなり年季の入ったもので昨日今日取り付けたモノではない事は四隅に赤いサビが浮いているのを見れば歴然である。由美かおるのホーロー引きの看板さえ永年の末には剥げるのに・・・いわんやブリキをや・・・。今までまったく目に止まらなかったのである。その看板の必要性を感じなかったからなのである。しかし今は必要性を大いに感ぜずにはいられない状況になっているのであった。
 早速私は藁をも掴む気持ちでその番号に携帯電話から電話をした。思い悩んだ末の決断だったのである。呼び出し音はなっていたのだがなかなか相手は出なかった。携帯電話を左の耳に強くあてがい(早く出ろ!)と思う反面(出るな!)とも願ったりのした。結局低い声で迷惑そうに「はい。エビスヤです」と中年の低い声が私の鼓膜に届いたのであった。
 その翌日に教えて貰った店舗の住所に地図を頼りに訪れたのであった。途中何度も引き返そうとしたのだが、(引き返してどうする?明日はどうする?これからどうする?妻は?子供は?)と堂々巡りの末に到着したのであった。
 昔ながらの木枠のガラス戸が4枚・・・その中央の2枚にそれぞれ大きく太く白くゴシック体のカタカナでエビスヤと書いてある。建て付けが悪いのか古過ぎるのか引き戸と引き戸に少し隙間が出来ている。
 そして店舗内は大きなショーケースがL字型に並び商品券だのビール券だの新幹線の乗車券などがまばらに収まっているのである。そのショーケースを担当するであろう店員はおらず、大きなパーテーションが奥の良からぬ悪事の目隠しの様に立ちはだかっているのである。省エネ?室内はかなり暗い。営業しているのかしていないのか・・・私は金縛りにあったようにその場に佇む・・・。
 パーテーションの奥でたまに電話が鳴ると思い出したようにおよそ商売には向いていなさそうな中年男の低い声が・・・「はいエビスヤです」とわずかに聞こえてくる。
あの声。低く下品で地獄の底から響いてくるようなあの声。それは間違いなく昨日、私の鼓膜の奥で響いた声だったのである。
 私はここでまた逡巡した。このまま帰ろう。おいおいここまで来てそりゃないだろう。今日はどうする?明日はどうする?妻子はどうする?
 思い切って木枠の凹みに少々汗ばんだ指を入れ、ガタピシと立て付けの悪いガラス戸を開けおずおずと中に入っていった。
 「すいませ~ん」と3度叫び、4度目を叫ぼうとしたら・・・やっと出てきた。およそ商売とは縁もゆかりも経験もなさそうな低い声の電話の主・・・その張本人が出てきたのであった。 歳はとうに70歳を越え髪はかなり薄くバーコード状態。顔色は土気色、唇は紫がかりおまけに下唇は少し突き出ている。目付きは上目遣いで眼球は濁った明るい茶色。左右のこめかみには有象無象の細かいシミ・・・。
 電柱の看板のえびす様とは似ても似つかぬその容姿は、いっそ時代劇の悪人の三下がよく似合いそうであった。高橋英樹にとっとと袈裟懸けで切られてしまえ。
 訪問の経緯と目的を告げその三下の説明を聞く事となった。
要は金貸し。しかも高利貸しである。カネに困った人々を更に窮地に追い込む高利貸しなのである。判っている。充分に判っている。けれども来ずにはいられなかったのである。今カネが必要なのである。
 さっきまで弱気だった私の心はすっかり開き直り自信めいたものが多少湧いてきていた。毒を喰らわば皿まで・・・。ケツを舐めればケツの毛まで・・・。
 「当店は金融業者ではありません。商品券、ビール券などの販売換金業者です。お客様にそれらの券を格安に提供しているのです。しかしお客様が不要不急な商品券ビール券などを売りたいと仰るならば喜んで買取致しましょう。これが金額別換金表です。例えば・・・」
 セルケースに収まった(印刷ではなく)手書きのその換金表とやらを私の前にひけらかしタバコのヤニの染み付いた親指で丁寧に金額欄を示し始めたのである。
 横板に油のような稚拙でたどたどしい説明をイライラしながら聞き終えたのである。
 その朴訥とした話ぶりに私は一瞬・・・ひょっとするとこの風体態度に反して・・・この人は良い人なのかもしれないと思った。この人は私にだけ無利息で貸してくれるのかもしれないなどと勝手な想像を働かせていた。
 えびす様の腹は真っ白なのかもしれない。
この人は一向にカネを貸しましょうとか幾ら必要なのか?の言葉は一切ないのである。その代わりにこれこれの商品券は幾らで買い取りますと実に遠回しに示唆するのである。
 そんな経緯でやっとの思いで彼の流儀と屁理屈に従い3万円分の商品券を買いそして換金したのであった。その商品券を買った金額が借金となったのである。実に回りくどいのである。だから借用書ではなく商品券交換金額などど言う訳の判らぬ証文を書きそして控を貰ったのである。額面3万円だけれど店主曰く交換手数料は前金で2500円差し引かせて頂きました。
 そして返済・・・いや返金は10日後だ。返金金額は37,500円。高利である。呆れて失笑が漏れる。おまけに屁も垂れる。クソもほとば散る。
 貸金業ではないのだから出資法などと言うこざかしい法律は全く関係ないのである。網の目をかいくぐった悪徳業者それはエビスヤ・・・おぬしもワルやのぅ・・・。
 えびす様の腹の中はやっぱり真っ黒、クロスケだったのである。
 後ろ手でガタピシとガラス戸を閉め少し歩き立ち止まる。
 今からでも遅くない。こんなカネ叩き返して来い。
 今日はどうする?明日はどうする?妻子はどうなる?
 結局エビスヤにはきびすを返せずクルマへと向った。
 これは紛れもなく今私が直面している現実なのであった。落ちてしまった。とことん落ちてしまったと悟った。

 その翌日・・・私は人足係の馴染みの担当に朝一に出向き、拝み倒すように無理を言ってこの日から私が受け持つ人足の仕事すべてを日勤から夜勤に変更してもらった。夜勤は一晩15,000円になるからである。
 運良くこの時期は大手町の四菱商事が大規模な引越しを敢行しており昼夜引越しの作業が行われ人足は引く手あまたの状態だったのである。
 この引越しの仕事は基本的には部署部署の全員の机の引き出しからすべての書類や荷物を予め番号をつけた移動コンテナに移し、それら全てを決められた場所に一時保管する単純な仕事であった。
 机に抽斗からはその仕事振りや人格を伺わせる実にいろいろなモノが出てくる。
ゴルフで使用した自分のスコア表や平べったい鉛筆、ゴルフボール。病院スナック「ジフテリア」、ホスピスバー「淫内感染」のいかがわしいライターや名刺(裏には携帯電話の走り書きや店がハネた後の行きつけのすし屋の店名など)。淋病治療のため職場をこっそり抜け出して行った近所の病院の薬袋。期限切れタクシークーポン。アリナミンAやQPゴールドの空き瓶。会葬御礼のハンカチの詰め合わせや清めの塩。海外土産の定番・・・懐かしのヌードボールペン・・・などなど。エリート商社マンは冠婚葬祭全天候型戦闘機・・・24時間働けますか??。
 また女性の抽斗には食べ掛けで干からびたスナック菓子の袋やチェルシーの黒い花柄の空き箱、セロハン袋に詰めた破れたパンスト、新品のパンスト。Jメンズバーのワンドリンク無料券、まだ充分残っているアトリックスのラミネートチューブ。マトリックスの映画パンフレットとその鑑賞後に挟んだ半券。片方だけのパールのピアス(もう片方は別れた彼のベッドの下か?)右下の大きな引出しの奥にはこれまた片方ヒールの折れた黒いエナメルピンヒール。機種変更したとおぼしきモトローラー製の黒い携帯電話、ボーリング大会での小さなメッキのトロフィー・・・などなど。キャリアウーマン様もNINE TO FIVE以外でも大忙しらしい。
 次にはカラになった机やイス、ロッカーも一時保管するために移動する仕事が待っている。これは体力仕事である。
 更に厄介なのがパソコンの梱包とモデムや電話回線の撤去などなど・・・とにかくアッという間に夜は明けるのである。
 作業が一通り完了。その日の作業班長から順番にカネを受け取る。薄っぺらい茶封筒の中に薄っぺらい15,000円が入っているのである。いつも間違って25.000円入っていないものかと期待をしてしまうのである。
 にわか仲間のコンビニビールの誘惑をやんわりと断ち切って私は目と鼻の先の東京駅を目指す。
 始発の東京駅は昼間の喧騒がウソのように静まり返っている。
座席に疲れた体を投げ出し習慣になった自問自答タイムが始まるのである。私のルーテルアワーである。しかし5分もしないうちに泥の舟はゆっくりと岸を離れて行くのである。

 エビスヤに魂を売って今日で10日目。
 毎日々々徹夜で働いた・・・A HARD NIGHT`S DAY・・・。
 しかしダイヤモンドリングを買うためではないんだ。米を買うため、住宅ローンを払う為。愛はカネでは買えぬとも米はカネでしか買えない。住宅ローンはカネだけが支払いを認めてくれるのである。
 事はまったく深刻で緊急で重大なのである。
 始発の電車は池袋に到着。そして西武線に乗り換えた。こんな朝早くの下りには急行はなく自宅までタップリ1時間以上は掛かるのである。
 しかし私は自分の降りるべき駅を乗り過ごし二つ先の駅まで行くのである。
 それはエビスヤに返済に行くためである。昼間は昼間の仕事があり返済に行っていられないのである。
 その旨を腹黒えびすに連絡すると返済はしっかり守れと遂に本性を著したのであった。その時の声たるや正に自信に溢れベラベラ立て板に水。やれ遊びでカネ貸しているんじゃない、やれ誠意がない、約束は守れ・・・極め付けは人間としての本質を疑うと来たもんだ!!そのコメント聞き捨てならねぇ。そのまま熨斗つけて10倍返しで返してやる!!てめえこそ正に人間のクズじゃないか!!
 などとは言えず、すったもんだの末に所定のポストにカネを入れておく事に話は着いたのであった。




 

バス通り裏 3

 投稿者:高橋 次雄  投稿日:2013年 8月11日(日)06時24分50秒
   電車は下りでしかも駅は田舎・・・それでも私の他にもう一人降りる人が居たのには少々ビックリであった。しかしその人とは改札を出たら左右に生き別れ。貴方は右に私は左、振り向いたら負けよ・・・。
 バスの始発にはかなりの時間があるのでひんやりとした朝もやの中を一人とぼとぼと歩くしかなかった。もうすぐこの公園に桜が咲き老若男女の花見客が溢れる。
 夜はテキヤがアセチレンガスで灯りを保ち、ジャガバタ、ステーキ、お好み焼き。輪投げにスマートボール、お面にヨーヨー、スーパーボールすくい・・・夜更かしを許された子供達は店に向かい両手広げ金魚をすくい取ろうとする。
 そんな中に私は何の屈託もなくひっそりと溶け込み破れた金魚救いの網を見ながら無邪気に笑えるのは一体いつの事やら・・・。
 真っ赤な水ヨーヨーが一瞬のうちに破れ、現実が目の前に広がる。
これからカネを返しに行くのである。いや違う。私のカネを搾り取られるのである。毟り取られるのである。高利貸し。商品券を隠れ蓑にした悪徳業者。ヤミ金。人世の生血を啜り、不埒な悪行三昧。お前らは醜い浮世の鬼だ!
 ああムカムカが止まらない。無性に腹が立って歩く歩幅が広がってくる。わき汗が半端じゃない。鼻息が荒くなる。アドレナリンは大量に体内を駆け巡りコンドロイチンは膝に集結する・・・。
 ダラダラ歩き左に曲がりまた少し歩くと左にはエビスヤの店舗が見えてきた。表通りに出ればその先は大きな総合病院。裏通りなので道路にクルマは全く走っていなかった。
朝のエビスヤのガラス戸の内側には少しすすけた生成りのカーテンがいかがわしい室内を隠している。
 指定されたポストがひっそりと店舗の左横にあった。店の勝手口そばにひっそり取り付けられている今にも潰れそうな赤錆の浮いたブリキのポスト・・・。
 私は素早くさっき貰ったばかりの茶封筒の中身全部と財布から昨日までの残ったカネのほとんどを小さく畳み込みティッシュで包み、なおかつゴムバンドでグルグル巻きにした。念の為に周りをゆっくり見渡しクルマにも注意を払い誰もいない事を充分に確かめると素早くそっと奥までそのカネをポストに忍び込ませ静かに蓋を閉めた。
 ああやっぱりムカムカが収まらない。ここはやはり・・・桃太郎侍にでもたたっ切ってもらおうかい?
 私のカネ。一生懸命毎晩徹夜して何とかこの日に間に合わせたトラの子のカネ。
そのカネが今こうしてこのいかがわしいクソッタレのエビスヤのポストに吸い込まれて行ったのである。カネを返したのにカネを取られたような悔しい感覚が全身の隅々にまで広がってくる。
 しかし私は何とか自分の魂を邪悪な悪魔からやっとの思いで取り返したのである。何とか10日振りに取り戻したのである。その思いが私の心に微かながら安堵感を醸し出した。アドレナリンの体内濃度が急激に落ちてくるのが判った。
 ボロボロの魂。傷だらけの魂。それでもこの世にたった一つのオンリーワンの魂を取り戻したのである。もう二度とこんな思いはしたくはなかった。
 そして出来る事ならいっそ私の人生からこの10日間だけは永遠に消去したいと心の底から願った。
 帰り道は遠かった。来た時よりも遠かった。
徹夜作業の疲れが遂に出始めたのかもしれない。それでも心地良い疲れには何とも言えない充実感が心にみなぎって来る。
 しかたないので私はバス通り裏からバス通りの平坦な道を病院方面に歩いていく事にした。病院近くの停留所に近づくと後ろから朝もやを突いてかすかにバスの排気音が聞こえて来た。小銭入れを見るとなぜかちょうどバスの運賃と同額のカネが入っている。
 自分にご褒美である。今日は特別。バス乗車の日にしよう。
 そう決めてバス停まで何とか歩く。
 バスがタイミングが良くすぐに来た。早速乗車しようとするとすれ違いざまに天使はバスを降りて来た。そうして私の耳元で小声で「頑張るのよ!」と言って左頬に軽くキスをしてくれたのだった。
 有頂天でステップを駆け上がり室内を見渡せばこんなに早い時間なのに男女併せて7人のご老人が盛大な拍手を持って迎えてくれたのであった。
やがて拍手は静かに鳴り止み私は空いている最後部の座席に座りホッと溜息をついた。
そして何気なく後ろを振り返った。
 そこで私は信じられないものを見たのだった。
 なっなっなんと・・・花嫁姿のエレーンとパーカー姿のベンジャミンが朝の太陽を全身に浴びながら満面の笑みを浮かべ手に手を取ってバスを全力疾走で追いかけてくるではないか・・・。






 

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