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枝垂れ栗3

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 7月20日(木)17時16分26秒
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  由来、原産など詳しいことは知らないけど、少なくともしだれ梅やしだれ桃はあるよ。
岐阜県には枝垂れ柿というのがあるそうな・・、栽培品種らしい。
変異や仕立ての繰り返しで変わったのを作る趣味の人間もいっぱいいるからねえ・・・。
鉢植えの枝垂れ栗は頂芽を切ってやるといいかも・・、自信はないけど。枝垂れ栗は頂芽が何故か自然に枯れてああなるらしいから・・。
 
 

ふーむ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 7月20日(木)05時32分50秒
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  潔くんの記述もぎいーっちゃんの記述も孝一郎くんの記述も、まだ成樹には育っていないよね。ということは「枝垂れる」か否かはまだ見ていない(と思う)

であるとすれば(相変わらず理屈っぽい言い方は、バカまさをだからしょうがない)、何故特定の地(それも極く限られた)に限られるのかは不思議として残る。

桜についても同じなのかなあ。俺の記憶によれば、枝垂れ桜も限られた地域にしか自生しない。更に言えば、枝垂れ梅、枝垂れ桃、枝垂れ柿、枝垂れ林檎は何故存在しないのか?
 

Re:枝垂れ栗

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 7月20日(木)00時47分52秒
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  潔くんから奪い取った枝垂れ栗、2本は順調、1本は真っすぐ伸びてしまった。

今は、女房が育てているマリーゴールドに私が撒いた除草剤が何故か流れ込んでしまって大ピンチ!
女房の機嫌が最悪です。
 

納涼祭?

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 7月19日(水)11時04分42秒
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  誰か企画してるだかや~?
毎年ゴルフ部と共催でやってたけど、学友会長ご多用ですが、取りまとめをお願いします。
 

枝垂れ栗2

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 7月17日(月)23時46分8秒
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  今まで色んな植物を育ててきたけど奇跡的(?)な出来事。
前回枯れてしまったと思って投稿したけど、今朝 その枝から新芽が二つ出た。
うちの植物はスロースターターが多いといつも言ってたけど、これほどのは・・・。
主の執念か、諦めが悪いのかは分かりませんが とにかく 嬉しい!
七月の半ば過ぎといえば土用芽でもおかしくないのにね。こんなこともあるんです。
 

枝垂れ栗

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 7月17日(月)21時42分13秒
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  見繕っておきます。納涼祭にでも持参します。本当は芽吹く前、来春が移植にはいいと思うが、大丈夫です。  

RE:信州人

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 7月16日(日)14時12分14秒
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  信州人は関東平野のような・・・。そのとおり、夏の暑さを承知で京都に行ったのは授業料の安さのせいだけではなくて、山に囲まれていることのほうが重要だった。
出雲から敗走というのは 怪しい話だけれど 気分はわかる。
 

私的感慨

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 7月16日(日)05時14分38秒
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  実は幼児期小野で育った。枝垂れ栗という有名な公園があることは知っていた。だが行ったことはない。幻の桃源郷のようなイメージである。

後、小野関係では「色白水」がある。(それが何であるか知らない)

自分が育った地域だけれども、ちょっと神秘的なところだ。ついでに小野の隣の川島というところも不思議だ。ニョロニョロやたら奥が深い。どうしてあれほどまでに狭いところに人が住まったのか。自慢じゃないが俺は川岸という恐ろしいまでに狭いところで育った。でも川島は輪をかけて狭い。

でもなんとなく分かるような気もしないではない。信州人は関東平野のようなだだっぴろいところでは落ち着けないのだと思う。無理矢理神話に繋げれば、出雲から敗走してきたのが信州人だから、自然の要塞に囲まれていなければ不安だったのかも。
 

枝垂れ栗

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 7月16日(日)01時43分48秒
返信・引用
  前回のは、無事に年を越して春先に鉢を換えたのが災いして未だに(?)芽吹き前(!)
植え替えの時やけに根が貧弱だったので『やばいな』ていう感覚があって・・・的中。
もう一度チャンスをもらえると嬉しいです。
 

Re:枝垂れ栗

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 7月15日(土)19時13分6秒
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  以前持ってきてくれた5本の苗木のうち、いいやつ3本は小松孝一郎くんが持って帰った。
その後どうなったかは、聞いてない。
僕のところに残った2本は、奥さんが管理してくれているので今のところ順調。

頂けるのなら、今回は遠慮なくいいやつを優先的に頂きたい。。。

 

枝垂れ栗

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 7月14日(金)22時28分58秒
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  今年も何本か苗木になってます。欲しい方、連絡ください。  

飯山君

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 7月 8日(土)05時56分26秒
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  伯母の葬式の折に飯山君の家にお線香をあげに行った。ぎいーっちゃんのところに寄って彼の家の在処を聞いた。教えられた通り行ってみたら、山浦の広い地域の中にあった。

新井が言っていたが、彼はいつもニコニコしていた。行ってみてこんな広い地域で育てばむべなるかなと思った。諏訪湖を巡る地域はせせこましい。増してや俺の育った川岸など言うを俟たない。

哲学で言うと個物というのは扱うには厄介なものである。それは無限の述語を必要とするからだ。対して「人間」というような一般的概念は述語に限りがある。「2足歩行」「言語を操る」「本能が壊れた存在である」「頭がでかい」等々。

あいつ(飯山)が何故飯山であったかを記述できる言語を我々(とは誰か)は持っていない。

すみません、酔っ払いの戯言として読んで下さい。
 

時間つなぎ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 7月 5日(水)04時44分27秒
返信・引用
  に整数の話でも。まあ整数の話も「浮いた」話になる。「おめえは地に足のついた話ができねえのか?」

ふむ。でもおもろいよ。67(俺の年齢)は3で割れば1余り、5で割れば2余り、7で割れば4余る。これを67が知られていないとしてどう解くか。

ガウスはこれを次のように解いた、
35a+21b+15cなる一次形式を考え、aには0,1,2、bには0~4、cには0~6の数を代入する。そのaの中には35aを3で割ったら1余る数が必ず存在する。そして35(5×7)は、5で割った余りや7で割った余りに影響しないのだ。

これを計算してa=2、b=2、c=4である。代入して、
35×2+21×2+15×4=172.ここから105(3×5×7)を引く。
172-105=67 という訳である。

窓から外を見上げたら明けの明星が燦燦と輝いていた。もう朝だがお休みなさい。
 

凪が続くといたたまれなくなる

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 6月30日(金)03時28分5秒
返信・引用
  のでしゃしゃり出る。
適当に思いつくままに。学校やその他でいろんな知識を学んだ。地球はでっかい球体で暗い宇宙空間にぽっかり浮かんでいるという。そんなことを想像すると、でも何故そんな重いものが下に落ちていかないのだろうかと不思議に思う。勿論、そんなことを思うのはニュートン力学がよく分かっていないせいだ。そもニュートンが出なくても人々は「下」という概念を理解していた。彼が説明してくれたおかげで、我々が「下」という方向はアルゼンチンの人たちにとっては「上」なのであり、しかもアルゼンチンの人にとっては、日本は下に位置する。

その単なる地球上でのローカルな経験を宇宙にも適用してしまうのだろう。「下」なる絶対的な方向などないにも関わらず、そして中途半端にニュートン力学を理解して、地球の下方向(とはどの方向か)には、横方向の太陽のような、地球が宇宙空間の彼方に飛び出してしまわないような(思春期、道を踏み外しそうになって、父とか母が辛うじて留めてくれたように)ものが存在しないからなのだ、と頭では分かってみても、でも地球は何故奈落の底に落ちていかないのだろうかという疑問は消えない。

それは俺の馬鹿を証明すると同時に、リンゴが木から落ちるという現象と月が地球の周りを周航する現象に「同じ」を見出したことへの驚きでもある。だってリンゴは「落ちる」が月は「落ちてこない」明らかに「違う」じゃないか。そこに「同じ」を見るのは凄いとしか言い様がない。

現在話題になっている将棋の藤井君。彼は相手の指してくる手を発想が凡庸と感じているのではあるまいか。地球に張り付けられた俺がついつい「何故地球は下に落ちないのか」という馬鹿なことを考えてしまうのは地球的(経験的)発想なんでしょうか。
 

清陵同窓会

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 6月24日(土)01時39分15秒
返信・引用
  いよいよ、今日清陵同窓会、そして篝火の会懇親会です。

総会後の紅やでの懇親会では誰に会えるか楽しみです。
チケットは当日受付で手に入りますよ。私もそうですが懇親会になるといきなり人が増えます。
そのままの流れで伊呂波、若干増えても何とかなると思います。

楽しみましょう。
 

伊呂波

 投稿者:小口和文  投稿日:2017年 6月22日(木)21時49分49秒
返信・引用
  24日、昼間は東御市まで出張です。
夕方には戻れると思います。伊呂波には参加します。
 

イロハ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 6月20日(火)06時57分53秒
返信・引用
  色は匂へど常ならむ 有為の奥山けふ越へて・・・・
行くかはの流れは絶へずしてしかももとの水にあらず。・・・

いずれも仏教の無常観を言ったものだと思う。だがそも「常なる」ものを想定せずに「常ならぬ」と言えるのか。イロハ歌では、常なるものは時間の流れではないかと思う。時間は「常に」流れているのだけれども、その中での現象のあり方は同じことは一つとしてない、と。

一方で鴨長明は、時間そのものを問題視している。かはの流れは絶へずしてしかももとの水にあらずから分かるように、流れに対して岸辺を対置している。彼もまた、「無常」と言えるためには「常」がなければ言えないところまでは前提しているようだ。だが普通は、出来事は定まらない、しょうがないという仏教的・文学的文脈で読まれている。そして鴨長明もそれ以上のことは言えていない。でも仕方ない。

確かに流れるという概念は、何かに対してという思いを誘発する。でも時間が(何に対してでもなく)流れている感じ方も捨てきれない。だから鴨長明の言葉が古典として生き残っている由縁でもあるだろう。時間は流れている、流れているからには何に対して? でも何に対してとは言えない。その不動の何かも時間の中にいざるを得ないからだ。
 

伊呂波

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 6月20日(火)00時38分50秒
返信・引用
  総会は無理ですが 伊呂波 出席します。  

同窓会、伊呂波

 投稿者:新井滋平  投稿日:2017年 6月19日(月)20時39分7秒
返信・引用
   「お庭」ご無沙汰いたしております。今年は、「同窓会総会」「伊呂波」ともに「欠席」させて
戴きます。誠に申し訳ございません。おかげさまで元気に日々を過ごしております……。新井拝  
 

伊呂波

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 6月19日(月)10時26分46秒
返信・引用
  行きます。  

6月24日「伊呂波」の件

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 6月19日(月)08時46分46秒
返信・引用
  現在、出席予定者4名です。

1年に1回の顔合わせですので、会いましょう!
 

もうちょっとだけお邪魔しておこう

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 6月17日(土)07時01分37秒
返信・引用
  「疑う」は他動詞である。目的語が必要である。
以前恐る恐るデカルトの独我論について喋ったことがあった。
デカルトは他人なんか存在しない」かもしれない、と疑う。しかしこの問いが成立するためには、或る意味デカルトは他人は存在することを知っている。知っていなければ「他人は存在する」どころか「他人」という言葉さえ発することができないはずである。これこれはないかもしれないという疑いが成立するためには、これこれはあることを知っていなければ、そも疑えない。「かもしれない」という表現に現れている。「~かもしれない」と表現する人は「かもしれなくない」を知っていない限り問えないのだ。情報が行き渡った現代では、幼稚園児でも地球は丸いことを知っているだろう。でも彼らは、余りにも早く情報が与えられるため、だって地球は平らじゃんという経験的感じ方をすら奪われているのだ。平らだという経験があるからこそ、実は平らではないと知ったとき驚きが生まれるのだ。情報化社会は経験を奪う。教育も情報を押し付けることで、型に填めることである。

以前「他人なんかいないかもしれない」と口走ったとき「まさを君、他人ているんだよ」と応答してくれた方がおられた。その方の余りにも平板な世界理解に心底驚いた。他人などいないかもしれないと疑えるためには、或る意味において(日常的意識・言葉の使い方)「他人はいないかもしれなくない」ことを知っていなくては問えない。他動詞は目的語を必要とするからだ。従って、デカルトの「他人なんかいないかも知れない」という問いは、日常・常識的感じ方(だって他人ているじゃん。他人の一人である妻とセックスして現に子供がいるじゃん)で答えてはいけない問いなのだ。
 

ごめんね、受けない話ばかりして

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 6月16日(金)07時30分1秒
返信・引用
  幸一郎君が70と75について語ったので、間をとって73について語ろう。
これは4K+1型の素数なので2個の平方数の和になる。同じ理由によって2個の平方数の差で表される。 73=3^2+8^2=37^2-36^2.

73はまた、8K+1型の素数なので「平方数+2倍平方」として表される。1^2+2・6^2=9^2-2・2^2.

73はまた3で割ったら1余る素数なので、「平方数+3倍平方」ろ表される。5^2+3・4^2=10^2-3・3^2.

理由は述べないが、6^2+37・1^2. 73=X^2-37Y^2 という形式というか表現があるはずなのだが見つけられない。73には更なる特質があるのだが、以前触れたことがあるので繰り返さない。

数というのも不思議で、人間が勝手に作った人工物である。(俺は自然物の中に2などいうものを見たことがない。しかし君は豚が2匹いる情景を見たことがあるだろう。でも既に2という概念が成立しているからそう見えるだけだ。)なのに数たちは何故か生きていて(もちろん妄想であるが)、漱石描くところのこちらに誘いをかける謎めいた女性のように思えて仕方がない。謎めいた女性というより漱石にとっては、女性=謎という図式が成り立つのかな。

73とは何かと問われて(そんなことを問う人はいないだろうが)素数であると答えたとしても無駄である。素数なんてありふれてどこにでもいる(ある、と言うべきか)4K+1型だと規定しよう。それもありふれている。5,13,17等隣人(同類)がいくらでもいる(ある) つまり僕は73の個別性・唯一性をいいたいのに(だって73は73でしかないという意味で、この世でたった一つしかない)それを描写しようとすれば、素数だの4K+1型だの一般性を持った表現しか可能ではない。

哲学(これは何たらの真理を述べた言葉の集合ではない。言語を持った人間のあがきの1形式である。文学も数学もそうだ。彼らが戦っているのは、言語という形式に対してなのだ。(科学者は知らない))でいえば、個物を表現しようとすれば無限に多くの述語を必要とする、ということだ。でも数学も言語と戦っているのか、難しい問題だ。
 

清陵同窓会

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 6月 7日(水)17時17分46秒
返信・引用
  6月24日の清陵同窓会・伊呂波での懇親会、参加します。

中村博くんが清陵同窓会長に、名取重治くんが富士見町町長選に!
皆さん、頑張っている。

やはり。高齢者は70歳から・・そのうち75歳からになるのかな・・。
 

時間とは何か

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 5月30日(火)07時50分32秒
返信・引用
  を問うても絶対に分からない。「○○とは何か」と問うことに既に時間が前提されていると言うか、そも時間なしに問えないからだ。だって問うためには(言語表現されるためには)幾許かの時間が必要であろう。

体を手で持ち上げることによって空中浮遊できるか。手もまた体の一部であることによってそんなことはできまい。

日常意識の中では、「時間がある(ない)」という表現には何の不思議もない。だが「ある」という意味を問うたならば、それは時空間の中にとしか言えない。物体ばかりでなく観念についても同じである。プラトンの言うイデアに関しても同様であろう。正義なら正義のイデアがどこかにある、と彼は言う(プラトンの言うイデアは「善きもの」である。彼は、全き悪を全く想定していない。)ソクラテスに影響されたのであろうか。ともかく、イデアという観念はプラトンという空間という位置を占め、時間的に持続を含まなければ言えない。

でもまあ話を戻そう。時間とは何かを誰か説明して頂けないだろうか。説明するには幾許かの時間が掛かる。説明されるべき当のものが、説明されるべきものを前提されざるを得ないのだ。

またぞろky的なことを語ってしまった。でもkyとは何か?
 

お知らせ

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 5月28日(日)09時43分27秒
返信・引用
  清陵同窓会定期総会 と 篝火の会の総会(懇親会中心)について
清陵同窓会
 期日 6月24日(土)
 会場 ホテル 紅や
 総会 13:30~
  パネルディスカッション:「清陵に女子が」と言われた時代から 15:00~
 懇親会 17:00~
 会費 5000円

72回生 篝火の会 懇親会 18:00~
    居酒屋「伊呂波」  会費 3000円前後

上海虎 さんからの投稿にあるように 矢崎同窓会長が健康上の理由で辞められて

72回生の 中村 博 君が  清陵同窓会の 会長に なりました

副会長の 小口 啓子 さんともども みんなでサポートしてあげましょう!
 
 

恋と愛

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 5月28日(日)07時27分38秒
返信・引用
  恋は「下心」愛は「真心」

なるほど確かに恋という漢字は「心」が下にある。なるほど確かに愛という漢字には「心」が真ん中にある。

恋と愛はどう違うのか、そんな馬鹿げた(何の役にも立たない)疑問に取り憑かれている。

俺はあのとき恋したのか愛したのか。60代も半ばを過ぎ、既に死に近いのに、そんな暇人しか考えないことを考えている。皆様はお忙しいでしょうから考えないことを。まあ暇人の寝言である。
 

中村君、同窓会長に

 投稿者:上海虎  投稿日:2017年 5月27日(土)20時55分21秒
返信・引用
  同窓会の役員会で、中村副会長(前82銀行副頭取)の昇格が内定しました。  

名取君、町長選出馬へ

 投稿者:上海虎  投稿日:2017年 5月25日(木)09時31分55秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。上海虎こと平出重昭です。

名取前副町長が、8月の富士見町町長選に出馬します。
先日、信濃境駅前の食堂しなので会合があり、本人から町政にかける熱い想い、
参加者から一致協力して必勝祈願がありました。

富士見高陵会ーーー名取、小林(茂)、雨宮、清水
富士見南嶺会ーーー平出(高)、平出(善)、小林(幸)、今井、小島、小林医院、平出
原村ーーー荒木
 

今日も数について考えている

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 5月23日(火)03時01分31秒
返信・引用
  数とは何かなんて全く分からない。数とは何かを分かっていなければ殆ど全ての科学的概念は理解できないにも関わらず。それは「言語とは何か」という問いを発すればよりはっきりするだろう。言語とは何かが分かっていないが故に発せられるその問いは、しかしその言語を使ってなされているではないか。

それは生きるということにも通じる。何故生きているのかなんて訊かれても答はない(応えはいくらでもあり得る)父ちゃんと母ちゃんがマ○コしたからだという「科学的」答は参考にならない。それは俺の身体存在を説明するだろうが、「俺」の存在理由を説明しない。

ときどき変な観点を差し挟ませて頂く。kyになることもあるかもしれない。でもときにはkyにならなければ面白くないんじゃないかとも思う。
 

RE:小野御柱

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 5月15日(月)16時05分36秒
返信・引用
  孝一郎君 さすがによく気が付きますね、境内曳きつけ直前に皮が付いたままなので『いつ剥くのかな』と思ってたらそのまま動き出すからそのままだと理解しました。冠も落とした状態で曳かれてるから(??!)。トコロ変われば何とやらですね。直前にローカルテレビで神社の案内があったので予備知識になりましたが、あまり大社と比べても仕方ないですね。
繁子ちゃんの元気さに こっちも元気になりました、ありがとう!
 

ありがとう!!

 投稿者:宮澤繁子  投稿日:2017年 5月15日(月)15時41分41秒
返信・引用
  写真+ありがとう!御柱に集まるおじさん、おばさん元気ですね。みんな良い顔しています。
新井さん、和太鼓の指導で地域をまわっていて、この日も付き添っていました。追加して・・・・

神太鼓、社の緑、揺らしつつ

また、みなさんとお逢いできる日をたのしみに!!
 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 5月14日(日)11時34分21秒
返信・引用 編集済
  syomoくん・ぎいっつぁ、御柱写真の投稿、ありがとう!
楽しく和気あいあいとした様子がよくわかり、うらやましい限りです。

小野一之柱の男綱、女綱の付け方は諏訪の御柱とかなり違うようですね。
また、木の皮付きで建御柱をするのですか?ん、冠の形状も・・・。
場所が違うとかなり違うようですね。

次回は絶対行くぞ!!
 

同4

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 5月13日(土)06時27分14秒
返信・引用
   

同3

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 5月13日(土)06時24分19秒
返信・引用
   

同2

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 5月13日(土)06時19分49秒
返信・引用
   

小野御柱と赤羽宅にて

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2017年 5月13日(土)06時16分42秒
返信・引用
  赤羽ご夫妻には大変お世話になりました。ありがとうございました。
写真掲載の許されている範囲で当日のスナップを添付します。数回に分けての添付になります。
 

集合写真

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 5月11日(木)22時21分27秒
返信・引用
  御柱集合写真です  

73かあ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 5月10日(水)06時02分20秒
返信・引用
  73にはおもしろい性質がある。73=37+36.従って(この「従って」は論理を端折り過ぎではあるが。

37×37=37^2+73・0^2=36^2+73・1^2.
37×41=38^2+73・1^2=35^2+73・2^2.
37×49=39^2+73・2^2=34^2+73・3^2.
37×61=40^2+73・3^2=33^2+73・4^2.
37×77=41^2+73・4^2=32^2+73・5^2.
以下同様に続く。

猫がじゃれる。人間の目には彼らが楽しんでいるとしか見えない。でも多分彼らには自分が今楽しんでいるというメタ認識はないであろう。数に至っては生物ですらない。でも俺には数たちが楽しんでいるとしか見えない。

何故? 「楽しむ」という人間の概念を持ち込むからだ。 逆に人間は自己の理解するという概念を以ってしか、そも理解するという行為をすることができない。比喩とはそういうことではないか。

という訳で僕は、数たちが(非生物であるにも関わらず)何かを待っているような気がして仕方ないのである。
 

う~、楽しそう・・

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 5月 8日(月)01時04分18秒
返信・引用
  赤羽氏宅でのおかまい、小野の御柱、皆さまお楽しみの様子が目に浮かびます。
次回は絶対に参加するぞ!!
次回は・・?
まだ72、ん73か?、まだまだ若い!

誰か写真を投稿してくれないかな。期待しています。
 

大勢にもかかわらず 大変なおかまい ありがとうございました

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 5月 7日(日)17時34分51秒
返信・引用
  総勢17名でした。 赤羽宅では 奥様をはじめ、二男の方 そしてそのお嫁さんなど
これ以上にない ご歓待をいただきました。この場を借りまして 深く御礼申し上げます。

お吸い物から寿司類、刺身、オードブルなど食べきれないほど
またお酒類もビール、日本酒、ワインと 飲み切れないほどご用意いただきました。
ことに奥様手造りの 伽羅蕗、独活のきんぴら、こしあぶらの天ぷらは
名残惜しい春の逸品で 「大変 おいしゅうございました」

おっと本番を忘れてしまうところでした。
小野神社の一之柱は 赤羽宅の集落上田地区の担当で 赤松目通り2.5mという
立派な柱で 赤羽宅前の道路を曳行して 午後3時前 めでたく建立されました
忍君も 終始柱の傍で 関わっておられました

syomoさんのおっしゃる通り あれほどの大人数の 宴会に等しい楽しい場を
ご提供いただき 本当に ありがとうございました

いつもながら 篝火の会の 集いは この上なく 楽しい! 
 

終わりました

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時59分7秒
返信・引用
  今日の片付けと、慰労会でやっと終わりました。好天に恵まれ、顔のシワがハッキリわかるるように真っ黒に日焼けしました。三日には遠路、小野の僻地(牛正曰く)までご足労をいただきありがとうございました。ろくなおかまいもできませんでしたが、語らいの場の提供ができたことで自己満足をしております。元気でいられれば、次回もお誘いをさせていただきます。みんな!元気でいて!小野の前に諏訪があるか。  

ありがとう!!

 投稿者:宮澤繁子  投稿日:2017年 5月 4日(木)09時37分21秒
返信・引用
  昨日の小野神社の御柱祭、楽しく参加できました。赤羽忍さんお疲れ様!ご家族の皆様、奥さんご接待ほんとうにありがとう!篝火の会の場があり、懐かしいみなさんにお会いでき、感謝です。昨年の諏訪の上社でくるみの義一さん、下社の小松歯科医院さん、みんな多大なお世話になり、ありがたいと思っています。いつが最後の機会になるかもしれない年齢ですから、できるだけ逢える機会は大切にしたいと思いました。

五月晴れ、小野の御柱、天を突き

藤森ご夫婦の車で小野に初めて降りた時、村の隅から隅まで見渡せました。ここに千数年の伝統のある小野神社と、弥彦神社があり、参拝すると、とても大きく立派です。様々な由緒もありますが、村の古老、長老たちの文化伝統を伝える矜持を感じました。
「つべこべ、言うな」みたいな、頑固者のみなさんたちががんばってきたんだな、と。
辰野から清陵へ通学していたみんな、ご苦労さま!すごい山の中からだもの・・・・・・
 

(無題)

 投稿者:ムー  投稿日:2017年 5月 4日(木)08時47分10秒
返信・引用
  syomoさん、ご家族様昨日は大変ありがとうございました。
皆さんともお会いできて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
また、夜明け前の大吟醸と学友会長の木遣りで、更に元気になりました。
また来るからよろしく。

 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 5月 2日(火)08時45分35秒
返信・引用
  小野の御柱がいよいよ明日になりました。
天気もよさそうだし、syomoくんのお宿もあるし、皆さん、存分に楽しんでください。
きっと盛大でしょうね!

私は家事都合でいけませんので、楽しんでいる様子をお庭に投稿してください。
楽しみにしています。
 

車で行くよ。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 4月29日(土)19時34分34秒
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  小野の御柱が近づいてきた。
僕は、奥方と、村木(機関長)と、ぎいっつぁと、繁子ちゃんを乗せて車で行きます。
知ってる限りでは、学友会長は、9時の電車でと言ってました。
 

うんちくではないが

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月29日(土)09時19分31秒
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  皮被りと皮剥きは、真性包茎と仮性包茎を思わせる。もちろん言葉の類似性からのふざけた類推に過ぎないが。それがそうだとしてだから何がどうなんだとは言えない。

ただ日本の神事や神話が性を巡っていることを漠然と思う。イザナギさんとイザナミさんは「ありて足りないところとありてあり余るところを「補い合った」ではないか。

僕はそのような文学的読解(象徴的読み方)は好きではないが、何かを読む以上何らかの立場に立たなければならない。そうでなければそも言語が発動しない。

つまり我々は何で獣染みた「まんこ」なる行為をするのだろうか? 本能? 本能なる概念が人間にとって自然であったならば、そもその概念が析出されることはなかったであろう。祭りという行為はだから、人間にとって人間とは何かという哲学的呼びかけに対する応答なのだ。理由もなく祭る。

神話の論理で言えば、出雲世界の何たらの争いに敗れここ諏訪の地に敗走した、その前に小野の地に立ち寄った、そのときオオクニヌシの命とタケミナカタの命は一緒だった。一緒だったけれども別の人格(神格?)だった。故に小野神社と矢彦神社が発生した。

小野はあんな狭い地域にも関わらず、幸一郎君の仰る通り塩尻市と辰野町に行政区域が分かれている。姉は「組合立両小野小学校」というまか不思議な学校に入学した。病院の名も「両小野病院」だった。子どもごころにその名前が不思議だった。

こじま君の仰る「たのめの里」 近代に至って分裂したのではない。何と歴史どころか神話が関与している地域だ。小野は何かしら哲学やら神話的思考を誘発する地域なのだ。
 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 4月27日(木)23時34分9秒
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  小野神社と矢彦神社は並んでいるが、小野神社は塩尻市北小野、矢彦神社は辰野町小野にあるんだよね。

山出しの写真を見ると、小野の御柱は木の皮付き、弥彦の御柱は皮をむいてある。
諏訪の御柱との共通点とか違う点とか気になる・・。
今回、行けないので余計気になる・・。

誰かうんちくを語ってくれ!!
 

小野御柱

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 4月26日(水)17時12分16秒
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  先日、和文君が電車の時刻案内をしてくれましたが、時間に余裕のある方は高尾発6:14松本行きの電車でおいで下さい。茅野8:50、上諏訪8:56、下諏訪9:01、岡谷9:07発で塩尻9:18着、辰野行きに乗り換え、9:36発小野着9:46です。ムー夫妻?と一緒になるはず!待ってます?  

ムーの話

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月23日(日)04時41分26秒
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  といっても近藤君の話ではない。「ムーたち」という漫画がある。榎本何とかいう(あまり有名ではないし、絵の巧さを押し出した(「アキラ」とか)作品ではない。)人だ。

彼の描くムーは言う。
ムー「お母さん、何で誕生日ってめでたいの?」
母「目出度いからめでたいのよ」
ムー「だとしたら、僕の生まれた時間だってめでたくはない? 誕生日があるならば、誕生時だって目出度いでしょ」
母「そんな馬鹿なこと言ってないでお勉強しなさい」
ムー「でも僕、それがそうならば(=誕生日がめでたいのならば)どうしてみんなは「誕生時、誕生分、誕生秒を祝わないのか不思議なんだよ」

ムーの言い分が世の言説に現れることはない。誕生日(何故「日」なんだろうか?)が目出度いことを前提として組み立てられているからだ。

「御柱って何が目出度いの?」 「馬鹿野郎、目出度いからめでたいんじゃ」
 

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