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トレミーの定理

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月 6日(木)03時43分6秒
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  難しい定理ではなく中学生にも理解できる。更にそれを使って加法定理が簡単に作図できる(当然で、トレミー自身が加法定理を発見したのだから)が、何故か高校でも教えられることはない。円に内接する四角形の2組の対辺の(長さの)積の和は、対角線の積に等しい、というものだ。ここで、恐ろしく半径の大きい円を考える。我々はその下方にいて、そこで内接する四角形を考える。角度が0,00000000000・・・1とか179,9999999・・・・ だから人間の目には殆ど直線にしか見えないが、それでもトレミーの定理は成り立つ。そして驚くべき(ぼくはべきだと思うが)ことに直線上でも成り立つ。つまりここで発想を逆転させれば、直線とは半径無限大の円なのである。(射影幾何学では無限遠点を導入するが、右方向の無限遠点と左方向の無限遠点は一致するとするが、直線が半径無限大の円だと考えれば納得できるだろう)

そこまでくると、日常(或いは中高数学)用語で使われる使い方とは異なっていると理解して頂けるだろう。(中学生に数学を教えることもある僕も、円を描けと言って直線を描く中学生がいたら怒る・・・ が、彼が「馬鹿センコー、俺は半径無限大の円を描いたんだ」と言えば、にやっと笑って頭を撫でてやる)

そして僕は、他者の比喩として無限遠点を語ったが、また逆に他者こそ無限遠点の比喩でもある。wの比喩を借りれば、俺の首を相手の脳髄に突き刺して、相手が足を蹴られて俺(の脳髄)が痛みを感じたとしてもそれは俺の痛みである。彼の痛みはついに感じることはできない(無論、僕は痛がっている人間に同情することはできる)それをあたかもそうでないようにさせるのが言語である。平行線が無限遠点で交わっているようなことを、日常の言語がやっているのである。赤と言い合って、そのクオリア(質感)を交換する場がないにも関わらず、言葉として通じ合っているのだ。

ユークリッド幾何(我々が中高で習ったやつ)に慣れ過ぎた目から見れば、平行線が無限遠点で交わるなどという考えは奇異に写る(特にお勉強がよくできた人ほど)かもしれないが、なーに微積分だって同じことをしている。その点(例えば2次関数のグラフの接線との接点)にいくらでも近づけることをもってして「ある」としているではないか。
 
 
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