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73かあ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 5月10日(水)06時02分20秒
返信・引用
  73にはおもしろい性質がある。73=37+36.従って(この「従って」は論理を端折り過ぎではあるが。

37×37=37^2+73・0^2=36^2+73・1^2.
37×41=38^2+73・1^2=35^2+73・2^2.
37×49=39^2+73・2^2=34^2+73・3^2.
37×61=40^2+73・3^2=33^2+73・4^2.
37×77=41^2+73・4^2=32^2+73・5^2.
以下同様に続く。

猫がじゃれる。人間の目には彼らが楽しんでいるとしか見えない。でも多分彼らには自分が今楽しんでいるというメタ認識はないであろう。数に至っては生物ですらない。でも俺には数たちが楽しんでいるとしか見えない。

何故? 「楽しむ」という人間の概念を持ち込むからだ。 逆に人間は自己の理解するという概念を以ってしか、そも理解するという行為をすることができない。比喩とはそういうことではないか。

という訳で僕は、数たちが(非生物であるにも関わらず)何かを待っているような気がして仕方ないのである。
 
 

う~、楽しそう・・

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 5月 8日(月)01時04分18秒
返信・引用
  赤羽氏宅でのおかまい、小野の御柱、皆さまお楽しみの様子が目に浮かびます。
次回は絶対に参加するぞ!!
次回は・・?
まだ72、ん73か?、まだまだ若い!

誰か写真を投稿してくれないかな。期待しています。
 

大勢にもかかわらず 大変なおかまい ありがとうございました

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 5月 7日(日)17時34分51秒
返信・引用
  総勢17名でした。 赤羽宅では 奥様をはじめ、二男の方 そしてそのお嫁さんなど
これ以上にない ご歓待をいただきました。この場を借りまして 深く御礼申し上げます。

お吸い物から寿司類、刺身、オードブルなど食べきれないほど
またお酒類もビール、日本酒、ワインと 飲み切れないほどご用意いただきました。
ことに奥様手造りの 伽羅蕗、独活のきんぴら、こしあぶらの天ぷらは
名残惜しい春の逸品で 「大変 おいしゅうございました」

おっと本番を忘れてしまうところでした。
小野神社の一之柱は 赤羽宅の集落上田地区の担当で 赤松目通り2.5mという
立派な柱で 赤羽宅前の道路を曳行して 午後3時前 めでたく建立されました
忍君も 終始柱の傍で 関わっておられました

syomoさんのおっしゃる通り あれほどの大人数の 宴会に等しい楽しい場を
ご提供いただき 本当に ありがとうございました

いつもながら 篝火の会の 集いは この上なく 楽しい! 
 

終わりました

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時59分7秒
返信・引用
  今日の片付けと、慰労会でやっと終わりました。好天に恵まれ、顔のシワがハッキリわかるるように真っ黒に日焼けしました。三日には遠路、小野の僻地(牛正曰く)までご足労をいただきありがとうございました。ろくなおかまいもできませんでしたが、語らいの場の提供ができたことで自己満足をしております。元気でいられれば、次回もお誘いをさせていただきます。みんな!元気でいて!小野の前に諏訪があるか。  

ありがとう!!

 投稿者:宮澤繁子  投稿日:2017年 5月 4日(木)09時37分21秒
返信・引用
  昨日の小野神社の御柱祭、楽しく参加できました。赤羽忍さんお疲れ様!ご家族の皆様、奥さんご接待ほんとうにありがとう!篝火の会の場があり、懐かしいみなさんにお会いでき、感謝です。昨年の諏訪の上社でくるみの義一さん、下社の小松歯科医院さん、みんな多大なお世話になり、ありがたいと思っています。いつが最後の機会になるかもしれない年齢ですから、できるだけ逢える機会は大切にしたいと思いました。

五月晴れ、小野の御柱、天を突き

藤森ご夫婦の車で小野に初めて降りた時、村の隅から隅まで見渡せました。ここに千数年の伝統のある小野神社と、弥彦神社があり、参拝すると、とても大きく立派です。様々な由緒もありますが、村の古老、長老たちの文化伝統を伝える矜持を感じました。
「つべこべ、言うな」みたいな、頑固者のみなさんたちががんばってきたんだな、と。
辰野から清陵へ通学していたみんな、ご苦労さま!すごい山の中からだもの・・・・・・
 

(無題)

 投稿者:ムー  投稿日:2017年 5月 4日(木)08時47分10秒
返信・引用
  syomoさん、ご家族様昨日は大変ありがとうございました。
皆さんともお会いできて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
また、夜明け前の大吟醸と学友会長の木遣りで、更に元気になりました。
また来るからよろしく。

 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 5月 2日(火)08時45分35秒
返信・引用
  小野の御柱がいよいよ明日になりました。
天気もよさそうだし、syomoくんのお宿もあるし、皆さん、存分に楽しんでください。
きっと盛大でしょうね!

私は家事都合でいけませんので、楽しんでいる様子をお庭に投稿してください。
楽しみにしています。
 

車で行くよ。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 4月29日(土)19時34分34秒
返信・引用
  小野の御柱が近づいてきた。
僕は、奥方と、村木(機関長)と、ぎいっつぁと、繁子ちゃんを乗せて車で行きます。
知ってる限りでは、学友会長は、9時の電車でと言ってました。
 

うんちくではないが

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月29日(土)09時19分31秒
返信・引用
  皮被りと皮剥きは、真性包茎と仮性包茎を思わせる。もちろん言葉の類似性からのふざけた類推に過ぎないが。それがそうだとしてだから何がどうなんだとは言えない。

ただ日本の神事や神話が性を巡っていることを漠然と思う。イザナギさんとイザナミさんは「ありて足りないところとありてあり余るところを「補い合った」ではないか。

僕はそのような文学的読解(象徴的読み方)は好きではないが、何かを読む以上何らかの立場に立たなければならない。そうでなければそも言語が発動しない。

つまり我々は何で獣染みた「まんこ」なる行為をするのだろうか? 本能? 本能なる概念が人間にとって自然であったならば、そもその概念が析出されることはなかったであろう。祭りという行為はだから、人間にとって人間とは何かという哲学的呼びかけに対する応答なのだ。理由もなく祭る。

神話の論理で言えば、出雲世界の何たらの争いに敗れここ諏訪の地に敗走した、その前に小野の地に立ち寄った、そのときオオクニヌシの命とタケミナカタの命は一緒だった。一緒だったけれども別の人格(神格?)だった。故に小野神社と矢彦神社が発生した。

小野はあんな狭い地域にも関わらず、幸一郎君の仰る通り塩尻市と辰野町に行政区域が分かれている。姉は「組合立両小野小学校」というまか不思議な学校に入学した。病院の名も「両小野病院」だった。子どもごころにその名前が不思議だった。

こじま君の仰る「たのめの里」 近代に至って分裂したのではない。何と歴史どころか神話が関与している地域だ。小野は何かしら哲学やら神話的思考を誘発する地域なのだ。
 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 4月27日(木)23時34分9秒
返信・引用
  小野神社と矢彦神社は並んでいるが、小野神社は塩尻市北小野、矢彦神社は辰野町小野にあるんだよね。

山出しの写真を見ると、小野の御柱は木の皮付き、弥彦の御柱は皮をむいてある。
諏訪の御柱との共通点とか違う点とか気になる・・。
今回、行けないので余計気になる・・。

誰かうんちくを語ってくれ!!
 

小野御柱

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 4月26日(水)17時12分16秒
返信・引用
  先日、和文君が電車の時刻案内をしてくれましたが、時間に余裕のある方は高尾発6:14松本行きの電車でおいで下さい。茅野8:50、上諏訪8:56、下諏訪9:01、岡谷9:07発で塩尻9:18着、辰野行きに乗り換え、9:36発小野着9:46です。ムー夫妻?と一緒になるはず!待ってます?  

ムーの話

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月23日(日)04時41分26秒
返信・引用
  といっても近藤君の話ではない。「ムーたち」という漫画がある。榎本何とかいう(あまり有名ではないし、絵の巧さを押し出した(「アキラ」とか)作品ではない。)人だ。

彼の描くムーは言う。
ムー「お母さん、何で誕生日ってめでたいの?」
母「目出度いからめでたいのよ」
ムー「だとしたら、僕の生まれた時間だってめでたくはない? 誕生日があるならば、誕生時だって目出度いでしょ」
母「そんな馬鹿なこと言ってないでお勉強しなさい」
ムー「でも僕、それがそうならば(=誕生日がめでたいのならば)どうしてみんなは「誕生時、誕生分、誕生秒を祝わないのか不思議なんだよ」

ムーの言い分が世の言説に現れることはない。誕生日(何故「日」なんだろうか?)が目出度いことを前提として組み立てられているからだ。

「御柱って何が目出度いの?」 「馬鹿野郎、目出度いからめでたいんじゃ」
 

小野御柱

 投稿者:ムー  投稿日:2017年 4月22日(土)08時12分27秒
返信・引用
  5月3日は伺います。
計画して戴いた和文さんには悪いけど、昨年行けなかったので9時46分小野 着で計画中。
一日中楽しみ度、よろしいかな?


 

そんなこんなで「憑(たのめ)の里」へ

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 4月22日(土)00時03分3秒
返信・引用
  「篝火の会」で 品よく 楽しく 雄渾に 伺いましょう!

赤羽君、奥様 よろしくお願いいたします。
 

そういえば・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 4月21日(金)13時48分3秒
返信・引用
  6年前の、小野神社の「御柱」で、syomo宅に伺ったのは、10時頃だったかな。
車を、田圃の脇に不法駐車をして、syomo宅に歩いて(200m位だったけど)行った。

新井くんの率いる太鼓を見たり、柱を曳いたり、最後は小野神社境内までよそ者のくせに侵入して。
「小野の神童」は健在でしたね。「赤羽忍さん」のご招待ってことを、曳き子の中年女性に語ると・・・『あっ、syomoね。』って、、、?

と言うわけで、皆さんせっかくのご招待ですので、遠慮なく押しかけちゃいましょ。
飲み物飲みきれないほど、(この日のために、マルヤス電気で450Lの冷蔵庫を新調したそうです。)あるという事ですし。。。
前回訪ねて思ったけど、、、小野の御柱はのどかでいいよ。

まさをくんの言う、>まるで俺の方が本家といわんばかりに。 あるある。syomoも時折言ってる。
まさをくんも、例の宿泊施設にでも予約をして(駄目ならsyomo宅に泊まればよい。五月さんは慈悲深い人だから)来たら?
命短し恋せよ乙女。。。っでせ。
 

小野って変なところだよね

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月21日(金)07時48分30秒
返信・引用
  高島藩でも高遠藩でも小笠原藩(松本)でもなく天領だった(F君から仕入れた知識)。あんな狭い地域なのに、諏訪の御柱に対抗して(?)御柱祭を実行する。まるで俺の方が本家と言わんばかりに。あの人たち(俺もその末裔だが)は何をやっているんでしょうか?

由緒という概念が時間の古さに依存するならば、彼らタケミナカタの命オオクニヌシの命たちは諏訪に行く前に小野に立ち寄っているんだから、由緒的には小野の方が由緒正しいわけである。

でもだからと言って何が何なんだろう。

そうは言っても俺は小野の御柱を見たい、経験したい。

出来事というのは、ただ1回そのそこでのみ起きていることなのだ(奇蹟である。俺はこの奇蹟概念を或る数学者から教わった) 単なる(と通常思われている、しかし「単なる」としなければ、日常が送れないのだ。その度に奇蹟が起こってはいるのだが、そんなことに付き合ってはいられない。何しろ人生は忙しさに満ちているが時間的に限られているため余裕がない。

以上のような訳で(?)小野の御柱には参加すべきであるし、お酒等を心配せずに心行くまでsyomo君の家で馬鹿騒ぎすればいいのだ。
 

RE:小野の御柱祭参加

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 4月20日(木)19時01分6秒
返信・引用
  五月三日は神社に入る柱は小野神社1の柱だけ(矢彦神社も無し)。予定電車だと神社に入る時間で柱にも近づけない状態だと思います。この電車の通過を待って線路を渡る予定です。
どうせ一日、小野の御柱に来るなら、もっと早く来て(十時頃)、御柱を楽しんで下さい。我が家にきてお茶の変わりに一杯飲んで、ちょこっと柱をひいて、お昼に宴会をして、建御柱を楽しんで下さい。お酒の心配はいりません!小野酒造の夜明け前、頼母鶴、好々爺(米焼酎)塩尻産ワイン、ビール諸々、コーラ、お茶等飲みきれない程用意してしまいました。飲み切って下さい。女房曰く:三十人も四十人もあんまり変わらないと言ってます。家には入れると思います。接待はそれなりですので気軽にお出かけ下さい。
 

小野の御柱祭参加

 投稿者:小口和文  投稿日:2017年 4月20日(木)17時07分17秒
返信・引用
  16日赤羽邸に所用で伺いました。
途中で、ほどよく反った根回り2メートルもあろうかと思われる赤松の巨木が横たわっていました。
小野は盛り上がっているなと思ていたところ、昨夜我が家に小野の御柱祭への観覧呼びかけの回覧板が廻って来ました。       いよいよ僕らも備えなければと、遅れましたが予定お知らせします。

5月3日 ~岡谷駅 10時31分 岡谷駅乗換 10時35分~辰野駅10時53分 辰野駅乗換
      辰野駅 11時00分 ~ 小野駅 11時10分
 この電車の運行スケジュールが最適です。ただし中央線下り利用の場合です。
 塩尻駅より小野へ向かう方は、塩尻駅臨時電車 10時30分~ 10時41分 小野駅でお願いします。( 岡谷駅・辰野駅経由組到着まで申し訳ありませんが待ってて下さい。)

赤羽君の家へは12時頃お邪魔する予定です。
奥様に過度のご負担をおかけしないよう各自?はご用意お願いします。
お酒類は事前に小島会長ほかの志を頂き充分用意しておきます。

車で赤羽邸に行かれる方は、交通規制を調べて、くれぐれも無駄な出費をしないようご注意を!

御柱祭、元気で皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。
尚帰りは、建御柱まで見て 小野駅16時28分発~辰野駅37分着 16時47分発~岡谷駅着17時00分  を予定しています。
 

そっか

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月16日(日)03時57分15秒
返信・引用
  我ながら読解力のなさに呆れるが

出てきたついでに読解の話。高1か高2のとき、数学のテスト。どう見ても正しいのに×になっていた。抗議に数学研究室に行った。話をしたら自分が文意を真逆に解釈していたことが分かった。「でも、せんせー、俺のように解釈もできるでしょ」「うん、言われれば確かに君のように解釈もできる。でもそんな風にとった人は君の他にはいないから・・・」と言いながらも少し加点してくれた。(どの先生だったかは記憶の彼方)

ジジイになってからも覚えているのは別に恨みからではない。何となく釈然としなかったからだ。仮にも数学の先生ならば、僕のような読解もできることを認めた以上、それもあり得べき正解と認めるべきではなかったか。そうでなければ、多数決(何と民主主義的!)などを論拠とせずに、君の解釈はこれこれこういう理由で成り立たないという風に論理的に諄々と(懇々とが正しいのかな)説いてくれるべきではなかったか。
 

説明の仕方が悪かったかな?

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 4月15日(土)16時00分2秒
返信・引用
  コロを入れて曳くのは矢彦神社の氏子衆の話。
過疎化の影響で、曳き子が不足するための苦肉の策とのこと。
「だったら、細くて短くすりゃ~いいじゃん。」と心の中で呟いた。

諏訪大社のご用材は当分自前では調達できそうもないみたいなので、、、
小野の皆様には足を向けて寝られないってこと・・・デスね。
「運搬」は、それはそれは大変だったとのこと。大型トレ-ラーで数百万だか数千万だか・・・(?)
よくわからないが次回からの戸別の負担金が(ご寄付と言ってるが)今回の二倍になるとか。。。
 

でもまあ

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月15日(土)08時31分1秒
返信・引用
  川島から諏訪に運んだのは「曳行」じゃないんだよね、「運搬」じゃなかろうか。
神事が始まるのは、諏訪の地に定置されてからだよね。だから俺はこじま君のおっしゃる、「御柱とは言えない」に軽い違和感を覚える。

だって川島から諏訪へ運んだ連中は、クロネコヤマト宜しく与えられた業務を忠実に遂行したに過ぎない。コロが最良の選択だったのだ。つまり、川島から諏訪・茅野に運ぶ行程は神事の内部ではないのではないでしょうか。
 

なぬ??!!コロだって!

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 4月13日(木)22時21分56秒
返信・引用
  それは 御柱 とは云わない。
何を 考えているんだ!
 

矢彦神社

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 4月13日(木)19時02分12秒
返信・引用
  小野神社は、syomoくんに任せた。5月3日はよろしくお願いします。

先日、矢彦神社の氏子のところに仕事で行ったら
「ここから、200mくらい行ったところに、矢彦の1の柱があるから見ていけや」と。
ほんなもん・・・と多少馬鹿にしながら神様であるお客様に従ったら。。。
すげ~じゃん、今回の「本1」が見劣りするほどの美木。目通りもさることながら、とにかくまっすぐで長い! 馬鹿にしてごめんなさいデス。
そー言えば、今回の諏訪大社の柱は、あっちから(川島の奥)から譲ってもらったんだよね。
んで、トレーラーで大騒ぎして搬送してきたんだよね。やっ、悪かった。。。
と思いきや、、、曳き子がいないので、柱の下に「コロ」を入れて、、、だって。(笑)
 

小野神社と矢彦神社

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月11日(火)06時14分30秒
返信・引用
  小野駅で降りて駅前の道を塩尻方面に向かうと立派な鳥居が見えてくる。そこに何と神社が2つある(端的に無駄だと思うが、とにかくある) その一つがタケミナカタの親父の(神様もセッ○スをするのか?)大国主の命を祀っているとのこと。

小2のとき学芸会で大国主の命役を演らされた。先生の姓は小泉といい、我らが会の前々回会長小泉悦夫君のご近所出身らしい。定かではないがキリスト教徒だったとも。(先生の言動に微かにその感触はあった)そのお方が何故日本神話を?

今思えば(詰まらん纏め方で気が引けるが)、戦後の(価値観)混乱期に小泉先生も悩んでおられたのだと思う。

現実というのは連続的で切ることはできないが、言語は切る。そこでどんなに精緻に言語表現しようとも、言っても言っても言語表現できない余剰が残る。

出雲に追われたタケミナカタ一行は諏訪に入る前に小野の地で一休みした。

syomo君の御柱には行くべし行くべし。だってそういう意味では諏訪大社よりも小野神社の方が古いんでっせ(真相は知らないし興味もないが)
 

トレミーの定理

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 4月 6日(木)03時43分6秒
返信・引用
  難しい定理ではなく中学生にも理解できる。更にそれを使って加法定理が簡単に作図できる(当然で、トレミー自身が加法定理を発見したのだから)が、何故か高校でも教えられることはない。円に内接する四角形の2組の対辺の(長さの)積の和は、対角線の積に等しい、というものだ。ここで、恐ろしく半径の大きい円を考える。我々はその下方にいて、そこで内接する四角形を考える。角度が0,00000000000・・・1とか179,9999999・・・・ だから人間の目には殆ど直線にしか見えないが、それでもトレミーの定理は成り立つ。そして驚くべき(ぼくはべきだと思うが)ことに直線上でも成り立つ。つまりここで発想を逆転させれば、直線とは半径無限大の円なのである。(射影幾何学では無限遠点を導入するが、右方向の無限遠点と左方向の無限遠点は一致するとするが、直線が半径無限大の円だと考えれば納得できるだろう)

そこまでくると、日常(或いは中高数学)用語で使われる使い方とは異なっていると理解して頂けるだろう。(中学生に数学を教えることもある僕も、円を描けと言って直線を描く中学生がいたら怒る・・・ が、彼が「馬鹿センコー、俺は半径無限大の円を描いたんだ」と言えば、にやっと笑って頭を撫でてやる)

そして僕は、他者の比喩として無限遠点を語ったが、また逆に他者こそ無限遠点の比喩でもある。wの比喩を借りれば、俺の首を相手の脳髄に突き刺して、相手が足を蹴られて俺(の脳髄)が痛みを感じたとしてもそれは俺の痛みである。彼の痛みはついに感じることはできない(無論、僕は痛がっている人間に同情することはできる)それをあたかもそうでないようにさせるのが言語である。平行線が無限遠点で交わっているようなことを、日常の言語がやっているのである。赤と言い合って、そのクオリア(質感)を交換する場がないにも関わらず、言葉として通じ合っているのだ。

ユークリッド幾何(我々が中高で習ったやつ)に慣れ過ぎた目から見れば、平行線が無限遠点で交わるなどという考えは奇異に写る(特にお勉強がよくできた人ほど)かもしれないが、なーに微積分だって同じことをしている。その点(例えば2次関数のグラフの接線との接点)にいくらでも近づけることをもってして「ある」としているではないか。
 

小野の御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 4月 5日(水)16時55分0秒
返信・引用
  小野神社の祭神は諏訪大社と同じ建御名方命、
隣接する矢彦神社の祭神は建御名方命の父である大己貴命(おおなむちのみこと(大国主命の別名))とのこと。
建御名方命が諏訪に行く途中、小野の地にしばらく留まったことが由来と聞く。

小野の御柱は、当然行ってみたい。
でも、5月3日は息子の結婚式、残念ながら欠席です。
皆さん、楽しんでください。
 

小野神社御柱祭

 投稿者:宮澤繁子  投稿日:2017年 4月 3日(月)15時55分31秒
返信・引用
  辰野の御柱祭のお知らせありがと!!私は見に行きたい。よろしくお願いします。
この年になるまで、世の中のことあまりに知らな過ぎると、気が付きました。やっと!!!
霧訪山に登ったことあるけれど、辰野のこと全然知らない。ごめんなさい。楽しみです。

春来るや、恋の気分に、少し似て

映画館で映画観ますか?「ムーンライト」まさをさんの言うように、平行線なんだよね。
だから、生きる、てせつない!!私もずいぶん長く生きてきたな、と思った。
 

お知らせ

 投稿者:syomo  投稿日:2017年 4月 1日(土)11時45分58秒
返信・引用
  平成29年丁酉歳小野神社(矢彦神社共)御柱祭が五月の連休に行われます。
我が地区は一の柱を担当し、五月三日の午前中に曳行、午後建て御柱の予定になっております。
暇を持て余している方、一度は見てみたい方は是非、お出掛け下さい。そして我が家にお立ち寄り下さい。飲み物等、しっかり用意?させていただきます。詳しくは、小口和文さんから案内が出ると思います。
御柱が我が家前到着が九時頃になります。柱の周りでウロウロしていると思いますので、声をかけて下さい。お待ちしてます。
 

勿論ジョークだよね

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月30日(木)02時52分17秒
返信・引用
  だって迷惑を蒙った人なんて誰もいないんだから。いたら感性を疑う。

僕の話、多大なご迷惑を感じられるようだったら読み飛ばして頂きたい。完全四辺形。左から直線上にACBDがあり、AC:CB=AD:DB。要するに線分ABを同じ比に内分、外分する。調和点列と言う。作る簡単な方法がある(作っても何の役にも立たない)

三角形PAB(ABが底辺でAが左にある)のPA上にQ,PB上にRをとる(Qの方が若干頂点Pに近い)BQとARの交点をSとし、PSの延長とABとの交点をCとし、QRの延長とABんぽ延長との交点をDとする。ACBDは調和点列になる。

証明が振るっている。PとDを無限遠点にもっていく(つまり、PAとPB、QRとABは平行になる=無限遠点で交わっている)するとQABRは長方形になり、AC:CB=1:1であり、AD:DB=無限:無限=1:1.それを(無限遠点を)近場に持ってきたのが完全四辺形である。AD:DB=無限:無限-AB ではないかと思われる人がいるかもしれないが、しかしDが遠くに行けば行くほどABの相対度が小さくなる。無限遠点なんて(実体的には、或いは時空的には)ありもしないものを仮定してもいいのか。我々が高校で習った微分と同じ論理である。いくらでも近づけることをもってして「ある」と置いてしまう。

我々が他人を理解するときも同じことをしている。他人というのは経験を共有することは絶対にできない。ここでいう共有とは感性・感情・感覚的に分かる・共感できるという意味でなく、たとえ神経を繋げたとして相手も俺も痛くて同じように騒いだとしても、俺が感じているのは俺の痛みである、という意味である。常識(我々の習ったユークリッド幾何)からすれば平行線は交わるはずはない(だってそれが平行線の定義なのだから)のにそれを無限遠点で交わると置いてしまうのだ。同じように、他人とは経験を共有できないものを指すのに、あたかもできるかのように我々人間は振る舞う。言語というものの恐るべき力によって。
 

お詫び

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 3月29日(水)23時32分37秒
返信・引用
  『このたびは、各方面の皆様方に 多大な ご心配と
 ご迷惑をおかけしてしまい まことに 申し訳ございません』
 

呑み歩き

 投稿者:たまみ  投稿日:2017年 3月29日(水)00時12分15秒
返信・引用
  無限の話も含めて、楽しく?拝見しています。

「?み歩き」はてっきり酔っ払ってのことと理解していましたが、違うんですね。25日は一日図書館で所用のためバタバタしておりました。行きたかったんだけどね。
 

呑み歩き

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2017年 3月28日(火)17時50分20秒
返信・引用
  出るじゃん・・・?  

環境依存文字

 投稿者:二代管理人  投稿日:2017年 3月28日(火)01時14分22秒
返信・引用
  こじまさん、呑み歩き情報ありがとうございます。
25日は所属している組合総会でした。
26日は上川のヨシ焼きの予定でしたが雪で中止。年度末はなんやかんやでバタバタしています。

このHPは異なる環境(OS)で表示させた場合に文字化けする環境依存文字の影響を受けやすいです。
「呑み」等常用外の文字を使うとき、変換候補の中から「環境依存」のない文字を選択してください。
私も何度かやってしまい、ページ最下段にある「自分の投稿の編集」を使って修正しています。
 

?み歩き 

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 3月26日(日)16時06分50秒
返信・引用
  です。 すみません。  

?み歩き 行ってきました

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 3月26日(日)16時04分24秒
返信・引用
  結局 以前勤めていた会社の同僚と 従弟とで呑んできました
お天気も良く ビールも含め 2時間 かなりの量を呑みました

ほろ酔い加減で ブラブラするのは いいものです。
それぞれの酒蔵が 5~6種類の 日本酒を提供するものだから
蔵元による 好き嫌いが はっきりしますね。

次は お花見で!
 

「堅い話」ではないと信じる

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月24日(金)04時07分25秒
返信・引用
  座標上の第一象限の整数座標を(1,1)(2,1)(2,2)(1,2)(1,3)(2,3)(3,3)(3,2)(3,1)(4,1)
のように辿っていく。(辿り方は類推して下さい)それら座標をy/xという分数(有理数)だと看做す。(約分して同じ分数になるものはオミットする。そうすると、全ての有理数が現れる(もちろん無限にあるのだから数え終わることはできない)重要なのは数え終わるなどという不可能なことでなく、順序つけられることだ。

同じように、0~1までのあらゆる無理数を小数で大きい順に書き並び終えたとする(無論、実際には一つの無理数さえ書き終えることはできない。何しろ無限小数なのだから)
0.999999999999998374・・・・・・
0,999999999999998373・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで第1段の小数からは、小数第1位の数よりも1小さい数を、第2段からは小数第2位の数字よりも1小さい数字を・・・ このようにしてゆくと、全て書き終えたはずなのにそれまでと違う無限小数が現れる。大きさの順序に従って、しかるべき位置に入れてあげる。この操作も無限に続くが、ポイントは順序つけられないこと。

カントルという職人気質の数学者がいて、無限にも階梯(大きさの違い)があることを発見した。有理数の場合は並べられる(大きさの順ではなくても)のだから、自然数と1:1に対応する。つまり(奇妙に感じられるかもしれないが)有理数は自然数と同じだけある。最も小さい無限だ。有理数とは簡単に言えば分数と整数の集合なので、普通に考えれば整数(自然数)より多いに決まっている。がしかし自然数と同じ個数なのだ。一方無理数は、並べることができないので自然数と1:1に対応しない。無理数は有理数よりも多く存在するのである。

また別な観点から。半径1mの球体を考える。球体の表面からの距離の逆数をとることで、球体の外のあらゆる点を球体の中にマッピングできる(反転という。多分中学生でも理解できる) 宇宙全部を球体の中に閉じ込めることができる(もちろん、現実に物理的にできるなどと言っているのではないですよ)但し無限遠点(宇宙の果て?)は微妙だ。全方向に無限遠点があるのだから、それこそ無限に多くあるがそれらは全て球体の中心に収斂してしまう。反転という誰でも理解できる概念から、宇宙の果てが球体の中心に閉じ込められるというまか不思議なことが起きる。
 

無限というのは

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月22日(水)06時35分17秒
返信・引用
  懐かしくも高校数学で出会っている。例の微積分というやつだ。実は、あそこで扱われた曲線の接点なるものはない。「ある」を時空的にあるの意味に解する限り。つまり、多少なりとも広がりを持ち、時間的にも瞬時といえど持続があるという意味に解する限り、そんなものはない。ないのだけれどもいくらでも近づけることをもってして数学では、仮に「ある」としてしまうのである。それが如何に有効かはご存知の通り(微積分がなければロケットも飛ばせないし新幹線も走らせられない)

射影幾何学というものがある。そこでは平行線は無限遠点で交わる(無論考えられるだけで経験はできないし、従って時空的にはない)それを前提にすると、例えばパスカルの神秘六角形の定理がいとも簡単に証明されてしまう。

ちょっと論点が変わるかもしれないが、理由の理由の理由、原因の原因の原因を辿っていくと無限背進に陥る。そこでアリストテレスは「不動の動者」なるものを考えた。キリスト教は「創造神」を考えた。どこかでとにかく始めないと始まらないからだ。カントはそんなことを考えるのは理性のせいだ、と人間の認識装置の方に解決をずらした。感性は経験を五感を使って直接認識する、悟性は経験を踏まえ整理する装置、理性は経験に構わず突っ走る。仏教(釈迦)は、問いそのものを退けた(無記) でもどんな大宗教も大哲学も大科学も、世界は何故あるのかという問いには答えていない(応えてはいるが)

ここで理由と原因の違いについて述べたいところであるが禁欲して、我々は一歩歩くのにも無限の点を有限の時間で越えているのである。不思議といえば不思議である(そんな子供染みたことを言ってないで、明日の日本はどうなるのだというようなことを考えろやという意見も尤もであるが)その不思議の源泉はまたしても点という概念にあるだろうが、割愛。
 

うん ○○と○

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月18日(土)06時59分8秒
返信・引用
  病院シリーズ無茶苦茶編

釈迦氏は「生老病死」を四苦と言った。その場合の「生」とは「生きていること」ではなく「生まれる」ということだろう。老病は「生きている」ことに含まれるのだから生の意味を「生きていること」ととると冗長表現になってしまうからだ。

そして生と死(こじまくんの言われる○)には著しい特徴がある。意思ではない。


でも老病も意思ではないではないか。しかし「コーラを飲みつづければ病を招く」ということを知っていた(知らなかったがそんな結び付きは考えなかった)とすれば意思が介在しているのではないか。でもとにかく生きていることの中で病も老いも、それが意思することでなくても起きることだった知っている。

だが「生まれる」ことと「死ぬ」ことを、他人のそれではなく自分のこととして経験することは決してできない。恐らく釈迦氏の言葉はもっと深い解釈は可能だろうが、ともかくそういう風に自分なりに(それが幼稚であろうと)解釈してみたときにのみ深さが突然現れる。

釈迦氏の言う「苦」は、だから自分の思い通りにならないことだと解釈できるが、生死と病老では、その深度が違っているのだ。

自殺はどうか? 意思して死ぬことではないか? でも意思したとしても「死ぬこと」を経験することはできない。

馬鹿な話? 仕方がない、まさをが馬鹿だからだ。
 

還暦を過ぎると・・・

 投稿者:こじま  投稿日:2017年 3月16日(木)11時31分9秒
返信・引用
  諸々の体験談の中 ○○と○ の話が多くなりますね

ところで潔君からの ご批判もありますが

3月25日(土)「諏訪呑み歩き」に篝火の会の「プレ・花見」として参加者を募っています

 当日券は 例年だと恐らく並ばないと入手困難だと思います
あと4枚チケットがありますので 小島まで連絡ください
時間は 13時からとなっていますが まだ陽が高いので
一応15時に 新装「池田歯科」からスタートしたいと考えています
(それ以前でも構いませんが・・・)
よろしくお願いします




 

病院シリーズ 諏訪編

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 3月15日(水)22時04分40秒
返信・引用
  「歯、目、マラ」って昔から言うけど、「歯」の大工事を開始した。
小さな治療は、ちょこちょこやっていたが、今回は「大工事」だそうだ。
以前から、どこの歯医者に行っても異口同音に『わっ、歯ぎしりをしてますね~。ストレスが多いでしょう。奥歯が異常にすり減っていて、神経がもう少しで顔を出しますよ。』と言われてきた。
「20年前くらいから、隣で寝る人がいなくなったので歯ぎしりしているかどうか、自分では詳しくはわかりません。。。」
『この尋常でないすり減り方は、歯ぎしりで間違いなし。』と。
自分なりの反論はある。上の歯と、下の歯のかみ合わせから考えると、絶対に歯ぎしりではない!

今回も、久々の小松歯科医院で院長が、『歯ぎしりだね!』と言ったので、「だってさ、、、」と持論で反論をした。そしたら、、、副院長(副園長ではない。)が絵本を持ってきて、『この中でよく飲まれる飲料水は?』と尋ねたので「コーラ」を指さしたら『原因はコーラですね。PH2の強酸性ですよ。それが歯を溶かしたんですね。』
いや~なんも言えね~。小学校4年頃から飲み始めたから、皆さんのビールより年季が入ってるゎ。。。せいぜい「院長との飲み会の時に注意してくれなかった。」と小声で呟くのが関の山。

そんなわけで、大工事開始。院長に言わせると、全治6ヶ月。で、現在は、上下左右3本ずつ、計12本に今の高さの約2倍になるようなかぶせものを処置された。
かみ合わせ調整を、施さないで次の治療日まで我慢してとのこと。口の中がすべて奥歯のような感覚。。。加えて氷の上で下駄履きで歩いているようなかみ合わせ。。。飯が食えない! 1日絶食したら、なんと体重1キロ減。(思わぬ効果にニンマリ。)
小松院長、優しいね~。そんな僕のことをきずかって翌朝電話をくれた。『どう?食事できてる?』「やっ、助けてよ。昨日一日なんも食えてね~。」『ハハハ』で電話が切れた。
30分後、助手の方から電話が入り、次回予約は17日ですが、お困りのようですから本日3時にお出かけくださいとの院長からのお話です。。。助かった~。
本日の調整で、半歩ほど楽になった。
 

うん

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月13日(月)04時34分7秒
返信・引用
  めっちゃ懐かしいから無限なんて言葉使ってしまった。A氏は商社に勤めていた人で、最もよく話した。B氏は俺が退屈だろうと(俺の好みも聞かず)アサヒ芸能だの競馬新聞を買ってきてくれた。お二人とも70過ぎだったが、B氏の少年のような悪戯っぽい目が忘れられない。

無限の話:ユークリッドは素数が無限に存在することを証明した。数なんて無限にあるんだから素数だって無限にあるに決まってんじゃんと普通は(俺は)思うが、それを「証明」とはいかにも数学っぽい(且つギリシャっぽい。)ご存知のように日本の江戸数学はかなり水準が高かった、が証明・体系化という観念に乏しかった。

知られている最大素数をpとする。さてP=(2・3・5・7・11・・・p)+1という数を考える。これがもし合成数であるとすれば、その素因数はpより大きいはずだ(p以下の素数で割れば1余るのだから) またこれが素数とすれば、それは明らかにpより大きい。

発想の面白さに惹かれた。無限って面白いから、皆さんの話の合間にこれからも挟ませて頂く。よろしく。
 

無限に懐かしい。

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2017年 3月12日(日)13時02分25秒
返信・引用
  懐かしい表現だな。。。
こういった表現は、いつしたのが最後だろう?
「無限」って・・・いいな~!
 

一期一会

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月10日(金)05時56分40秒
返信・引用
  色んな人と知り合った。(またぞろ病院の話だ。ごめん)ギャンブルに入れあげて離婚して(されて)しまった人。似たタイプだが、見るからにギャンブル好きで、おめえ退屈だろうから俺が(病院から)抜け出して雑誌買ってきてあげるよ。ギャンブル新聞・雑誌・・ 恐らくは結婚もしていない。そんな価値観を俺は全く信じていないのだが(そういう価値観も世間にはあるらしいとは知っているのでそこに載って喋れば)負け犬タイプの人・・(こんなこと口に出すだけで気持ち悪いのだが) 顔つきも貧相でとても教養ある(教養って何なんだ? 知識があることか? そんなもの暇(と金)さえあれば誰でも身につけることができる)人とは思えなかった。

もう2度と会うことはないだろう(病院で出会った人は全てそうである。誰とも連絡先を交換しなかった)病院という環境がなければ決して出会えなかった人だ。そういう俺は談話室でひたすら電卓を叩いていた。彼にとっても俺は不思議なやつに映ったであろう。死ぬかもしれない(屁のような病気でもその可能性はあった)のに何をやってんだ?(看護師にフェルマー数学を講義したが失敗した。)

退院する日挨拶に行った。「元気でな」「あんたもな」 それっきり勿論会っていない。(病院外で)会ったとしても大した話はできまい。でも、彼のことが無限に懐かしい。
 

実は

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 3月 8日(水)01時02分13秒
返信・引用
  私もその葬儀には伺った。用事があったので弔問だけだったが。

娘さんが私の娘と小中一緒だった。旦那はもちろん知っている。
そのちょっと前にも62歳で亡くなられた方の葬儀に伺った。
生きていることを大切にしないと・・・。
 

まさをくん

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2017年 3月 7日(火)18時42分22秒
返信・引用
  僕は、「相手にしない」と決めてから、随分と心が軽くなりました。
まさをくんも、そうしたらいかがですか。「〇○は相手にしない」
 

Re.昨日

 投稿者:たまみ  投稿日:2017年 3月 7日(火)01時20分14秒
返信・引用
  孝一郎君、これからいくらでも、と言うと語弊があるが、大抵は何回か機会に恵まれる!から、心配は要らない。もっとも二三回予行演習をしておけば、いざというとき?役に立つかも知れない。

実は潔君が書かれているのと同じ方のお葬式に参じておりました。私の方はご主人とは一面識もなく、ご本人が教員で、歴史の同好の士という関わりで仲間とご葬儀にも参列した次第。初任での教え子で、福祉関係のNPO法人の役員をされている女性の涙ながらの弔辞を聞きながら、病気を抱えながらもいつも明るく、笑顔が絶えなかったご本人を思い、ともに涙してしまいました。

本人は様々に心残りだったろうと思います。一方で、遺志を継いでゆかれる教え子さんたちに本人のエールが確かに託されているのではないかと思いました。

 

昨日

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2017年 3月 6日(月)14時38分57秒
返信・引用
  清陵の1学年後輩の奥様のご葬儀に参列してきました。

まさをくん、、、哀しく、せつないもんだぜ。人のさだめって。

2月26日深夜に、「大動脈解離」でご逝去された。
しかし・・・実は28日に「大動脈解離」の手術を受けることになっていたそうだ。

「あと・・・1日半。。。」  ご主人がうめくように言った。
生きるために手術の道を選び、「元気で帰ってくるでね。」と職場の人たちにしばしの別れを伝えていったそうだが、永遠になってしまった。

僕なりに3カ月を総括すれば、3カ月の時間があったことは、まだ幸せだったと思うしかない。
 

病院シリーズ他

 投稿者:孝一郎  投稿日:2017年 3月 6日(月)11時51分50秒
返信・引用 編集済
  私が病院に泊まったのは人間ドックの時とドックで見つかったポリーブを検査を兼ねて除去した時のみ。
楽しみにしていたのになぁー。

「呑み歩き」は有志の集まりである「上諏訪街道21」が98年に始めて最近は「呑みあるき実行委員会」が主催(中味はあまり変わっていないと聞く)。
協賛は上諏訪駅と長野日報のみ。20年近くになる。

拡大策やホコ天陳情も行なっているが一部に非協力(反対?)もありうまくいっていない。
諏訪市そのものを巻き込まなければいけない。
>>動きをかけている
 

ありがとう、繁子さん、潔くん

 投稿者:まさを  投稿日:2017年 3月 6日(月)06時17分39秒
返信・引用
  誰か僕の病院シリーズを止めて下さい。
「ここまできたら」のような話を院内で知り合ったA氏に話した。「おざわさんは腑に落ちないというか割り切れない思いであると?」「はあ、まあ」

おざわさん、私はもう何年も前に父親を亡くしました。末期癌でした。私には兄貴がいるんですが、親父曰く「医者から話を聞いてお前たちがどうするか決めてくれ」
兄貴は、少しでも長く生きられるのならの観点から手術推進という意見。私は真反対の意見。喧嘩になるほど議論した挙句、「分かった、兄貴に従う、文句は言わない」

それでどうなったのですか? 「手術後3ヶ月後に亡くなりました。」「ああ」

いやねおざわさん、私は兄貴の言うこともそう言いたくなる気持ちもよーく分かるのですよ、と俺に言うA氏は「腑に落ちない・割り切れな」かったのだろう。そしてたとえA氏の言う通りにして、お父上が6ヶ月生き延びたとしてもA氏にやはり割り切れなさが残ったに決まっている。「やはり兄貴の言う通りにすればよかったかな・・・」

そうなんだよな、XではなくYという行動を選んだ時点でXを選んだときの可能な事態を経験することはできない。従って人間の決断には必ず悔いが残る。

俺の割り切れなさなんかよりも深いというかシリアスな話を聞いた。総じて病院は楽しかった。仲良くなった看護師さんもいたし。(でもエロ漫画にあるように、簡単に彼女たちのオッパイを揉んだりはできなかった。ギイーっちゃんのようなモテ男でなければ無理だろう。残念なことに看護師の中に蕾さんはいなかった。「マン開」だ!
 

お返事、もろもろ。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2017年 3月 3日(金)23時49分21秒
返信・引用
  話題を振った責任から、孝一郎議員。
>相当前におっさんが車にひっかけられた。
でっ、主催者は道路警備の誘導員を少しばかり増やしただけかえ?
ホコ天の陳情くらいはあげているだかえ?(あなたが紹介議員となって請願にでもしたら。)
ちょっときつい言い方をしてしまったが、ひっかけた運転手が気の毒でならない。
主催者は、即刻翌年は中止を検討しなくてはならなかったんじゃないのかな~。
松本ぼんぼんが、通称「電車通り」と言われる、駅から県の森に通じる長いメイン通りを「歩行者天国」にできるようになったのは、主催者が毎年毎年、警察署に地道に働きかけたからだと。。。
迂回路の面では、2本もあるじゃん。可能性充分。地元出身の孝一郎議員、ひと肌もふた肌も脱ぐときだと・・・思うんだけどな~。

病院シリーズのまさをくん。(この話に以前反応したかったけど、別ステージだったので・・・)
僕の知り合いが、仲間から電話を受けるときに、、、「はい、こちら諏訪警察署です。事件ですか?事故ですか?」と言ってふざけるさまを横で聞いてて、思わず失笑したことがある。
病院の出来事は、まさに「事件」だよね。「生きたいから、回復したいから」の病院なのに、、、隠蔽体質あるんだね。病院怖い。未だに点滴袋に異物を混入した事件も解決してないんだよね。

でも、僕の場合、、、ちょうど1年ほど前に 東京のとある病院で屁みたいな(?)手術を受けた。3泊4日の超短期入院だったけど・・・あの病院と院長にはいまだに感服している。「医は仁術なり」などと大仰に言うつもりはないが、(それまでの主治医(清陵の後輩)が、あまりにへぼかったので)病院と医者嫌いが病とともに直った。

 

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