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「ある」とは何か

 投稿者:まさを  投稿日:2016年11月12日(土)05時54分58秒
返信・引用
  「何か」と問題を立てた途端、事態は実体的思考に向かう。言語は「実体-属性」としか思考できない。主語-述語としなければそも言語が発動しない。

言語では言えない次元があるのだ。でもそのことは言えない。言うという行為が言語を介してしかなされない行為だからだ、ウィトゲンシュタインはその事態を、「人は分からぬことには沈黙しなければならない」と表現した。釈迦はそういう事態に対して解答を(回答?)与えることを拒否した。名高い「無記「である。

世界は難しい。当然であろう。世界が簡単であったならば我々が生きる価値・意味などない。意味や価値などが決して一義的に分からないからこそ我々は生きていられるのだ。

つまり我々は(言語を操る存在は)「何」と問うてはならない、「如何に」「どのように」を問わなければならない。
 
 

繁子ちゃんへ

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年11月 9日(水)20時24分15秒
返信・引用
  会うのはいつも『食べ物屋』でばっかり。。。
鰻屋にとんかつ屋、、、洒落たイタリアンはお互い縁遠いようで。(笑)
楽屋ネタは、この辺にして、11日は諏訪支部総会の日です。(清陵のですよ。上中では無い。当たり前か!)
諏訪支部は変則的な運営をしていて、支部長が2年交代。つまり偶数年次が引き受けることになっている。
70回生から72回生へと継承され、来年、再来年は『小泉悦夫くん』が諏訪支部長となる。
そんな訳で、11日に「成田屋」で初仕事。大勢の72回生に参加してもらいたいのだが・・・
繁子ちゃん、18時からだけど来れる? 会費は4000円。当日受付可能です。
 

本意をうまく伝えられなかった

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年11月 9日(水)19時13分15秒
返信・引用
  「見ているよ」も参加していることになるのかもしれないが、ちょっと違うような…
あまりにも人影がないお庭を見ていてそれでも繋がっていると思えるのならそれでいい。
なら俺も無理して盛り上げる努力はしない。

俺が書き込みをしなければ古田君もお庭に書き込むことはなかったと思う。余分なことをしてしまったと反省している。
 

(無題)

 投稿者:宮澤繁子  投稿日:2016年11月 9日(水)10時57分39秒
返信・引用
  お元気ですか?自己愛が母校愛に勝ってしまい、ご無沙汰しました。お庭のなかに沢山の優しさを見つけ、良いやつばっかし、と思いました。変なやつもいつぱい・・・・・

草の絮、飛びたき風を、待つやうに

茸名人、やっぱりジコボウはだめでした。3回山に入り10本くらい。他の茸は採れない素人の悲しさ・・・・来年もあるさ!
先日潔君に会った時、11月11日になんか清陵の会があるようなこと聞きました。何?
 

RE:残念

 投稿者:二代管理人  投稿日:2016年11月 9日(水)02時30分11秒
返信・引用
  私もぎいっつぁの考えと同じです。
書き込みをしてくれた古田くんの気持ちを思うと言葉もありません。
でもありがたく思います。

書き込みはしないけど「見ているよ」と言ってくれる学友はそれなりにいます。
「お庭」があることによって、どこかでそっとつながっている。
そんな感じでもいいのかなと思う時もありますが・・・。
 

RE:残念

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年11月 8日(火)23時40分9秒
返信・引用
  花縒りご主人 それはちょっと違うと思います。
学友は皆古田くんの身になってその辛さが分かるからこそどんな言葉も発することができなかった、そして未だにできないのだと思います。
少なくとも私はそうです。他の諸氏も多分お庭にやってきてもキーボードのどこを押そうか逡巡した挙句結局無言で閉じるしかなかったのだと思います。
お庭が寂しくたっていいじゃないですか?古田くんだって辛いのに一生懸命礼を尽くそうと敢えてお庭にきてくれた。お庭の存在価値は充分あると思います。
こんな具合に書き込みできるきっかけを作ってくれた団子屋ご主人には感謝してます。
(でもまだ 古田君にはかけられる言葉がありません、ごめんなさい。)

 

残念

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年11月 8日(火)17時21分9秒
返信・引用
  お庭には戻らないと言っていた古田君がせっかく書き込んでくれたのに、だあーーれも反応しない。一言も書かない。 みんな何なんだろね?
もうお庭はいらないということなんだろうか?
 

そうなんですよね

 投稿者:まさを  投稿日:2016年11月 7日(月)03時24分15秒
返信・引用
  あの人「俺にできるのだから誰にでもできる」とお気楽に考えているんじゃないかと思う。  

で、まさをくん

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年11月 6日(日)18時32分18秒
返信・引用
  遅くなりました。返事をしないでいると・・・周りの人からもクレームが来る。。。

「子供の頃から、エースで4番♪」と言う歌を高校野球の応援団がよく唄う。
各選手にそれぞれの応援歌があるが(プロ野球でも同じだが)この応援歌を授かる選手はそうはいない。25年前の松商学園のエース「上田佳範」がこの応援歌だった。
ずば抜けた運動神経を持っていると、投げても打っても人並み以上になれるのだろうか。
甲子園を見ていると、かなり大勢の「エースで4番」が見受けられる。
でも、プロの世界に入ると、ほとんどは投手専門になる。数年やって投手で芽が出ないと野手に転向する。(その逆を行った選手はおそらくいないと思う。)つまり投手として一流になるということは凄いことだと。。。

件の大谷翔平くんだが、、、超絶ですね。
まず、フェースが良い(橋本マナミに似ているのが一番!余談だが橋本マナミ大好き。)アスリート面してないのが良いね。
(二刀流・・・やりたいのだから仕方がないが、、、)早く170kに到達してほしい。その意味で投手に専念してほしいのだが。。。松坂時代に150k越えで大騒ぎをしていたことが隔世の感がする。やはり超絶。でも素直すぎるのかね。糸井に165kをクリーンヒットされるあたりは。150kちょい超えで掠らせもしなかった「大魔神佐々木」は今更ながら『大魔神』だった!
まとまらないけど・・・「快刀乱麻」を期待。
 

で、潔くん

 投稿者:まさを  投稿日:2016年11月 2日(水)04時48分5秒
返信・引用
  話は大谷翔平についてだが、球速165km/hを出して、ホームラン22本。
素人目にも凄ぇと思うが一体どれくらい凄いの?

野球解説者の金村が「漫画を越えている」とか言っていたが、大リーグボールを投げる星飛ゆう馬(巨人の星)だって、肩に負荷かけて鍛えて涙ぐましい努力の末の剛速球ピッチャー。でも彼はホームランバッターではない。

しかも大谷君、まあまあハンサム。動画での振舞いを見る限り性格もよさそう。
「天は2物を与えず」(多分キリスト教に由来すると思われるが、確証はない)ということわざがあるが、真っ赤な嘘ですね。

四字熟語で言えば、空前絶後、驚天動地でしょうか。

多分彼(やイチロー)は、やってできたんだから周りが騒ぐほど凄いとは思っていないんだろうと思う。それにたかが野球という言い方もできる。人類の苦悩(?)を救うような宗教を創始したことや、真理を明かす大哲学を打ち立てたのでもない。人類に役立つ大発見をした訳でもない。

でも凄いよなあ。彼が球速170km/hを出したところで俺の人生には何の関係もないが、怖いもの見たさのような心理か、見たいよね。
 

お礼

 投稿者:ふるた  投稿日:2016年10月29日(土)09時15分30秒
返信・引用
  家内の生前中お世話になった皆様に心よりお礼申し上げます

経緯を簡単に
6月頃から微熱と咳。孫の風邪が伝染ったと思い医院を受診。抗生物質を飲むも改善せず、腹水も貯留して来たため信大病院で精密検査。
9月1日に診断が確定。 子宮体がんステージ4b 肺,リンパ、腹膜への転移。 手の施しようの無い最悪の結果。
9月7日に転院し、緩和療養に入る。
10月16日 逝去
最後の一ヶ月間病院に泊まり込み、看取りました。
療養中は痛みや苦しみの無かった静かな最後でした。

喪失感 悲しみは辛い
 

場所は

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月29日(土)04時42分57秒
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  場所は下社御柱街道沿い蝶ヶ沢発電所下の川の中  

Re:第二の石仏

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年10月28日(金)10時30分8秒
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  何処にあるんですか?
興味あるな~!
 

第二の石仏

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月27日(木)10時48分23秒
返信・引用
  なんか沈滞気味なので…

最近下諏訪の山の中に第二の(万治の)石仏があるという情報を得た。
これは一度行ってみなければ。
 

お悔み

 投稿者:二代管理人  投稿日:2016年10月18日(火)12時08分13秒
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  悲しい知らせですね。心より哀悼の意を表します。
言葉もありません・・・。
 

訃報

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月17日(月)17時26分44秒
返信・引用
  独断で書き込むので、余分なことしてと怒られるかもしれないが、新聞にも出るだろうし、そのうちわかってしまうことだと思うので報告します。
昨日古田君の奥様が亡くなりました。まだ若いのにかわいそうです。古田君相当落ち込んでいます。
 

7年に一度それとも6年に一度?

 投稿者:まさを  投稿日:2016年10月16日(日)07時02分31秒
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  義母に「御柱際というのは7年に一度行われる聖なる祭りです」と諏訪根性丸出しで言った。あんた馬鹿じゃないの、6年に一遍でしょ。そう言われれば確かにその通り。

子どもの頃親が「あの子は満何歳、数えでは何歳」という言い方がちょっと不思議だった。

それは多分、0を数えるか数えないかであろう。俺は1950年生まれだ。1956年のとき6歳とするか7歳とするかは定義による。生まれた瞬間を0と置くか1と置くかは恣意的である。我々は0を当然とするインド文化(それが伝播したヨーロッパ文化)に慣れ切っている。が故に生まれてから1年未満の子は0歳児だと思う。論理的整合性はある。

でもさあ、ここに実際に子がいるんだぜ。存在することを以って0(=無)とするのはおかしかねえか、というのが他方の言い分である。存在するからには1だろう。

何年に一度という意味では、義母(東京生まれ東京育ちだが、元を辿れば諏訪とも関係があるらしいが)の言うことは正しい。しかしその「何年」を数えるのに御柱があった寅年を0とするか1とするかは恣意的である。

大袈裟だが、そんな平凡な出来事の中にも何やら形而上学的出来事(実は訳の分からないこと)が露呈しているのだ。
 

余り1って

 投稿者:まさを  投稿日:2016年10月16日(日)03時43分50秒
返信・引用
  発想が凄い。天才はもた。

最初に余りの重要性に気づいたのは、近代整数論の祖(とか固い表現ごめん)フェルマー
だった。彼が、4で割ったら1余る素数と3余る素数の違いに初めて気づきそこから(つまり余りから)すべては始まった。

歴史上最大の数学者とも言われる人に、ガウスという人がいる。こいつ18歳のときに平方剰余相互法則第一補充則の発見・証明(厳しい名前で何だか怒られているみたいですが、多分高校生でも理解できる)して、言語学者になるか迷っていたが数学者になることに決めたという。-1は4で割ったら1余る素数の平方剰余になるって話なんだが、フェルマーの「4で割ったら1余る素数は2個の平方数の和になる」という言明がなかったら、ガウスの(いかに大天才といえど)発想そのものはあり得なかった。

その後ガウスは合同式なるものを考える。3日が日曜だとすると、3+7=10も日曜だ。(多分小学生も理解すると思う)7で割った余りの等しい数を同一視してしまうのだ。実は誰もやっていることなんだけど、それを意識的に取り出し数学の対象にしてしまうなんて、ガウスは何て奴だ(それ以前にオイラーが気づいてはいるが) 要するに群論的思考、古代からの数学が更なる抽象化を遂げた歴史的出来事です。

だがねガウス君、君だってフェルマー師がいなければそんなこと(たかが割り算の余りだ)思いつかなかっただろ。
 

松枯れ

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年10月15日(土)19時34分0秒
返信・引用
  そう、ぎいっつぁ 長野に行く都度 写真を撮るが・・・うまく写らないので(義国くんに同行してもらうかな。)しばらくパスしていたが・・・あまりに酷い。
自然豊かな信州なんてフレーズ使うんじゃない!
森林税も徴取されてるよね。ひとり500円と企業から均等割りの5%
平成23年度で6億5千万円ほど。(県HP参照)
額の多寡ではない。行政の稚拙さに腹が立つ。
本当に切ない。
 

計算が出来ないので・・・

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年10月15日(土)19時14分11秒
返信・引用 編集済
  はもたさん、久しぶり!
(松林学級出身なのにどうしてこんなに差がついちゃったの?)
(楽屋ネタですね。。。皆さんにはわかんねーだろうが)

そこで僕なりに調べました。超アナログな方法ですが、、、電子カレンダーで
2022年の10月を出してみたら・・・なんと! 823年も必要なかった。
恥ずかしいですね。(団子やにも昨日笑われたが)
まさをくんから、クレームが来なかったので・・・良かった。

6年後ですか。。。貫一お宮みたい。(笑)
 

Re:キノコ豊作

 投稿者:はもた  投稿日:2016年10月15日(土)17時36分40秒
返信・引用 編集済
  遅ればせに、今度10月22日が土曜日になる年を考えてみました。
1年365日を7で割ると余り1。1年に曜日が、一つずつずれていくことになります。
来年2017年は日曜日、次の年は月曜日、2019年は火曜日、うるう年の2020年は2つずれて木曜日、2021年は金曜日、そして2022年は、問題の土曜日です。
そんなこと、わかっていたよという声が聞こえそう。
潔くん、お金があっても、なくっても6年後の10月は、くるみでお茶しましょう!!
 

遅い!

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年10月14日(金)19時42分18秒
返信・引用
  先日の信濃毎日新聞にこんな記事。
ひどくなってから手をつければ格段に高上がり、行政のやることは遅すぎ。
 

ホントだ。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年10月10日(月)08時19分45秒
返信・引用
  でも、お金が舞い込んでくる事を期待して…石のお店で『水晶』買ったりしてんだけどな。
欲深いと効能がないのかもね。
 

823年

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月 9日(日)17時27分6秒
返信・引用
  そんな馬鹿な、と思って調べてみたら、やっぱりデマのようだね。  

Re :キノコ大豊作

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月 9日(日)13時23分50秒
返信・引用
  えっ? GF知らない?
グリーンファームって都会の人の間でも結構知られているんだけど・・・
 

キノコ豊作

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年10月 9日(日)12時09分22秒
返信・引用
  伊那のGFって何なの?

そう言えば、機関長のとこの息子の嫁さんが、初めての山行きで『松茸』ゲットしたってさ。
実家に送ったとか…(僕には誰も送ってくれない。機関長が昨年の冷凍物を1本くれたのだが、、、)

全く別の話ですが…今年2016年の10月は土曜日、日曜日、月曜日がそれぞれ5日あります。
これは823年に一度しかないそうです。これはお金の袋と呼ばれ、この事を少なくとも5人以上の人に伝えると
4日以内にお金が舞い込んでくると言われています。風水の謂れだそうです。

5人読んでるかな~?
読んだ人、反応して!
 

きのこが不作?

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年10月 8日(土)17時29分59秒
返信・引用
  今年のキノコは大豊作だよ。ただジコボウだけは全国的に大凶作。
俺は一度だけビク一杯弱採ったけれど、北海道なんて全く採れないらしい。
それ以外のキノコはほぼすべて大豊作で、マツタケなんか生まれて初めて採りました、なんて奴がいっぱいいるし、伊那のGFなんか山積みになっている。
こんな年はちょっと聞いたことがない。
仕事もなく家でぶらぶらしている皆さんはキノコデビューの絶好のチャンスですよ。
でも今年は熊も多いから、その辺の対策をとって山に入らないと危ないよ。
 

神話的人物を祀るのか、

 投稿者:まさを  投稿日:2016年10月 6日(木)06時40分33秒
返信・引用
  歴史的人物を祀るのか、自然物(守屋山)を祀っているのか。
博多天満宮では「菅原道真」という歴史的人物が、明治神宮では明治天皇という歴史的(実在の)人物が祀られている。

伊勢神宮はアマテラスだっけ、それとも天智天皇だっけ? 諏訪大社は「タケミナカタの命」だっけ、それとも「守屋山」だっけ?

こんな風に神話と現実とを平気で混交して、あろうことかそれを祭りに表現している。
例えばキリスト教のクリスマスを見よ。あれは一応イエスが実在したという前提の祭りだ。実在というのは多分人間としてということだ。彼は多分苦しみも悲しみもしたであろう。それをキリスト教は、彼(イエス・キリスト)は神であり且つ人間であるという奇妙な概念を創出することで回避してしまったのだ。

日本人はまた、神であるものが神話的存在であるか実在的な人物であるか、はたまた自然物(人物ではない)であることをぼかすことによって、最終の真理を誤魔化しているのだ。「誤魔化す」というと御幣があるかもしれない。

誤魔化すと言うと御幣があるかもしれない。だってそうでしょ。世界に始まりがあるかなんて誰も言えないでしょ。「始まり」という概念は誰もがこの世界に生きて覚えた概念であり、学級会だの運動会だのオリンピックだのには全て「始まり」があった。でもそれは世界の内部の出来事であって、世界そのものに対する言及ではない。

ちょっと疲れた。いつもながらの屁理屈のオンパレード、済みません。
 

御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年10月 4日(火)01時26分45秒
返信・引用
  この前の日曜日、八剱神社の正遷座祭があって八剱神社の御柱が終わった。

八剱は御柱の前に、正殿にあるご神体を脇の仮殿に遷座する仮遷座祭を行う。
そして四方に御柱を建てるとともに、正殿・仮殿にある千木(屋根の両側にある×字状の木)のみを付け替える。

御柱の起源や理由は諸説あるが、八剱の形態を見ると正殿の建て替えが簡略したものと考えられる。

因みにご神体は御柱毎に錦の袋が新調され上に重ねられる。遷座中は平伏をし見てはいけないが、チラ見すると相当な大きさになっている。
宮司と大総代がかなり苦労して移していた。中身は宮司も知らない。
まだまだ御柱は続く・・。

関係ないが、当日知人からジコボウをもらって早速キノコ汁にして食した。初物である。
今年はキノコが不作のようだ。
 

そうなんですね

 投稿者:まさを  投稿日:2016年10月 3日(月)03時54分56秒
返信・引用
  我ら人間は、人間のことを語る際、人間は人間のことしか語らない。宇宙の果てとかITの発達によってロボットも意識を持ち得るのではないか。結局語っているのは「人間とは何か」ということである。

あの天才的物理学者ホーキングも語っている。人間はITに占領される。でもITが「意志」を持ちうるのか。

だから問われているのは、意志とは何かということなんだよね、俺は右手を上げたいと思ってあげた。何故そう思ったのだいと問われても答えることはできない。

人間は意志することはできるが、意志を意志することはできない。

俺はあのかわいい子ちゃんとめくるめくマ○コをしたいと思うことはできるが、あの子とマ○コしたいと意志することを意志することができるのか?

意志というのはどこで発動しているのか? その「どこ」が分かればそれが「俺」の正体であろうが、でもそれがどこかは分からない。
 

RE:諏訪

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 9月29日(木)14時38分26秒
返信・引用
  稲作をベースにした神事が目立つ天皇家やそれに追随する神社の神事と比べると、諏訪大社のそれも
上社、前宮の神事は異様だ。下社は上社よりずっと後から建てられている(らしい)から
神事も祭り全体も全く異なる。
諏訪はひとつと言うけれど、御柱を見ていると諏訪は二つに思える。
御柱はまだ続くけど、そんなことばかりしていられない。次はきのこだ。
 

御柱とは何か、諏訪とは何か?

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 9月29日(木)05時11分31秒
返信・引用
  ギイーちゃんが言ったように、これには答はない。祭儀のあり方が類例がない。

タケミナカタを祀るかと思いきや、更に古層に遡って「ミシャグチ」をも祀っている。

古代の政治的闘争に於いて、機内の豪族一族(天皇様さまの一族)に叛旗を翻しているのが、御柱祭であり、諏訪の心意気ではないか。

俺は、諏訪といえるか言えないかの川岸で育ち、しかも親父の出は小野で諏訪の外だ。そんな俺は諏訪に親近感がある。

御柱祭以外の祭りは全て、天皇制に則った祭りである。御柱祭だけが一人天皇制に異を唱えているのだ。(こう言ったからといって、まさをは右翼だの左翼だの言わないで欲しい)

諏訪(という地域)とか御柱祭というのは、実に謎に包まれている。日本歴史(文字で記述される以前の)の枢要なことを語っているように思う。
 

八剱御柱

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 9月19日(月)18時54分26秒
返信・引用
  18日八剱神社の御柱山出しがあった。二葉上の野球グランド近くに朝5時30分に集合。

霧ヶ峰線を下り、昼前には2本が真澄前で国道横断、その後各地区を曳行。
他の2本はトラックに乗せ、担当地区の端まで運び地区内を曳行。

高島城に向かう道で徐々に合流。高島城曳付けは、予定通り夜10時。
あの雨の中を・・・。
楽しかったがきつい。今日は疲れ切って何もする気がしない。

25日は里曳き、八剱曳付けは夜10時頃の予定。
27日は建御柱。息子が乗る予定なので見守らないと・・。

11月13日の小松巻きの御柱まで続く。確かに奇妙だ。
 

RE:思う

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 9月14日(水)21時43分34秒
返信・引用
  御柱は奇妙さの塊みたいなものですね。何を話しても正解はなさそう。どんなに負担がきつかろうと誰も止めようとは言わない(言えない)そこが面白い。
小宮の御柱は最終の準備と終了後の片付けで前後4日間早朝から夜まで出ずっぱり。
忘れていたけど来週は金刀比羅神社もあった。奇妙な祭りと言うより『異常な祭り』です。
 

で、思う

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 9月14日(水)07時47分28秒
返信・引用
  御柱って変ですよ。こんなに長い間続ける祭りなんて世界広しといえどどこにもない。
京都の祇園祭り、だんじり祭り、ねぶた、キリスト教のクリスマス、感謝祭、過ぎ越しの祭り、(個人化された祭りである、結婚式。葬式)・・新年の寿ぎ、或いは未開民族の成年式、或いは祭りの資本主義形態である、各種花火大会、更なる資本主義的形態である、TV局の馬鹿騒ぎ・・愛は地球を救うだのとかの24時間TV・・

どんな祭りであれ、時間的に限局されている。どんなに偉大な人物が亡くなったとしても、我ら人間は葬式(が祭りかどうか異論もあると思うが)を延々と続けることはしない。諏訪湖花火大会(これまたそれを「祭り」とするかはいろいろ意見があろうかと思うが)もまた、期日が限られている。清陵祭という高校生(=ガキ)の(擬似的)祭りでさえそうだ。

人類学に「ハレとケ」という概念がある。一定期間日常秩序をチャラにする。その後また(退屈な)日常に戻る。ハレの日にはかわいいオべべを着る。だがそのオベベで学校の授業には出れないし、市役所の窓口にも立てない。それは期間を厳密に限って許されることだ。

取り敢えずの結論。全ての祭りは必ず期間限定である。普通は年を単位として処理される。1年の中の8/15日だけが諏訪湖花火大会である。つまり、年間を通じて(大きなものから小さなものまでを含めて)祭りが行われるなんてのは、異様なことなのだ。

御柱祭ってそういう意味でとても奇妙な祭りだと思う。
 

まだまだ御柱

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 9月 5日(月)12時06分37秒
返信・引用
  諏訪の御柱は大社の御柱が雪のちらつく早春から 深まる秋の氏神(土橋のとか小池の)の御柱
(お家神)までほぼ年間通じて行われます。
先週は千鹿頭神社(天満宮)の御柱、来週は葛井神社と御射宮司社の御柱、10月にはいって
小池の御柱と続きます。それぞれに会議や打ち合わせ 準備があり とても仕事になりません。
 

RE:ヨカッタヨカッタ

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 9月 5日(月)03時28分56秒
返信・引用
  ほんとにまあ。

御柱、まだあるんですか?

勇壮果敢というかそういうこととは別に、こんなに長期に亘ってなされる祭りというのも類を見ないと思う(世界的にも) 6年に一遍(数え方によっては7年に一遍)だから、他の祭りの7倍くらいやってもいっか。不思議な不思議な祭りですね。

そうだ、思い出した地蔵寺でした。そんな由緒ある寺とは知らなかった。
 

ムー氏元気!

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 9月 2日(金)20時42分30秒
返信・引用
  悪運の強い(?)ムー氏は危ないところからしっかり帰ってきたようです。
ヨカッタヨカッタ!
こちらは来週の御柱本番に向けて忙しい週末になります。
 

地蔵寺

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 9月 2日(金)02時14分46秒
返信・引用 編集済
  我が校と2つの葉っぱ高校の間にあった寺は地蔵寺。地蔵寺は曹洞宗で高島城の鬼門除けの寺。

庭園は日本百庭園のひとつで指定文化財名勝。池には鯉が多くいて、最近は「鯉(恋)の寺」というらしい。

昔、座禅をしたことがあり、そのとき美川憲一が母親の墓参りに来ていた。
さらに昔、清陵生が池の鯉を取り問題になったと聞いたことがあるが・・・。
誰か知っている??
 

いろいろ

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 8月29日(月)04時34分31秒
返信・引用
  ありがと、ギイーっちゃん。俺は中学の修学旅行では京都の庭庭にはろくに何も感じなかったのだけれど、高校に入って我が校と2つの葉っぱ高校の間にあった寺の庭に痛く感動した。イギリス庭園やフランス庭園には殆どなにも感じないのに、日本庭園に何故美しさを感じるのだろう。そんな話をギイーっちゃんとビータラしてみたい。

前回のオリンピック。全然別な観点から。首都高を走る。「何でこんな狭苦しい道路を!」そしてあの頃(敗戦後たった20年程度の時期)ほんとに日本は必死になっていたんだ、後々のことを考えて幅広く余裕を持って造るなどいう発想を持つ余裕もないほど、一生懸命だったんだと思うと、ちょっとうるっとくる。昭和だったんだよな。

あれからムーが登場しないので、ひょっとしたらひょっとしてみたいなことを遠くの方で思っていた。一安心。今更性格など変えなくてもいいよ。
 

近況報告

 投稿者:ムー  投稿日:2016年 8月28日(日)23時43分42秒
返信・引用
  4月の入院の節は、お見舞いのメッセージありがとうございました。

外科的な治療は終了との事、手術の時に切った傷口は完治です。
しかし、3本あるらしい肝臓動脈は止血のために1本は切断したので2本になったらしい。
そのためか少し前に飲酒も許可になったが、前ほど飲めなくなったというか飲みたくなくなった。

後で聞いた話しでは、5リットルくらい出血し血圧は50を切り手足は冷たく紫色になったと。
人間の血液は5リットルくらいなので、ほとんど他人の血に入れ替わっている計算になる。
「死にそうで私も忙しかったからお願い出来なかったけど、もう少し優しい人の血液だけ選んで貰えば良かった。
残念!」
血液を入れ替えても性格は変わらないらしい。


 

Re :東京オリンピック

 投稿者:花縒り主人  投稿日:2016年 8月28日(日)20時32分32秒
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  学校帰りに下諏訪駅前の商工会議所でカラー映像で見たなあ・・・
開会式だったか、何かの競技だったかは覚えていない。
70才かあ・・・
 

東京オリンピック

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年 8月28日(日)18時32分29秒
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  僕にとって、印象深いのは1964年の「東京オリンピック」
確か中学2年だったかな。テレビ桟敷で(電気屋なのに白黒テレビだった。)観戦。
東洋の魔女のバレー、円谷のマラソン、神永が負けた柔道、、、色々な場面が記憶の彼方で。
でも、とりわけ潔少年の胸をかきむしったのが、 べラ・チャスラフスカ 「オリンピックの名花」とたとえられた超絶美人選手。彼女のユニフォームの色が、「スカーレット」と言われたが、白黒テレビではどんな色か想像が出来なかった。
後日、NHKがオープンリールの録音テープを販売した。(30分~60分?)開会式から始まり各競技の実況中継のハイライトが録音(録画ではない)されていた。親に頼んで購入し100回以上は聞いた。ブランデージIOC会長が「東京オリンピックの開会宣言を天皇陛下にお願い申し上げます。」とたどたどしい日本語で言ったのだが、これは今でも真似ができる。(笑)
2020年、元気なら観戦に行くつもり。競技を観たいのではない。56年前の少年の頃の感動に出会うことが出来たらと言う・・・お・も・い。
 

RE:ビータラ

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 8月25日(木)22時24分49秒
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  篝火の会で飲むのは楽しい。人数が多くても少なくても女子が加わっていてもいなくても・・。
世の中の飲み会でそんな風に楽しいものは数少ない。
一番つまらないのはやたらと話を聞いて欲しがる奴(よっぽど話の相手がいないんだろう)
次が場の中心に居たがる奴(これも相手をしてくれる人間がいないんだろう)
篝火の会にはそんなのがいないからいつでも大歓迎。
まさを君!諏訪の秋は小宮のシーズン間近ですよ、飲みに来ませんか?まさを君程度のビータラ
なら皆付き合うよ.
 

酒飲み2

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 8月25日(木)03時57分59秒
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  僕も嫌いではないが弱い。すぐに寝てしまう。
ギイーっちゃんも弱い(或いはそんなに好きではない)と優子さんからお聞きしたことがある。なのに毎回飲兵衛たちの集まりの場になって・・・ 凄い。

別に褒め合い合戦をやっている訳ではないが、潔君も凄い。1滴も飲まないでしょ? なのに飲兵衛に交じってくださる!

喩えて言えば、あの頃(我らが青春時代)お前だけ二葉高校に行くことを許す。行ったとして、俺は恥ずかしさのあまりいたたまれなくなるだろう。(比喩が適切かどうかは自信がない) 飲兵衛の「びーたら」に付き合えるなんて!

いま飲んで書いているが、まだびーたら段階にまでは行っていないので安心して下さい。
 

酒飲み

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 8月25日(木)01時39分37秒
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  私は酒は嫌いではない。否、大好きである。
出来るだけ気持ちのいい酒を飲みたいとは思っている。

そのためには、基本飲む相手を選びたい、出来ないときは面倒な奴から遠ざかる。
それでもそばに寄ってきて話しかけてくる。

前は飲み会の後一人で飲み直しもした。もうそれほどの体力・肝力もない。
楽しい酒を飲む算段をしている。
 

RE:いろんな人たち

 投稿者:ぎいっつぁ  投稿日:2016年 8月23日(火)23時13分37秒
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  いろんな人たちがいるね 同感。
最近やけに気になる連中がいる。所謂 酒飲み。酒飲みっていうのは相手は誰でもいいんだね。
飲むとほぼいつも言い合いになる(罵り合いと言ったほうがいいか?)それも実に下らない事でね。
なのに確実に酒の相手にはなるので、いつも一緒に飲む。会議後などは6割がたの連中(自分も含めて)は一応の区切りが付いたところを見計らって、退散するけど、こういう連中は決まってびーたら飲み続ける。自腹を切らない酒なら相手は誰でもいいのかと思ってたら、自腹切っても
相手をしてくれる人間がいればそれでいいらしい。酒飲みの気持ちははわからん!

 

凄い才能

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 8月23日(火)04時36分42秒
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  塾稼業なんかしていると、たまに凄い才能を持った子に出会う。

英語のリスニングテスト。○×式。彼は放送内容など全く聞かずに、
ひたすら周囲の鉛筆を走らす音に意識を集中。彼曰く「○と×では音が違う。
○はシュだが×はシュシュと音が分かれる」 或いはアイウを記述させる問題では、
アとイとウでは音が微妙に違う、と。

こいつ凄ぇ才能だなと痛く感動したが、そんな才能を伸ばしてあげるよう指導
できなくて残念であった。いろんな子がいるものだ。
 

いろんな人たち

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 8月20日(土)09時33分30秒
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  ケネディは公民権どうたらと、黒人も同じ人間を訴えた。オバマは「核なき世界」を訴えた。どちらも演説のうまさと理想主義で有名である。現実を見よと説くリアリストから言わせれば、彼らの理想など全くもって実現しないではないか。でもそれはいい。いやしくもアメリカ大統領ならば、その程度の大言壮語をすべきなのだ。(詳細略)

翻って我が日本ではどうよ。福沢の演説がそうかもしれない。「天は人の上に人をつくらず・・・」 近場ではどうか。理想の大きさこそ違え、角栄が裏日本も表日本と同じ繁栄を、というヴィジョンを打ち出した。(そして彼も、ケネディやオバマのように演説の天才だった) もちろんケネディの言ったこともオバマの言ったことも角栄の言ったことも、実現にはほど遠い。

長くなるので中略。

オリンピックだって同じなのだ。その実現は難しいとは知りつつ、だからこそ古代に倣ってその期間中こそ恰もそれが実現したかのように過ごそうではないか、というのがクーベルタンの言いたいことではなかったか。

それぞれの物語(マスコミが捏造する)には感動する。女子レスリングの吉田はどうとか、卓球の石川選手がいかに努力したか、体操の内村は如何に重圧に耐えたか、ケンブリッジ飛鳥はどうのこうの、女子バドミントンで金を獲得した何たら選手はかわいいのどうの(おれの個人的感想)

しかし一体人類という人たちはなんのためにこんなことをやっているのか、まあお金なんだろうけど。
 

オリンピック雑感

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 8月19日(金)07時57分37秒
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  昔ほど感動しなくなった。年をとった証拠かもしれない。冥土に近いほど娑婆のことはどうでもよくなる。だからといって一流選手のパフォーマンスは、芸術と同じく鑑賞する価値があると思う。しかし国家が顔を出すと興ざめする。

勿論、僕も普通程度には愛国心はある。でも、どーよ。古代オリンピック精神には、その期間中一切の争いはやめるという思い(=約定=stipulate)があった。古代ギリシャ人は、プラトンのイデア論(イデアなど見れも触れもしないし、時間を超越している)を産み出すほど夢想的な民族だったと言えるが、現実など夢想を導入しない限り説明できないと諦めた(というか達観した)人たちでもあった。現実に平和を実現することの不可能性をよく分かっていた。だからこそオリンピアの期間中こそ、と約定したのだ。

それが、近代オリンピックはどうよ。やれロシアが国を挙げてドーピングをごまかしたのどうの、プーチンは「それは陰謀だの」 やれIOCは判断を丸投げしているだの・・・

プーチンもIOCも報じる日本のマスコミも、1回頭を冷やせ。リオのオリンピックが、テロ対策とやらで厳重に警察やら軍隊やらに守られてしか開催できないのなら、そんなものやめてしまえばいいのだ。

4年後東京オリンピック。どんなVIPが来日しようと、日本政府は一切の警護をやめてみればよい。それが(万一)うまくいったなら、それこそがオリンピック精神だろうから。それが失敗して、例えばクリントン(トランプ?)が暗殺されたとしよう。彼ら個人には申し訳ないが、それは日本の国家的威信を云々する場面ではなく、オリンピア精神の敗北を意味することになろう。そしてオリンピア精神の敗北など、誰もまじめに考えてはいない。
 

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