teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル
    
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


御柱 衣装

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 3月 2日(水)23時13分39秒
返信・引用
  下社は、基本は股引・腹掛け・12枚コハゼの足袋。
上社は、ニッカボッカ・腹掛け・12枚コハゼの足袋。
なんで下が違うのだろう?

前回は、長年愛用し若干くたびれた股引・腹掛けを使った。
今回はさすがに買い換えようと思っている。但し、時間がなくてまだ買っていない。
早く買わないと・・・。

中には、お江戸まで買いに行く人々もいるが、そこまでする気はない。
 
 

流れに添わない話でごめん

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 2月27日(土)05時23分56秒
返信・引用
  言葉の易しさ難しさ。算数を習う小学生は、3+5=5+3 は当たり前だという感覚があると思う。中高に入りそれを「交換法則」とか習う。こんな当たり前のことが「法則」だって!なんだかコケオドシの感じがする。文才のない数学学者(数学者ではない)は、コケオドシだけで記述する教科書を書く。嫌われる。

しかし、まあ中学生も多少は納得してくれるかもしれない。何故なら5-3と3-5は等しくない(順番を交換してはいけない) なるほど、5+3=3+5には「法則」が働いているのだな、と。当たり前なことに法則を見出すことは、実は難しい。交換法則だのいわゆる代数的概念が意識化・定式化されたのはかなり最近のことだ。18~19世紀。

我々は赤ちゃんの頃から、何千回何万回となくジャンプしてその度に地面に落ちた(バッタだってそのことを知っている(体で・本能で) その何でもない経験から、万有引力の法則なるものを抽出するニュートンてやつは、今更俺ごときが言うまでもないが、ホントにホントに凄いやつだ。

更にその先を考えるやつがいる。ジャンプして地面に落ちたのは全て過去の経験だ。過去何億回その種の経験をしたからといって、未来にも成り立つという保証はどこにもない。因果律が正しいという更なる法則はない。ラッセルやウィトゲンシュタインがそんなことを議論していた。カントは、因果とか時空というのは、人間の認識形式に属するものだといった。そしてカントやウィトゲンシュタインの言葉によって何かが解決した訳ではない。謎が深まっただけだ。

「我思う、故に我あり」というデカルトの馬鹿馬鹿しいほど自明な(しかし、考えさせる)言葉について、考えてみる価値はある。
 

Re:御柱 綱打ち

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月25日(木)08時44分23秒
返信・引用
  北真志野地区(湖南)では3月5日、6日に綱打ちを行う。
その前に・・・恐怖の寄付金集め。全戸均等割りに加えて役職分担加算と言う少し理不尽な累進課税方式。
これも先人が編み出した金集めの知恵なのだろうが・・・
「信濃國一之宮」のご威光には逆らえない雰囲気。でも、愉しむからいいか!?
 

御柱 綱打ち

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月24日(水)01時04分51秒
返信・引用
  上社御柱の抽籤式も終わって、上社担当の地区では綱打ちが始まっている。
本一の豊田・四賀、本二の中州・湖南は、だいぶ盛り上がっているようだ。

下社担当の我が上諏訪地区は、綱打ちがすでに終わり若い衆は諸々の練習に励んでいる。

しかし、9月後半に行われる八剱神社御柱(小宮)の綱打ちが、この前の日曜日に早々と行われた。
この綱打ちは各地区が担当の綱をワラから仕上げるので、老若男女、子供まで参加して和気あいあいと行われる。

今回は各地区の様子を見て回ったが、
なんと、今年九十になる我がお袋もチョコンと座ってワラの小束を作っていた。

こうゆうのもいいね。 さあ、楽しみましょ!
 

Re:どうでもいいことだが

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月19日(金)08時27分51秒
返信・引用 編集済
  うん。確かに髭爺の方があっている。

本人にとって、「親父」がいいか「爺」がいいかはあるかもしれない。
でも呼び名は本人が付けるものではないもんね。

髭爺にしようか・・・。
 

どうでもいいことだが

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 2月18日(木)01時56分48秒
返信・引用
  髭爺の方がいい気がする。
あの髭は「親父」を越えて「爺」の貫禄だ。
 

そうだったのか

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月18日(木)00時56分35秒
返信・引用
  16~17日とバタバタしていて、「お庭」に顔を出さなかった。
そのため、ヒゲ親父も見れなかった。残念!

街の電気屋さん、いつか録画を見せてください。
 

訂正。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月16日(火)13時52分13秒
返信・引用
  「ゆうがたGET!」はテレビ信州です。本日15:50分から放映です。
取りあえず、、、街のでんきやさんに録画を依頼しましたので「安心して下さい。」

ヒゲ親父は、盛んに照れてます。(子供みたい)
 

緊急連絡です

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月16日(火)12時56分38秒
返信・引用
  本日、SBCテレビ「夕がたゲット」とかいう番組で『くるみ』が映ります。
ヒゲ親父もギターをかかえて唄ってる予告編を見ましたから‥
是非、録画して下さい。酒の肴にしましょうね。
 

長嶋茂雄・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月15日(月)21時47分27秒
返信・引用 編集済
  ここで、返事をするのも変だけど、、、許してね。

清原の事でコメントを求めるマスコミに沈黙を貫いているそうだ。
王さん、野村さん、、、大勢の野球関係者がそれぞれにコメントを発する中で
ノーコメントを貫いているそうだ。
心底、悲しいんでしょうね。

ところで、、、本日は御柱の「抽籤会」
悦ちゃんのところが(豊田・四賀地区)「本一」を、僕のところが(中洲・湖南地区)「本二」の柱を戴いた。諏訪の衆の盛り上がりはかなりのものだ。
気の毒なのは・・・(書かないでおこう。)

 

下社と上社

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 2月15日(月)05時43分2秒
返信・引用
  で祭られてる神が微妙に違うという話もあるよね。下社だか上社だか、神話よりも更に古いミシャグチと関係があるとかないとか。更によた話をすれば、上社の聖なる山守屋山、あれ、失われたユダヤ12氏族の一つ「モレヤ」に関係があるとかないとか。

ついでの馬鹿話。小2のとき学芸会で「大国主の命」を演じた(人生で主役を演じた最初で最後のことだった) 命じた先生は小泉先生といい、小泉(悦夫)クンのご近所だった。後で知ったが小泉先生はキリスト者だった。そんな先生が何故キリスト教とは真逆の日本神話をえらんだのか? 漠然と、先生も戦後の時期混乱しておられたと思ってはいるが。
諏訪で祀られているのは、大国主の命の息子である。

神様たちにも、息子・娘などという人間くさい関係があることは不思議な気もする。神なんだから人間世界のことなど超越してくれよ、と言いたくなる。
 

諏訪

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月15日(月)03時56分20秒
返信・引用
  建御名方神(タケミナカタ)の連れ合いの八坂刀売神(ヤサカトメ)について二つの説がある。
出雲から連れてきたという説と諏訪の土着の神の娘という説だ。

私は後者だと信じている。
何故ならば、何をもって諍(いさか)い、何をもって諏訪湖を挟んだ別の場所に住まなければいけなかったのか?

大国主命の国譲り伝説は古事記にあって公の日本書紀にはない。大国主命は、大和朝廷(天皇家)とは対立する地方豪族の象徴だ。
その象徴の息子である建御名方神が諏訪まで来て勢力を築いた。その際、諏訪土着の守矢一族等を配下に従えた。

今の古代史では、大和朝廷を中心とする西の文化・文明の記録のみがあって、東の文化・文明は全くない、謂わば、抹殺されている。
私は、諏訪は古代の東の文化・文明を象徴していると信じている。
 

上社御柱お宿

 投稿者:二代管理人  投稿日:2016年 2月14日(日)19時48分39秒
返信・引用
  上社御柱のお宿主こと、「ぎいっつぁ」より以下の連絡をいただきました。
転記させていただきます。

2月15日に上社御柱の抽籤式です。その日各御柱の担当地区が決まります。
その後、各区において休憩所の設定や寄付金集め(ない区もあり)等慌ただしく準備が本格的に始まります。
お宿は里曳きの際ですが木落とし・川越しなどの見所は山出しの中で行われます。
日程等は既にネットでも確認できますが、山出しに来られるときでも遠慮なくお寄りください。
木落としや川越し現場まで徒歩でも充分な距離です。

なお、上社は4月2日(土)~4日(月)が山出し、5月3日(火)~5日(木)が里曳きです。
御柱や地区のお役でお忙しい中、感謝・感謝です。
甘えさせていただきましょう・・。
 

Re:ワカサギ釣りのビニールハウス

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月13日(土)21時06分14秒
返信・引用
  うん、うちのかみさんも言っていた。職場が下諏訪なのでほぼ毎日、諏訪湖を眺めながらの運転になる。
曰く「あれ、駄目だえ。」と・・・

水温、、、そうだよね。たとえ最初は温かくてもすぐに冷えるもんね。牛正あたりにでも聞いてみるか・・・?
 

諏訪湖・・・

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月13日(土)20時16分2秒
返信・引用
  終末処理場を見学したことがある。
確かに、処理され浄化された水は菅で釜口水門近くに送られそこから天竜川方向に流される。
水はきれいなので残存成分の問題ではなく、感覚的なものかなと思っている。

菅は確か諏訪湖の真ん中を湖底に沿って設けられている。水量もそれほど多くない。
放出口では、菅を流れてきた水の温度は周囲の水温に近くなるはずである。

影響はないとは言わないが、あれほど顕著な違いを生じさせるものではないと思う。

大きな声では言えないが、「神渡」に影響を与えているのかなと思うものが他にある。
湖上にあるワカサギ釣りのビニールハウスにお客様を送るため、常時氷を割って船の通路を確保している。
こればかりはダメだとは言えないもんね・・。
 

岡谷の巨匠の見解は

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月12日(金)08時26分59秒
返信・引用
  結構、単純なものでしたよ。

終末処理場で処理した水を、パイプラインで釜口水門まで搬送しているから水温の上昇があると。。。

さて、孝一郎見解は?
 

なるほど

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月12日(金)01時28分37秒
返信・引用 編集済
   「小説家 見てきたような 嘘をつき」

小説家の宿命だとある人気作家が言ってたような気がする。自分の言いたいことを言うためには必要かもしれない。
それを気づかせないことはひとつの才能だろうね。

でも、それに気づく中学生もすごい。疑問を持つことが大事だろうね。

元に戻って、湖に氷ができる場合は「逆対流現象」が起きる。
水は4℃のときに比重が1となる。それより低い場合は比重が小さくなり凝固点0℃近くの水が水面に集まる。
そのとき、氷点下以下の外気温や潜熱放出が促進される適度な風があると、湖は水面から凍り始める。
このとき、水深、水の流れ、水面状態、地熱等が微妙に関係する。

融ける場合は、氷の厚さを基準として、水の流れ・水深や地熱による水中温度分布・日光等外気温が影響する。
湊側の水深や水の流れはどうなっているのだろう。
 

走れよな メロス

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 2月11日(木)05時47分40秒
返信・引用
  以前ネットで、中学生がアップしたのを読んだことがあった。彼曰く「メロスは走っていない」 彼の村からシラクサ(地中海に浮かぶシチリア島の都市だ)まではおよそ40km。

彼メロスは薄明に家を出る。遅くとも6時頃だろう。小降りの雨の中、昼頃川につく。そこまで半分ほど来たとある。つまりは6時間で20kmである。メロス 全然走っていないじゃん。

増水した川を泳ぎ渡るのに悪戦苦闘した。だが波も穏やかな地中海の島にあって、急峻な山もない河川が急激に増水するなんてことがあるのだろうか。

次にメロスは山賊に襲われる。川を泳ぎ渡るのに1時間、山賊との闘いに1時間(両者とも最大に見積もっている。いかに増水したといっても泳ぎ渡るのに1時間も掛かる川がシチリア島に有り得るのか?)さらに休憩1時間。日没が6時として、彼は3時間で20kmを走ればよかった。時速6km強だから、せいぜい速足程度だ。

太宰の「家族の食卓を蹴散らかし」という描写にも関わらず、メロスは驚くべきことに殆ど走っていない!

人間失格など人間に不信感を抱いていた太宰が、どうにか人間を信じたいという希求を込めて描いた作品だろうが、だったらメロス、走れよな。
 

そっか

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月 7日(日)22時33分59秒
返信・引用
  孝一郎くん、さすがですね。
岡谷の72回生は・・・まったく違う見解でしたが。。。
でも、何となく納得。
他の人の見解も聞きたいな。
悦夫くんや学友会長、、、何処へ行っちまったんだろう。
 

諏訪湖の氷

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月 7日(日)11時30分9秒
返信・引用
  一般に諏訪側、特にさざなみロード側の方が氷は厚いです。しかし氷はあまりきれいではありません。
一方、岡谷湊方面は氷がきれいですが薄い場合が多いです。拝観式の時、小坂田神社下は氷上に出る人数を制限する場合があります。

その原因の一つは塩嶺おろしだと考えています。

一旦結氷した後、氷がゆるんだり分離したりすると塩嶺おろしによって、氷が諏訪側に流されます。
諏訪側に流された氷は密集状態になり、次の寒さで再び凍ります。
そのため、諏訪側の氷はしかっりしていると思っています。釜穴は多いですが・・。

他にも原因があるかと思います。教えてください。
 

今日の諏訪湖

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月 6日(土)23時14分55秒
返信・引用
  湖南から湊経由で岡谷に行った。石舟戸あたりから、釜口水門まで氷が融けていた。
残念な気分だが、、、ふと疑問。「なんで湊側だけ融けるのかな?下諏訪側の方が日射時間が長いのに・・・?」などと・・・
岡谷の理工系の72回生の所にあがりこんで雑談。ついでに先程の質問をぶつけた。彼から「それは、%$&#!”=~*だからだ。」と回答らしきものを聞いたが・・・「なるほど~!(ホントけ~?)」
Yahoo知恵袋に書きこむほどのことではないが、72回生知恵袋で諸説聞かせてよ。
 

諏訪湖が・・う~ん

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月 4日(木)22時22分19秒
返信・引用
  八剱神社の神渡合同監視が終わったようだ。これからは渋崎の監視総代がしばらく見守る。

明治時代は2月下旬に神渡出現があったようだが、近年で最も遅い神渡は確か2月11日頃・・。
-10度以下が3日位続けば分からないが・・・。

後は、「明けのうみ」として神渡帳に記載され、上社で「神渡注進奉告式」を行う。
神渡帳は、「明けのうみ」でもその年の気候、作物のでき、事件、世相を記して総代全員が実印を押す。
これは神社庁を経由して宮内庁にも報告される。連綿と続く儀式である。

「会う会わぬ ほっておいてね 神の恋」(日本人はゴシップが・・・)
 

だめかな~

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 2月 3日(水)22時18分28秒
返信・引用
  でも、、、見たいよね、神の恋路を。
明朝は-9度の予想だけれど。あれ?孝一郎っぽくなってきた。(笑)
 

諏訪湖が・・・

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 2月 2日(火)00時26分59秒
返信・引用
  湿った雪に覆われた氷はそれなりに残っているが、諏訪湖の岸周辺は波立っている。
明日の朝は-6度位の予想、厳しいか?

「会えぬなら 土着の神と 懇(ねんご)ろに」(八坂刀売神よ・・古代史が・・)

 

諏訪湖の思い出

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 1月31日(日)02時49分0秒
返信・引用
  中学担任。「昔もぐって魚を捕った」「昔は氷の上に戦車が乗った」 中学教頭「子供の頃お神渡りの大音響を聞いた」(諏訪市ご出身の方らしかった)

海に面した地方出身のやつに(俺はどこで覚えたかしらぬが)した話。
「信州には海がない。その信州で塩尻峠を越えてきた親子がいた。息子は諏訪湖を見て感動し、『父ちゃん、これが海っていうのかえ?』 『馬鹿こけ、海っていうのはなあ、この5倍はあるぞ』」

諏訪湖浚渫会社でバイトしたことがあった。浚渫なんかしたって諏訪湖氾濫には関係ないと思ったが言えなかった。その会社に観光ボート部門があった。その所長がやくざ上がりのひとで、僕が観光客のボートを横付けするのに戸惑っていると、「おざわくん、そんなお姫様がマ○コいじるような手つきじゃだめだよ」と言われた。

いたくその表現が気に入った。爾来俺は、何だか知識人を気取りたいやつが何か言う度に「それって姫マ○じゃん」と思うようになった。

上諏訪から下諏訪ににかけての車窓から、小さな波のすべてに日の光が反射しギラギラ目に突き刺さってくるのに訳もなく感動し、危く泣きそうになった。

我らが小泉えっちゃんの作品に、もう氷が緩んでちぎれた断片に乗って筏遊びをした記述がある。

すでに東京人となってしまった俺も、帰郷する度次の岡谷インターで降りるのに諏訪湖サービスエリアに寄り、眼下に諏訪湖を眺めては感慨(具にもつかないだろうが)にふける。

昭和を代表する作家の一人中上健次は、ババアたちを聖地巡りに連れ出した青年をして、諏訪湖っぱたの駐車場にトラックを停めている。高速道などという現代をたどりながら、あいつは古代の道筋・交流に思いを馳せているのだ。古井由吉という作家は「辻」という標題で、個人の一生というよりも「辻」に行き交う人を描くことによって、人間というのは情景・構造・時代の語りに翻弄されるということを、実に巧みに描いている。
 

諏訪湖・・自転車

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月30日(土)22時34分29秒
返信・引用 編集済
  今の「神渡」の監視は、1つの「神渡」に対して神が諏訪湖に下りる下座(くだりまし)と諏訪湖から上がる上座(あがりまし)の二か所を確認する。
中心部は、立石展望台等の高台から双眼鏡で確認する。

我々が総代だったとき、できたか否かのチェック時に元の総代の一人が軽トラに自転車を積んできた。
神社の行事で何かあったらまずいので容認しなかったが、本人は「神渡」の先がどうしても見たかったらしく、我々とは別に自転車で氷上を走り出した。

しばらく走って、やっぱ不安になったらしく戻ってきた。でも、滑らずに気持ち良さげに走ってた。

 「神をまね 諏訪湖走るも 誰ぞまつ」(・・死神?)

ちなみに、宮司および八剱関係者は「御神渡」ではなく「神渡」というようにしている。
「神」はそもそも敬称なので「御」を付けるのはおかしいということだ。「御神渡」が一般的だけれど・・。
 

自転車通学の話は・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 1月30日(土)21時41分16秒
返信・引用
  聞いた事が有るような、無いような・・・
清陵時代に1度だけスケートのクラスマッチをやったよね。
やたらと、茅野・富士見勢が強かった。特に1部の長田くんの滑りと言ったら、、、
全日本レベルと言っても過言じゃなかったよね。(昭くんも言ってたな。)
夏の運動会では、「こっけか」がユニークだったように、氷上の「下駄」あるいは「裸足」が愉快だった。
よくぞ思いついたものだ! 今時の高校生じゃ出てこない発想だね。
あ、そうそう、「自転車」って競技も有ったっけ? 氷の上で自転車に乗った記憶があるんだが・・・誰か覚えてる?
 

諏訪湖が・・・雨だ

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月29日(金)22時53分33秒
返信・引用
  諏訪は、1日雨雨!

昼過ぎに諏訪湖近くに行ってみた。さざなみ道路や西街道沿いは氷が張っていたが中央部はだいぶ融けてしまっただろう。
来週は寒くなるという。最後のチャンスだろうね。

広重・英泉の木曽街道六十九次旅景色の中に塩尻峠から冬の諏訪湖を見た浮世絵がある。
人や馬が諏訪湖の氷の上を渡っている様子が描かれている。
明治から昭和にかけては、戦車が通ったり飛行機が着氷した写真も残っている。

今は無理だけど、昔は重要なの旅道だったようだ。

我々の時も、氷の上を自転車で通学した猛者がいたとの話を聞いたことがある。
誰か知っている??

 「誰しもが 通ってみたき 諏訪湖みち」(近道だもんね)
 

諏訪湖が凍った(番外)

 投稿者:まさを  投稿日:2016年 1月29日(金)02時39分16秒
返信・引用
  法事の席で和尚さん、「昔は10なんkmも雪道を(長野)市内の高校へ通ったもんです」とかちょっとドヤ顔をされたので(もちろん謙虚そうでよさげなお坊さんです)

負けじ魂が頭を擡げ、「雪道でも所詮地面の上でしょう。私は諏訪地方出身ですが、諏訪市の対岸から通った連中は冬になると諏訪湖の氷の上を通うんです。氷の薄いところを踏んで、3年に一人くらい死んでましたよ」とか法螺を吹いておいた。

夏は泳いで・・・と尾鰭をつけたかったがさすがにやめた。
 

諏訪湖が凍った(その3)

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月29日(金)00時43分32秒
返信・引用
  昔は氷の上を歩くのに長靴にわら縄を巻きました。今は文明の利器があります。

ゴム製の輪で中央部に異形のゴム板が架け渡され、ゴム板の1つの面に昔懐かしのスパイクタイヤの鋲らしきものが付いています。
輪の一方の部分を防寒靴のつま先に引っ掛けて引っ張りながら他方の部分をかかとに掛けます。

すると、靴の底に鋲が5つ位突出しますので、滑らずに早歩きは十分にできます。
我々が総代だった頃、誰かが使っていて大流行しました。

でも、タケミナカタノミコトはどうやってヤサカトメノミコトの所まで通ったんだろうね?

 「氷をも 砕く想いや 恋の路(みち)」
 

諏訪湖が凍った(その2)

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月27日(水)20時11分17秒
返信・引用
  諏訪湖の神渡監視は徐々に沖に出ていきます。

総代の一人は、竹竿に八剱神社の旗を持ち、もう一人は虎ロープを携行します。
釜穴や氷の薄いところがあるので万が一に備えたものです。でも、沖で落ちたとの話は聞きません。

危ないのは岸から氷上に移るときです。隙間や薄い場所があるため、はまってしまった総代や複数の報道の人を知っています。

ご存知だと思いますが、沖にいるとたまにバリッという大きな音がします。
総代たちは蜘蛛の子を散らすように四散します。たまには派手にこける爺さんもいます。

 「氷上で じじ戯(たわむ)れる いと可笑し」
 

諏訪湖が凍った

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月26日(火)20時26分46秒
返信・引用 編集済
  諏訪湖は、この寒さのおかげで昨日今日と全面結氷しています。

八剱神社宮司も急に元気が出てきたようです。彼は手長神社社務所にいることが多いのでいつも上から諏訪湖を見ていると言っていました。

八剱の総代は早朝に舟渡川河口に集まり、氷の厚さを測ります。
氷ヨキ(斧)で三角形の穴を空け、その氷を立てて厚さを測ります。今日は岸近くで5cm位あったようです。
氷がしっかりしていると徐々に沖に出ていきます。

氷斧は、刃の長さが10cm位、丈が40cm位の異形の斧です。やつか漁や氷曳漁の亡くなった今、氷斧は大変貴重なものになっています。
何代か前の総代は氷の下に落としてしまい大騒ぎになりました。
結局、女神さまは出てきませんでしたので、金の斧も手に入らず氷斧も戻ってきませんでした。

 「諏訪のうみ 神の逢瀬に 野暮(ヤボ)は無し」(二年も会ってないから会わせてよ・・)
 

管理人さん

 投稿者:藤森 潔   投稿日:2016年 1月26日(火)19時09分0秒
返信・引用
  諏訪湖、凍ってるけど・・・どうよ?
29日、30日あたり、無情の雨予想だけど。
 

Re: 一茶さん

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月24日(日)10時08分17秒
返信・引用
  > No.7450[元記事へ]

藤森 潔さんへのお返事です。

> 2部ですよ。(8部ではない・・・)

先の藤森君の書き込みには下記になっていましたね。

>  一茶先生、10年ほど・・・もっと前かな? 2部にいた、某女史から聞いた話ですが、

私は「8部」とはどこにも書いて居ませんが・・。
いずれにしても、情報ありがとうございます。

しばらく多忙になるので、また時間のとれる時に、お庭に寄りたいと思います。
 

一茶さん

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 1月24日(日)09時16分46秒
返信・引用
  2部ですよ。(8部ではない・・・)  

Re: そう言えば、、、

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月24日(日)01時51分36秒
返信・引用 編集済
  > No.7446[元記事へ]

藤森 潔さんへのお返事です。

10年ほど前のそのエピソードは・・・あったのでしょうが、多分母校の同期の女性だとは気がつかなかったと思います。その某女史には、大変失礼しました。
世間は狭いもので、比較的近くに、72回生の女性が住んでいます(クラスが違ったこともあり、卒業以来会ったことはないのですが)。その方かも?
その方からは東京近辺の72回生の集いに何度か誘いの案内があるので、今年は時間がとれたら参加したいと思っています。
 

Re: 夜も更けてきた

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月24日(日)01時38分53秒
返信・引用
  > No.7447[元記事へ]

孝一郎さんへのお返事です。

失礼しました。柔道部でしたか。月日の流れを感じます。
今後とも、よろしくお願いします。
 

夜も更けてきた

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月23日(土)23時57分16秒
返信・引用
  一茶先生、すみませんが、私は卓球部ではありませんでした。
1年の時植松君のいた柔道にほんのちょっと顔を出し、後は写真部の暗室にこもりモクを吸い、酒のある時だけ流れ星の観測の真似事をしただけです。
怠惰な生活を送っていました。

この年になり若干時間ができると、昔のことを思い出すことがあります。
御柱のお宿で、きっといろいろな出会いが生まれるでしょうね。皆さん、お会いしましょう。

 「すれちがう ひとに求めし 友の顔」(あれ?あいつは・・・)
 

そう言えば、、、

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 1月23日(土)21時26分2秒
返信・引用
  一茶先生、10年ほど・・・もっと前かな? 2部にいた、某女史から聞いた話ですが、
「潔さんさぁ、私、某病院で診察してもらった時にさぁ、、、『あっ、矢○俊○さんだ~』と思ったら、そうだった。聴診器あてられて・・・恥ずかしかった~。」って言ってた事を思い出しました。記憶ありますか??? その話を聞いた時・・・いろんな想像が、駆け巡り。。。(笑)

甲斐性くん、100名山登頂、、、うまいこと言うね~。彼の場合は、100じゃ足りね~ら。(あくまでも僕の見た彼の行動様式と関わりのある人から聞いたことからの想像ですがね。)最後の人とは、松本のマンションで暮らしていた。葬儀が終わってマンションを訪ねたときに、「あの人の着ていた洋服を、形見としてお持ちください。」と言われたが・・・
切なすぎて、、、いただけなかった。
 

Re: 見ましたよ!

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月23日(土)17時27分26秒
返信・引用 編集済
  > No.7440[元記事へ]

孝一郎さんへのお返事です。

「ヒルナンデス」を楽しんでいただき、嬉しく思います。
小松孝一郎君は、卓球部でしたね。卓球部の皆さん、カッコ良かったですね。余談ながら、私も大学では卓球部に入りました。

藤森君への返信でも書きましたが、あの番組は初めてのTV番組出演で、事前の打ち合わせもなかったこともあり、そうとう緊張していました。堂々たる雰囲気に見えたなら、不幸中の幸いです。

この「お庭」には、長い歴史と試行錯誤の困難な時代があったことを知りました。管理人の皆さん、本当にご苦労さまでした。まだこの部屋の存在を知らない72回生も沢山いると思います。少しでも賑わっていくことを願っています。

なお、ハンドルネームに関しては、ゆっくり考えさせていただきます。

御柱祭は楽しみにしています。

また時間のとれる時に、お庭に寄らせていただきます。
これからもよろしくお願いします。
 

Re: 再び、一茶さんへ

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月23日(土)17時07分15秒
返信・引用
  > No.7439[元記事へ]

藤森 潔さんへのお返事です。

「ヒルナンデス」を観ていただき、ありがとうございます。
初めてのTV番組出演で、かなり緊張しました。今年1月4日に健診の依頼があり、1月7日に現場での録画がありました。TV局担当スタッフや出演者との直接の顔合わせも打ち合わせもなく、当院担当者に簡単な進行予定の話を聞いただけでした。私には、普段の外来の一コマと同じです。それでも撮影の取り直しはなく、1回でOKとなりました。TV番組って、こんな風にしてけっこう成り立っているんですね。
つるのさんや、ダレノガレさん達とは初対面ですが、ごく普通の知人のような感じできさくに話をさせていただきました。いい人達でしたよ。
そうそう、私は・・・運動は・・・「安心してください。しています!」のでご安心を。(バラエティ番組なので、空気を読んだだけです)

ネットの時代なので、あの番組のビデオも、あっというまにYouTubeなどにアップされていて驚きます。TV番組とはいえ、全国の見知らぬ不特定多数の人に思わぬ形でこうして自分のprivacyが自由にさらされるということは、不気味な怖さがあります。

ところで、「お庭」の歴史も、山あり谷ありで、大変なことがいろいろあったんですね。教えていただき、ありがとうございました。関係者の皆さん、ご苦労さまでした。これからも、少しでも多くの72回生に、この部屋の存在が周知され、気軽に近況など聞かせてもらえたら嬉しいと思います。

ハンドルネームに関する沿革もだいたいわかりました。もうしばらく考えさせていただきます。

なお、御柱祭には行くつもりです。楽しみにしています。
 

Re: 甲斐性くん 旧友の昔話を少しばかり。

 投稿者:甲斐性梨雄  投稿日:2016年 1月23日(土)10時45分59秒
返信・引用
  藤森 潔さんへのお返事です。

> 内藤が逝ってもう10年くらい経つのかな。。。
> 癌でこの世を去る数年前から、... 懸命に看病している女性がいた。その人こそが、彼がこの世で最後に愛した人。美しい人だった。いろんな女性遍歴の終着駅であの人に出逢えてきっと幸せだったんだろうなって、、、しみじみ思いました。
> 内藤健吉くん、いい人生だったね。

内藤君情報、どうもありがとう。亡くなったのが10年前とは知らなかった、30とか40とかもっと若い頃の話とばかり思っていた。がっしりとした体格で、「癌」で亡くなったと言うのも何か信じられない。いつもニコニコしていたあの頃の笑顔が今でも浮かんでくる。遅まきながらご冥福をお祈りいたします、合掌。

華麗な女性遍歴、100名山登頂みたいな感じだったのかな? 最後を看取った美人は、奥さんではなかったのか?

あっちこっちうろうろしていたせいで、内藤君のみならず卒業以来殆ど誰にも会っていない。会ったのは、下中同級生の3名、笠原教授、高木教授、「インターニット会長の読書日記」の佐藤君。それに初代管理人の「花縒り団子」主人、「清陵72回生と関係者の皆さんへ」の土橋君ぐらい。いつかはかの有名な「くるみ」にも顔を出してみたい!!
 

中国大陸全土踏破(5)

 投稿者:上海虎  投稿日:2016年 1月22日(金)11時47分37秒
返信・引用
  富士見町の平出 重昭です。「中国大陸全土踏破」に関しまして連絡します。

16.よくある質問
1)奥さんと行かないのーーー
 北京、台湾、香港などには行きました。中国の地方は夜行を含む移動距離が
 長いのと、トイレが汚くドアが無い所がある。

2)中国語はどこでーーー
 1990年代、会社で中国人美人講師から個人レッスン。

3)次はどこへーーー
 インドへ行きたいなー。

4)駐在や留学経験はーーー
 ない。

5)中国人の印象はーーー
 豊かになるため競争に打ち勝つエネルギー。行動がパワフル。

6)女がいるにちがいないーーー
 いません。(笑、笑、笑)もしいるなら東莞や広州、上海などに毎回立ち寄ります。
                                   以 上


 

甲斐性くん 旧友の昔話を少しばかり。

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 1月21日(木)23時42分37秒
返信・引用
  内藤が逝ってもう10年くらい経つのかな。。。
菊池くんのクラスで初めて顔を合わせたのが運のつき。きっと同じ匂いがしていたんだろうね。すぐさま意気投合。3年間は、、、バラ色・・・? 彼が先に逝ってしまったが僕は墓場まで持っていかねばならない話が、いくつかある。(高校生がだぜ!)
お江戸に出た僕らは、益々やりたい放題。浪人のくせしてお互いの下宿を訪ねては、せっせとお遊びにいそしみました。(すべてはおね~ちゃん関係ですが)まっ、彼はそっち関係の豪傑ですね。やることなすこと、けた外れ。語り始めたら一晩中喋ってなくてはならないと思うね。
諏訪に帰ってきてからも・・・ドラマ、ドラマ、ドラマ。仲間内では有名な話の、、、年上の人とのいきさつやら、何やら・・・やっぱり書けね~ゎ。

癌でこの世を去る数年前から、彼のお姉さんと連絡を取り合っていた関係上、最後を看取ることとなった。松本の病院で苦しがっている彼を、懸命に看病している女性がいた。その人こそが、彼がこの世で最後に愛した人。美しい人だった。いろんな女性遍歴の終着駅であの人に出逢えてきっと幸せだったんだろうなって、、、しみじみ思いました。

内藤健吉くん、いい人生だったね。


 

見ましたよ!

 投稿者:孝一郎  投稿日:2016年 1月20日(水)22時58分53秒
返信・引用
  先生、ヒルナンデス、見ましたよ!! 画面から見る堂々たる雰囲気・・・

私は7部でしたし、限定した付き合いしかしていませんでしたので、当時の面影云々は何とも言えません。

でも、いつか酒でも飲みながらじっくりお話ししたいと思いました。
多分、ああぁ~・あんときの君・・・となるかもしれません。また、若干ボケだした私の話も聞いてもらいたいな・・。

御柱のお宿に来てください。これからもよろしく!!

 

再び、一茶さんへ

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2016年 1月20日(水)21時40分56秒
返信・引用 編集済
  >投稿者:孝一郎  投稿日:2014年10月18日(土)11時00分48秒
>私もハンドルネイムを使い分けます。
>HPに関することは「二代管理人」、個人的な内容は「孝一郎」で投稿します。

「ヒルナンデス!」見ましたよ。BLに録画もしました。義母の認知症が結構進んでいるから気になってね。それにしても・・・運動してますか? したい?

冒頭に孝一郎くんの投稿をコピペしました。気を悪くしないでくださいね。

>書き込みの初回に遡って追ってもらえば、誰だかわかります。
とは言え、すでに6834件の書き込みがされています。
2年以上前の自己紹介文を探し当てるのは至難の業だと思いますよ。

僕は、お庭開設以来、「本名フルネーム」を通しています。これは僕自身の個人的戒めです。2チャンネルやYahoo!の掲示板で色々と書き込みをした経験からです。ハンドルネームで書くと、、、人としての自覚・気遣い・気働きが(二代管理人の言葉を引用してすみません)無くなりますね。暴露、中傷・・・オーバートーク。なんでもありになってしまいましたが、それでも不思議と罪悪感が湧かなかった。その、反省も含めて「本名フルネーム」で書いてます。
一茶さん御懸念の「セキュリティー」。これはその通りだと思います。(僕は呑気なので平気なのですが。。。)お庭は、開設以来幾たびも激震に見舞われました。紆余曲折などと振り返るような悠長なことではありませんでした。本当に初代管理人は苦労しました。「セキュリティー」に関しては、今更むし返すつもりはありませんから詳細は書きませんが、3年ほど前に震度7レベルの激震がありました。その結果大切な仲間を失ってしまいました。(残念なことに彼は2度とお庭を訪ねてくれません。)しかし、その事で得た教訓は、多少なりとも生かされているとは思っています。顔写真も了解を頂いた方のみ掲載しているはずです。

ハンドルネームについては、以前より若干の議論がありました。でも結局のところ、今もって統一見解には至っておりません。
そのような現状を思えば、二代管理人の言うところが最大公約数かなと感じています。
 

再び、ちょっと業務連絡

 投稿者:二代管理人こと孝一郎  投稿日:2016年 1月19日(火)22時39分18秒
返信・引用
  18・19日とあの雪の中を出張!中京方面だったからまだ良かったが風邪をお土産に持ち帰ったようだ。

72回生の会として「篝火の会」があります。
会の広報としての公式ホームページでは行事の予定、報告、必要と思われる告知を細々と行っています。
「清陵のお庭」は72回生の近況報告や親睦の場として設けられています。

「お庭」は、矢崎くんのご指摘のように不特定多数の人達が自由に閲覧できます。しかし、投稿は72回生を基本と考えています。
でも、投稿限定やルールの明文化は敢えてしてありません。
清陵生であった自覚や良識に任せることを基本とし、必要と思われれば管理者がそれなりの対応を取らさせていただいています。

「お庭」が紆余曲折がありつつも、これだけ長い間続いているのはこの考えに間違いはなかったと思っています。
この方法を確立するために、初代管理人さんこと三澤くんは非常に苦労されました。私はそれを引き継いでいます。

「お庭」は不特定多数のものが閲覧できます。そのため投稿する際はそれなりの自覚・気遣い・気働きが必要だと思います。
ハンドルネイムについても投稿者の判断でフルネイム、名字だけ、名前だけ、役職名、及びそれを若干もじったものがあります。
でも、できたら、管理のためにも72回生の誰某とわかる、否、推測できるようなハンドルネイムが好ましいと思います。
検討してみてください。

ちなみに、お庭の一番下段に「管理者へメール」「自分の投稿の編集」のタグがあります。削除は管理者権限としていますので、「管理者へメール」で依頼してください。

でもね・・・これからもっと沢山の72回生に投稿してもらうためには、もっと考えなくちゃいけないな・・・。
 

Re: ちょっと、業務連絡

 投稿者:一茶  投稿日:2016年 1月19日(火)00時24分7秒
返信・引用
  > No.7430[元記事へ]

二代管理人こと孝一郎さんへのお返事です。

歓迎ありがとうございます。
「・・・、若干のルールがあります。お庭は72回生のHPです。投稿の際は、72回生の誰某とわかるようなハンドルネイムでお願いします。」・・・意図は了解しました。駆け出しで、その辺を知らず、申し訳ありませんでした。(ちなみに、そのルールはどこに掲示されていますか?)

この「お庭」の会話の履歴を少し遡って読んでみました。忘れるはずはないのに、フルネームではなく、姓だけだとか、下の名だけだと、何組の誰だったのか・・・すぐに顔が浮かばない場合もあり、もちろんハンドルネームだけではよけいにわからず、我ながら当惑します。(久しぶりに、高校の会員名簿を開いてみました。)

ところで、このteacup.の「お庭」は会員制の内輪だけの部屋ではないので、72回生以外にも、清陵高校の同窓生でも関係者でもない不特定多数の人達が自由に閲覧できる状態ですから、投稿者のプライバシーのsecurityは保たれていませんね。そういう意味では、実名での投稿をためらう人もいるかと思います。何か書きたいが、名前を出したくない事情の人もいるかも知れません。
ハンドルネームだけで良いとすると、確かに誰かわからず、モヤモヤしたものが生まれて団欒にはなりにくいでしょう。
「二代管理人」も、これだけでは匿名と同じで、初心者には誰だかわかりません。
私や上海虎さんは、顔出しの初回の際にフルネームを入れて書き込みしました。私達のハンドルネームが誰であるかは、書き込みの初回に遡って追ってもらえば、誰だかわかります。たとえば・・・2回目からはハンドルネームのままでも良いとするルールであれば、もっと気軽に自由に、この「お庭」に出入り出来る人が増えるのではないか?・・・と思われます。既出の提案かも知れませんが、可能ならご一考をお願いします(それでもプライバシーのsecurityは保たれませんが・・・)。
さらに、自分が投稿した記事の修正や削除が出来るようになれば、さらに気楽に書き込みできるでしょう。

というわけで、ハンドルネームの変更に関しては検討中ですので、しばらくお待ちください。

 (長文、失礼しました)
 

中国大陸全土踏破(4)

 投稿者:上海虎  投稿日:2016年 1月18日(月)16時06分11秒
返信・引用
  富士見町の平出重昭です。Web pageでは、バンドルネーム「上海虎」です。

藤森 潔さん、覚えていますよ。
甲斐性梨雄さん、全部見てくれてありがとうございます。
1997年にWeb pageを開設したので、膨大な量になっています。

「中国大陸全土踏破」の概要について連絡します。
11.目的
 中国4,000年の歴史や世界遺産の探索、街の散策、人々との触れ合い

12.動機
 NHK TVの「シルクロード」、山崎豊子原作のドラマ「大地の子」、
 「関口知宏の中国鉄道大紀行」等
 司馬遼太郎、井上靖、陳舜臣等の中国関連書籍

13.一人旅
 ・自分のペースで行動、興味のある所に都合のよい日程で行ける。臨機応変に行動。
 ・ホテル代が割高、食事時寂しい、予定の切符が購入できるか不安、病気、事故の不安。
 ・人の親切さが身にしみ、楽しい思い出。同行者に気を使う必要がない。
 ・一人だと積極的になり、緊張感がたまらない。時間が空いた時読書に集中できる。

14.推奨地域
 ・黄山(安徽省)、九寨溝(四川省)、長江三峡(重慶市、湖北省)
 ・西安・シルクロード(陜西省、甘粛省、新疆ウイグル自治区)
 ・玉龍雪山(雲南省)、桂林(広西チワン族自治区)、ラサ(チベット自治区)等

15必須条件
 ヒマ、金、体力、中国語、そして中国への思い入れ(女も含む???)
                                 以    上
 

Re: あまり昔と変わってないよね?

 投稿者:甲斐性梨雄  投稿日:2016年 1月18日(月)10時02分45秒
返信・引用
  藤森 潔さんへのお返事です。

> 下中出身者・・・多士済々でしたね。とりわけ僕が一番仲良くしていた「内藤健吉くん」惜しい男を失ってしまった。

埼玉県北西部の当地にも、今年初めて10センチの積雪。年に2-3回ぐらいしか雪降らないから、自動車通勤なんだけど、チェーンも持ってないしスタッドレスタイヤもない。電車は動いているとは言え、普段のラッシュアワーには1時間に10本程度の電車が、今日は30分に1本程度。朝5時に起きてツイッター等の情報見ていたけれど、7時半には早々と「自発的臨時休業」を決定。

内藤君は何か病気で若くして亡くなった言うのを、4-5年前中学の同級会の折同級生の女の子から聞いた。昔からがっしりした体格だったのに何の病気だったのか。この子はニ葉に行ってた美人の才女で、どうやら内籐君の好みの子だったらしい。それ以外詳しい事は全くわからないんだけれど、内藤君とは確か小学校の同級生でもあった。
 

レンタル掲示板
/146